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おん身は花の姿にて―網野菊アンソロジー(山下多恵子編)

おん身は花の姿にて―網野菊アンソロジーおん身は花の姿にて
―網野菊アンソロジー

(2011/02)
山下多恵子編

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網野菊の名は、どこでおぼえたのか思いだせないが、いつの間にか知っていた。こないだ図書館のサイトで新着リストをだらだらと見ていたときに、この本があって、網野菊のアンソロジーか、どんなんかなと、ぽちっと予約した。どなたも借りてなくて書架ありだったはずが、全然本が届かへん…と思っていたら、なぜかヨソの図書館の本が届く。

「これ、所蔵ありの本ですよね?なんで相貸なんですか?」と尋ねると、紛失か、あるいはピッとやり損ねて貸し出したか、ともかく本の現物が見当たらないらしい。この本を返す頃には、本来あるべきところへ所蔵本も戻っていたらいいのだが。

図書館を出て、5階から1階まで降りるあいだ、ぱらぱらっとめくって、ぎょっと目がいったのは、最初のページに書かれている、「はじめに 編者より」。

▼網野菊は1900(明治33)年東京麻布に生まれた。6歳のとき、実母は姦通罪で獄中に入り、離縁されて家を去った。(p.1)

姦通罪!
それで獄中に入ったということは、網野菊の母は、夫から告訴されたということだ。日本国憲法施行で男女平等ということになったあと、刑法改正で消えたこの罪は、「有夫ノ婦」と「其相姦シタル者」に対して成り立つもので、告訴する権利を持っていたのは夫だった。そして、非対称なことに、「有妻ノ夫」と「其相姦シタル者」には関知しないものだった。

いろんな意味ですごい罪やなあと思っていたが、思いがけず、目の前に姦通罪が出てきた。

目次をみて、かなりうしろのほうの「震災の年」という文章から読みはじめた。これは、関東大震災(1923年)で京都へ行った網野が、以前から作品を愛読し尊敬していた志賀直哉の自宅を初めて訪ねたときのことを書いたもの。

震災の時、網野は湯浅芳子と福島の山の温泉にいて、9/1の震災のことを2日に知り、3日に山をおりて、4日に東京へ向かったが、汽車が大宮までだったのと「婦女子の入京禁止」で東京には入れず、京都の人であった湯浅について京都へ行ったのだ。京都では、これから東京へ行くという大阪の人と居合わせ、その人が東京の網野の父を訪ねて娘の消息を伝えるとともに、帰りにはわざわざ京都で降りて、東京の家が焼け残って無事だと知らせてくれたという。

そういう時間のスパンで情報が伝わり、人を介して消息が伝わるのだなあと思いながら読んだ。

網野菊は、志賀直哉によって作家として立てるようになったところが大きい。その志賀に初めて会いにいこうと心を決めたのは、大震災があって、今生の思い出にというような考えがあったからだと書いている。震災が、作家・網野菊をうんだともいえる。

「師」のパートに収められたそれぞれの文章からは、網野の志賀によせる「人間として、作家として尊敬できる人」という思いがせつせつと伝わる。

しまいまで読んでから、冒頭に戻って読んでいく。網野は、姦通罪に問われた実母のあと、三人の継母をむかえる。このアンソロジーに収められているものでいえば、網野は、まず「母」を書いている。自分をあらしめたものとして「母」を書き、それぞれの「母」との近さ遠さを書きながら、その距離をはかっている「私」を書いていると思う。私小説といえばそうなのかもしれない。読んでいて、ネタになった事実としてそういうことはあったのだろうけれど、網野は「私」ばかりを書いているのではなくて、やはり小説家として、登場人物のそれぞれを丁寧に書いてるなと思った。

「母」については、こないだ読んだ『ちいさな理想』のなかで、鶴見俊輔が、敷島妙子さんという方が私家版でつくった『ちちははの記』(144頁、1989年)のことを書いている。死んでからまで人を笑わせようとしているようだったというおっ母さんのことを書いた文章がおもしろい。そして、敷島さんはそのおっ母さんが死んだときに考えたことをこう書いている。鶴見俊輔が引いている。

▼私(敷島妙子)は母を亡くしたとき、私にとって母は何だったのかと、改めて考えてみたものだった。大概の人は(特に女性は)母親のことを、
「黙って愚痴を聞いてくれる人」と位置付けて居られるようだ。
 私はどうも違うような気がする。年老いた母に愚痴を聞いてもらおうとは思わなかった。尤もこぼす程の愚痴もなかったのだけれど…。
 私にとっては、おっ母さんと言う人は、私のおのろけや、自慢話を、本当に喜んで聞いてくれる、唯一の人だったのだと、その時しみじみと思ったのだった。
 兄弟や他人には、愚痴は心やすく言えても、幸運な嬉しい話は気楽には言えないものである。おっ母さんには何を話しても良いし、どんな話でも自分の幸せとして喜んで受けとめてくれた。
 悲しみを語る相手は多くても、喜びや幸せを、気兼ねなく話しても良い人は、おっ母さんしか居ないのではないか。そのことに改めて気づいたとき、「其の母という存在を私は失ってしまったのか」と、悲しみが心を侵したのだった。
(鶴見『ちいさな理想』pp.116-117)

敷島さんにとって「おっ母さん」はそういう人だったのだなーと思う一方、網野菊にとっての「母」はそういう人ではなかった。私には、網野の書く「母」のほうが、自分の感覚に近くおもえる。

母を書いている中途で、網野はさらりと父の話も書く。姦通罪といい身うけといい、そういうのが公にあった時代なのだと思いながら読む。
▼…又、矢張り叔母から私は、父が先年、玄人の女を身うけして深川にかこっていた事があると聞かされて、びっくりした。…叔母は尚、語をついで、
「お前のおっかさんも、おとっつぁんが一時面倒みていた事があるんだよ。」と云った。(p.30)

するすると、アンソロジーを読みおえる。抄録で入っている作品もあり、もう少し網野の小説を読みたいと思った。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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