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被曝治療83日間の記録 東海村臨界事故(NHK取材班)

被曝治療83日間の記録―東海村臨界事故被曝治療83日間の記録―東海村臨界事故
(2002/10/29)
NHK取材班

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高濃縮ウランをバケツで汲んで沈殿槽に移す、という裏マニュアルによる作業で臨界事故が起こったのは、12年前のことだった(母が死んだのと同じ年)。もうそんなに前なのかと思う。私がフルタイムで働きはじめた最初の職場にいた頃である。

この臨界事故で被曝した大内さんの83日間の治療記録が、新潮から『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』という文庫になっていると「ブックマーク」の読者からおしえてもらって図書館にリクエストしていたら、親本があったようで、そっちがきた。

借りてきた日に、読んでしまった。『チェルノブイリの少年たち』でも、爆発した原子炉の処理にあたる「決死隊」が出てきたが、この東海の臨界事故でも「現場ではJCOの社員による決死隊が組織され、国の現地対策本部の指揮下で、臨界を収束させる作戦が展開された」(p.12)と出てくる。

「決死」という言葉に、"安全"で"クリーン"ていうのは何やねんと思う。
大内さんたちは、青い光(チェレンコフ光)を見た。当初、大内さんは8シーベルト以上の放射線を浴びたと推定された。死亡率は100パーセントという被曝量である。最終的には20シーベルト前後とされた。

被曝2日後の大内さんに会った前川医師は、どこから見ても重症患者には見えなかったという。意識もしっかりしていた。東大病院が受け入れることになった。看護婦たちは、テレビでやってる被曝の患者さんが来るときいて、二次被曝を怖れた(この事故での大量被曝は中性子線とガンマ線によるもので、二次被曝の心配はほとんどなかった)。

その看護婦たちも、転院してきた大内に「よろしくお願いします」と言われて、ふつうに会話をできる状態だとは思っていなかった、外見的にもかなりダメージを受けているだろうし、意識レベルも低いのではないかと想像していた、と語っている。「ひょっとしたらよくなるんじゃないか。治療したら退院できる状態になるんじゃないかな」という印象をもったという。

だが、そんな印象と、現実のデータは全く違っていた。被曝4日目に採取された大内さんの骨髄細胞の顕微鏡写真にうつっていたものは、ずたずたに破壊され、バラバラになった染色体だった。血液専門の平井医師は「放射線というのは、なんと恐ろしいものなのだろうか」と呆然とする。

放射線は「新しい細胞をつくりだすところ」にダメージを与える。バラバラの染色体は、新たな細胞がつくられなくなったことを示す。染色体破壊は、まず血液の異常としてあらわれた。リンパ球が全くなくなり、白血球も大幅に減少した。皮膚も古いものがはがれ落ちるばかりで、新しい皮膚ができなくなった。放射線障害はどんどんすすんでいった。

「大内さんのように急性の放射線障害で二週間以上生きているケースがなく、参考になる文献も当然なかったのです」と皮膚科の帆足医師は言っている。

すべてが手探りの治療。それも、被曝後50日後になる頃には、大内さんを引き受けた前川医師のなかにも治療を続けることへの迷いがうまれはじめていた。大内の治療にかかわった研修医の山口医師は、考え続けていた。
▼客観的に見ると生きながらえる見込みが非常に低い患者であることは、だれの目にも明らかだった。助かる見込みが非常に低いという状況のなかで、日に日に患者の姿が見るも無惨な姿になっていく。その患者の治療に膨大な医薬品や医療資源が使われていく。しかし、そうしておこなった処置は患者に苦痛を与えているのだ。医療者はこの状況に、この治療に、どこまで関わっていくことが許されるのか、山口はつねに考えつづけていた。(p.94)

看護婦たちもつらくなっていた。ここに寝ているボロボロの体でまわりに機械が付いている人が、大内さんと思えない状態なのだった。転院してきたときには会話を交わしていた、妻に語りかけていた、あの大内さんを思い出しながらでないと、看護ができなくなってきていた。

被曝後83日目、大内さんは35歳で亡くなった。

名和看護婦は、大内と出会い、そのケアを担当して自分が変わったと思うとこう話している。
▼自分にとって大切な人とはいっぱい話をして、その人がもし口もきけなくなって、治療するかしないかという選択を迫られたときに、この人はこういう人だったからこの治療は続けてくださいとか、この治療はやめてくださいとか、そういうことが言えるくらい、たくさんたくさん話をしたいと思うようになりました。(p.144)

「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい」と大内さんが亡くなったときの記者会見で前川医師は言った。被曝治療の位置づけが非常に低いことを前川医師は身を以て知ったのだった。

▼事故など起きるはずがない――。
 原子力安全神話という虚構のなかで、医療対策はかえりみられることなく、臨界事故が起きた。国の法律にも、亡妻基本計画にも、医者の視点、すなわち「医の視点」が決定的に欠けていた。
 放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。今回の臨界事故で核分裂反応を起こしたウランは、重量に換算すると、わずか1000分の1グラムだった。原子力という、人間が制御し利用していると思っているものが、一歩間違うととんでもないことになる、そのとんでもないことにたいして、一介の医師が何をしてもどうしようもない。どんな最新の技術や機器をもってしても、とても太刀打ちできない。その破滅的な影響の前では、人の命は本当にか細い。(pp.155-156)

本には、東大転院時(被曝8日後)には赤くはれているだけだった右手が、被曝26日後には表皮が失われ赤黒く変色している様子が写真で並べて掲載されている。この写真は、小出裕章さんの「隠される原子力」の講演にも出てくる。

 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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