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科学と科学者のはなし―寺田寅彦エッセイ集(池内了編)

科学と科学者のはなし―寺田寅彦エッセイ集科学と科学者のはなし
―寺田寅彦エッセイ集

(2000/06/16)
池内了編

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寺田寅彦の随筆はこれまでにも読んだことがあって、なんどか読んだ『柿の種』なんかはタイトルとも印象深い一冊。

この少年文庫のことは、『We』読者でもあるNさんから、子どもの本棚にあったのをたまたま開いてみたら「津浪と人間」という三陸大津波のことを書いた文章が入っていたと聞いて知った。それで、図書館で借りてきてみた。この「津浪と人間」のほかにも、地震や災害についてふれたものがいくつかあった。寺田寅彦は、身辺の世界を科学の目をもってよくのぞき、退屈することなど全くないほどそこは「驚喜すべく歓喜すべき生命の現象」があるのだと書いた人だ。この本も、そんな日常の観察からみつけたオドロキとおもしろさに満ちている。その生命現象の世界と、人間のつくる社会と、どちらもよくみつめながら書いた文章がしみじみとイイ。

「津浪と人間」には、たとえばこんなことが書いてある。
▼…自然の法則は人間の力ではまげられない。この点では人間も昆虫もまったく同じ境界にある。それでわれわれも昆虫と同様、明日のことなど心配せずに、その日その日を享楽していって、一朝、天災に襲われればきれいにあきらめる。そうして滅亡するか復興するかは、ただその時の偶然の運命に任せるということにするほかないという、すてばちの哲学も可能である。
 しかし、昆虫はおそらく明日に関する知識はもっていないであろうと思われるのに、人間の科学は人間に未来の知識を授ける。…(pp.186-187)

寺田寅彦といえば「天災は忘れられたる頃来る」がユウメイな気がするが、その「忘れられたる」ゆえんは、30年、40年あるいは100年もたてば、当の天災を経験し、その災害の記念碑をたて、警告を発した人たちが代替わりし、みないなくなってしまうからだという、ある意味かんたんなことだ。身辺の世界を驚きをもって見る目をもちつづけることとともに、災害を忘れないようにすることは難しいとつくづく思う。

池内了が編んだこのエッセイ集のなかで、とくに強く印象に残ったのは、「音の世界」と「夏目漱石先生の追憶」の2篇。

寺田寅彦がある日、研究室で新着の雑誌を読んでいくと「音の触感」に関する研究報告があったと。レコードの発する音響をすっかり殺し、さらに耳を完全にふさいで、指先の触感だけで楽音の振動をどれだけ判別できるかを研究したものだという。

寅彦の書きとめるところによれば、「その振動が二つの音から成り立っている場合に、それが二つだということがちゃんと判別ができて、その上にそれがオクターヴが五度か短三度か長六度かということさわかるものらしい。それでその著者は、聾者のための音楽が可能であろうということを論じ、また普通の健全な耳を持っている人でも、音楽を享楽するのに耳だけによるのではなくて、実は触感も同時に重大な役目をつとめているのではないか、そうして、それを自覚しないでいるのではないかという意味のことを述べている」(pp.206-207)。

夏目漱石は、寅彦の生涯の師であったという。編者の池内了が巻末で、漱石を追悼した寅彦の短歌をあげている。

 俳句とはかかるものぞと説かれしより
    天地開けて我が目に新(あらた)

追憶を綴った寅彦の文章からは、そのむかしは千円札で見慣れた"文豪"とは違う姿がみえる気がする。

虫や鳥など、寅彦が身近なさまざまな観察を述べているくだりでは、その身体をとおした観測の能力におどろいた。仰角などから目測して、高さや距離を測り、あるいは火をつけたタバコをかざして風向を知り、というのが随所に出てくる。こんな風に身近な世界を見ることができるのだと、読むだけでも心があらわれる。

自分が子どもの頃には化け物がたくさんいたと書く寅彦を読むと、鶴見俊輔が内山節のキツネにだまされる力を失った日本人の話を引いていたのを思いうかべたりするのだった。
▼まったく、このごろは化け物どもがあまりにいなくなりすぎた感がある。今の子どもらがおとぎばなしの中の化け物に対する感じは、ほとんどただ空想的な滑稽味あるいは怪奇味だけであって、われわれの子ども時代に感じさせられたように、頭の頂上から足のつまさきまで突き抜けるような鋭い神秘の感じはなくなったらしく見える。(p.116)

そして、人間社会のあり方について、ぐさりと刺す言葉を、いまの世の中に寅彦が生きていたら、どんなことを書いただろうと思いながら読む。

▼頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思いりこうだと思う人は、先生にはなれても科学者にはなれない。(p.203)

▼…いまさらのように、自然界に行われている「調節」の複雑で巧妙なことを考えさせられた。そして気まぐれに箸の先で毛虫をとったりしている自分の愚かさに気がついた。そしてわれわれがわずかばかりな文明に自負し、万象を征服したような心持ちになって、天然ばかりか同胞とその魂の上にも自分勝手な箸を持っていくようなことをあえてする、それが一段高いところで見ている神様の目には、ずいぶんおろかなことに見えはしまいか。(pp.248-249)
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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