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この子を残して(永井隆)

この子を残してこの子を残して
(2010/07)
永井隆

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右手のダルさがつづく。『We』読者のMさんから「トラックボール」を譲ってもらってお試し中だが、慣れないせいで、カーソルが思わぬとこへ飛んでいったり、ちがうとこをクリックしたり。一昨日の晩はこんどは薬指方面がなんだか痛くなってきて、つらい。キーボードとマウスは筆記用具でもあるので、なんとか共存したい。

1ヶ月くらい前に『長崎の鐘』を借りてきて途中まで読んだところで、こっちの『この子を残して』も借りてきた。

「この子を残して」のことを私が知っているのは、むかし映画を見たからのような気がするが、いつどこで見たのかは記憶がはっきりしない。読んでみて、私は本を読むのは初めてやなと思う。巻頭の「この子を残して」とともに、本文カットに入っている、永井の描いた子供たちの絵や浦上天主堂の絵、誠一さん、カヤノさんが描いた父の絵などが、心にひびく。

うとうとしていた永井のほおに、カヤノさんが冷たいほおをくっつけて、「ああ、…お父さんのにおい…」と言う場面から書き起こされた文章は、カヤノさんが小声で「お父さん」と言う場面で閉じられる。「それは私を呼んでいるのではなく、この子のちいさな胸におしこめられていた思いがかすかに漏れたのであった」(p.25)。
放射線医学を専門とした永井は、先輩方の犠牲によって次第に有効なものとなってきた放射線予防に心を配ってきたが、戦中の多忙もあって、許容量をうわまわる放射線を浴びつづけ、ついに慢性骨髄性白血病と悪性貧血を発した。慢性の原子病である。予後は3年かということを妻に知らせ、「生きるも死ぬも天主様のみ栄えのためにネ」と言い、二人の幼子の行く末について「あなたが命をかけて研究なさったお仕事ですから、きっと子供たちもお志をついでくれるでしょう」と言った妻の言葉を頼りに、これで心を残さず倒れるまで仕事に邁進できると永井は奮い立った。

そこへ原爆投下。二人の幼子を託したはずの妻はバケツに軽い骨となって拾われ、永井自身は慢性の原子病のうえに、さらに急性原子病が加わった。そのなかでも、「私たちが医学史上最初の観察者として選ばれた、原子爆弾症」について研究しようと、負傷の身で杖を頼りに患者を訪ねてまわった永井は、2ヶ月後、ついに自身が原爆症に倒れる。たまたま三日前に、山のばあさんの家へ行かせた二人の子供が無傷でたすかっていた。

このときの克明な観察が、長崎の被爆の光景とその後の被爆者の予後と治療の詳細を書いた『長崎の鐘』となっている。そして、自分の死の遠からぬことをわかって、「孤児予定者」たる二人の子供にあてて書いたものが『この子を残して』。すでに長崎で見聞きしている孤児たちの生活をかえりみ、二人の子の行く末を案じる親の心を感じる。永井の筆とトーンはまったく違うけど、青葉学園シリーズの孤児たちの暮らしを重ねて思う。

キリスト者でもあった永井の書くもの、その発想は、私にはわからんこともいろいろあるけど、信仰をもち科学者であるというのは、こういうことでもあるのかなあと思う。

青空文庫のXHTMLファイルでは、挿絵入りでテキストが読める(底本がちがい、私が読んだ本とはやや異同がある)。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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