さむっ(II)
土日はやたら本を読んでいた。日曜は図書館で借りた南伸坊+朝日新聞学芸部の『イマドキ現代用語50』(朝日新聞社、2002年)と、父ちゃんからまわってきた城山三郎、内橋克人の『「人間復興」の経済を目指して』(朝日新聞社、2002年)を読んだ。
『イマドキ現代用語50』は、最近こんな言い方してるなあとか最近こんなコトバが使われているなあという「イマドキ現代用語」について、朝日新聞学芸部が人にきいたり、本を調べたりして、たいへんダイジェストしてまとめたものに、シンボーさんがチャチャを入れるような構成で連載していたらしい。あいうえお順に「アカウンタビリティー」から始まって、「私って~じゃないですか」まで、50のコトバが俎上に乗せられている。借りたときに、ぱらぱらっと見て興味を持ったのは、「エリート」「在日」「リスペクト」あたりだ。読んでみて面白かったのは、「壊れ」「サポーター」「デジタル」「パブリック」あたり。
「壊れ」のところで、シンボーさんが入れたチャチャはこんなかんじだ。
▽そもそも、人間を道具や機械のようにとらえて「故障した」だの「頭のネジがゆるんでる」だの「接触不良でいきなりショートしちゃってる」とかと言うのは、深刻さを避けるためのタトエだったのではないか? と私は思うのだ。
現実にはモノにも機械にも寿命はあるけれども、生き物のようには「決定的」な感じがしない。故障しても修理すればすむんだし、こわれたら修繕すればすむことだから。・・・
コワれているかどうかは、その機能を問題にする立場なのであって、その立場にない「コワれた人本人」は、それを非常事態とは思っていない。となればますます「コワれた」って言い方は、対社会への客観的な目を自分の中にもった言い方だろう、と思うんですけどね。(シンボーの言い分「どこかで何かがコワれてる」102-103ページ)
「デジタル」のところのチャチャは「アナがないのにアナログ」といって、ベルトの話が書いてある。
『イマドキ現代用語50』は、最近こんな言い方してるなあとか最近こんなコトバが使われているなあという「イマドキ現代用語」について、朝日新聞学芸部が人にきいたり、本を調べたりして、たいへんダイジェストしてまとめたものに、シンボーさんがチャチャを入れるような構成で連載していたらしい。あいうえお順に「アカウンタビリティー」から始まって、「私って~じゃないですか」まで、50のコトバが俎上に乗せられている。借りたときに、ぱらぱらっと見て興味を持ったのは、「エリート」「在日」「リスペクト」あたりだ。読んでみて面白かったのは、「壊れ」「サポーター」「デジタル」「パブリック」あたり。
「壊れ」のところで、シンボーさんが入れたチャチャはこんなかんじだ。
▽そもそも、人間を道具や機械のようにとらえて「故障した」だの「頭のネジがゆるんでる」だの「接触不良でいきなりショートしちゃってる」とかと言うのは、深刻さを避けるためのタトエだったのではないか? と私は思うのだ。
現実にはモノにも機械にも寿命はあるけれども、生き物のようには「決定的」な感じがしない。故障しても修理すればすむんだし、こわれたら修繕すればすむことだから。・・・
コワれているかどうかは、その機能を問題にする立場なのであって、その立場にない「コワれた人本人」は、それを非常事態とは思っていない。となればますます「コワれた」って言い方は、対社会への客観的な目を自分の中にもった言い方だろう、と思うんですけどね。(シンボーの言い分「どこかで何かがコワれてる」102-103ページ)
「デジタル」のところのチャチャは「アナがないのにアナログ」といって、ベルトの話が書いてある。