シゴトとショウバイ(I)
未明からどぶどぶと雨降り。なぜか妊娠四カ月状態の自分を夢にみて、目が覚める。
酒井順子十連発めの『自意識過剰!』(新潮文庫、1997年)を読み終える。ネットの古本屋でまたもや酒井順子ほか十数冊を注文する私。この本の山をどうするのだ!
午後のヒコーキの時間をにらみつつ、中山千夏の『カネを乗りこえる マンバのカネ批判』(大月書店、2002年)を読み終える。ハテどうかいなともやもやは残るが、なかなかおもしろかった。暇人(ひまびと)ヤ・マンバを登場させた創作のなかで、カネのこと、シゴトとショウバイのことなどを考えてゆく。売性(バイセイ=売春の意で用いる、中山千夏が提唱する呼称)についての「売性は行為者に不幸をもたらす惨憺たる性交」という記述のあたりは、むむむーどうかしらと思ってしまう。それは、中山千夏がいうように、私もまたカネ至上主義だとか「どんな行為でカネを得るのも自由」だとかの考え方にどっぷりとつかっているから、かしら。
シゴトとショウバイについて書かれたところは、はぁナルホドと思う。
▽もうひとつ整理しておきたいのは、仕事と商売の関係です。シゴトはひとやもののハタラキを指し、力学の説明などにも使われる言葉です。
・・・日曜大工で本箱を作るのも、町内会のクリーン運動に参加して空き缶拾いをするのも、まぎれもないハタラキすなわちシゴトです。けれどそれらは「うちのシゴト」「町のシゴト」などと限定つきで言われることが多い。私たちにとってシゴトとは、主としてカネ(賃金、代金)を得るシゴトを意味しているわけです。
今はそれに従って、カネを得るシゴトを仕事と呼んでおきましょう。してみると仕事には、ひとのハタラキとしてのシゴトの側面と、カネを得る側面とがあるわけです。
酒井順子十連発めの『自意識過剰!』(新潮文庫、1997年)を読み終える。ネットの古本屋でまたもや酒井順子ほか十数冊を注文する私。この本の山をどうするのだ!
午後のヒコーキの時間をにらみつつ、中山千夏の『カネを乗りこえる マンバのカネ批判』(大月書店、2002年)を読み終える。ハテどうかいなともやもやは残るが、なかなかおもしろかった。暇人(ひまびと)ヤ・マンバを登場させた創作のなかで、カネのこと、シゴトとショウバイのことなどを考えてゆく。売性(バイセイ=売春の意で用いる、中山千夏が提唱する呼称)についての「売性は行為者に不幸をもたらす惨憺たる性交」という記述のあたりは、むむむーどうかしらと思ってしまう。それは、中山千夏がいうように、私もまたカネ至上主義だとか「どんな行為でカネを得るのも自由」だとかの考え方にどっぷりとつかっているから、かしら。
シゴトとショウバイについて書かれたところは、はぁナルホドと思う。
▽もうひとつ整理しておきたいのは、仕事と商売の関係です。シゴトはひとやもののハタラキを指し、力学の説明などにも使われる言葉です。
・・・日曜大工で本箱を作るのも、町内会のクリーン運動に参加して空き缶拾いをするのも、まぎれもないハタラキすなわちシゴトです。けれどそれらは「うちのシゴト」「町のシゴト」などと限定つきで言われることが多い。私たちにとってシゴトとは、主としてカネ(賃金、代金)を得るシゴトを意味しているわけです。
今はそれに従って、カネを得るシゴトを仕事と呼んでおきましょう。してみると仕事には、ひとのハタラキとしてのシゴトの側面と、カネを得る側面とがあるわけです。