読みかけ
とちゅうまで読みかけていた久田邦明の『教える思想』(現代書館)をまた読みすすむ。今日読んだところは「戦後教育論の諸相」という、小篇を50ほど集めたパートで、あとがきによると雑誌に連載していたものらしい。毎月これを1篇ずつ読むのはおもしろいかなと思ったけど、まとめて50篇も読むと、途中から文体のクセが気になりだした。それぞれの小篇は3~4ページの短いもので、ひとつひとつを別々に書いたのだから、そのひとつずつの「おさまり」というか「まとまり」みたいなのをつけてあるのだろうな、というのは分かるものの、「しかし、それにしても」と、ほとんどの小篇で合いの手が入ると、ちょっと転がしてけなす(?)のがコツなのかなという印象をうけた。で、この合いの手が気になって、このパートを読んだところでひと休み。
ここでとりあげられている戦後教育論は、かなり幅広い。メジャーどこでいくと、トットちゃん(黒柳徹子)、気くばりのすすめ(鈴木健二)、ローラ(大草原の小さな家)、無着成恭、椎名誠・・・子安美知子も海老坂武も出口なおも入っている。伊藤比呂美、橋本治、中沢新一、パウロ・フレイレ、宮迫千鶴、田中美津なども出てくる。あと波多野完治やら大田尭など教育学者もとりあげられている。こういう人たちの書いたものや言ったことなどを俎上にあげて、人物の略歴や主義主張の要旨を解説、しばらくすると「しかし、それにしても」ときて、こういうとこにも目配りほしかったなーとかこういうとこが抜けてんのちゃうかというような、それぞれの人物(や主義主張)の弱点らしきところのチェックが入って締め。かける50。
これが載っていた雑誌は、季刊→隔月刊→月刊となって、そこでの連載だったそうなので、50余篇というのは8年分! そら、いっぺんに読んだらくたびれるわな
というところで、これも途中まで読んでいた上野千鶴子編の『構築主義とは何か』(勁草書房)を読んでみる。構築主義というのは、「構成主義的な知識観」に関係がある(たぶん)。「臨床のナラティブ」という章はおもしろかったが、「文学とジェンダー分析」で今日は挫折。ここまで読んだところで、ジェンダーという概念が、構築主義がどういうことなのか、を説明するときの格好のネタだ、というのは分かった。
ここでとりあげられている戦後教育論は、かなり幅広い。メジャーどこでいくと、トットちゃん(黒柳徹子)、気くばりのすすめ(鈴木健二)、ローラ(大草原の小さな家)、無着成恭、椎名誠・・・子安美知子も海老坂武も出口なおも入っている。伊藤比呂美、橋本治、中沢新一、パウロ・フレイレ、宮迫千鶴、田中美津なども出てくる。あと波多野完治やら大田尭など教育学者もとりあげられている。こういう人たちの書いたものや言ったことなどを俎上にあげて、人物の略歴や主義主張の要旨を解説、しばらくすると「しかし、それにしても」ときて、こういうとこにも目配りほしかったなーとかこういうとこが抜けてんのちゃうかというような、それぞれの人物(や主義主張)の弱点らしきところのチェックが入って締め。かける50。
これが載っていた雑誌は、季刊→隔月刊→月刊となって、そこでの連載だったそうなので、50余篇というのは8年分! そら、いっぺんに読んだらくたびれるわな
というところで、これも途中まで読んでいた上野千鶴子編の『構築主義とは何か』(勁草書房)を読んでみる。構築主義というのは、「構成主義的な知識観」に関係がある(たぶん)。「臨床のナラティブ」という章はおもしろかったが、「文学とジェンダー分析」で今日は挫折。ここまで読んだところで、ジェンダーという概念が、構築主義がどういうことなのか、を説明するときの格好のネタだ、というのは分かった。