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經濟學の生誕(内田義彦)

内田義彦の主著が『経済学の生誕』であることは知っていたが、古い本でもあり、読んだことがなかった。

久しぶりに『作品としての社会科学』や『形の発見』などを読みかえして、やはりこれは『経済学の生誕』も読んでみたいと、スミスの『国富論』とともに図書館で借りてきた。

新版 経済学の生誕新版 経済学の生誕
(1994/02)
内田 義彦

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(↑これは新版)

これが1953年の古ーーーーいもので(半世紀以上前の本である)、とにかく旧字体、きちんと書けば舊字體なのである。本のタイトルは『經濟學の生誕』。古い字は、まぁまぁ知っているつもりだったが、わからん字がけっこうあり、漢和辞典を出してきて、あちこちと引いている。
まず「舊」の字につまづく。前後の文脈で推し量ろうにも、なんだかわからず、辞書を引く。
これは「旧」の旧字なのであった。

奥付も、今とは違って定価がふたつ書いてある。
 定   價 450.00
 地方定價 460.00

「地方」がどのあたりを指すのかは分からぬが、10圓ちがう。
價額の桁は「.00」まである。これは錢である。圓のもひとつ下の単位である錢は、通貨としてはいつ頃まで使われていたのだったか。

(ちょっと調べてみると、この本が出た1953年の末をもって、1円未満の通貨運用は廃止されたそうである。「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」というのが根拠。ただし、為替や株式の世界では○円○銭な~り、と銭は健在。)


經濟學の生誕
「あとがき」にこうある。

▼…ぼくは、長いこと經濟學の世界にはいることができなかつた。ぼくは、經濟學は人間の學問だとおもつていた。そして、人間の問題をほんとうに解決するためには、いろいろの問題を經濟學の領域にひきしぼつてゆかねばならないとおもつた。そして經濟學を專攻することにきめたのである。しかし、專門の學問として經濟學をやってゆくうちに、ぼくはしだいにいらだたしさを感じはじめた。ぼくが經濟學の世界にはいつているとき、ぼくの眼に人間はきえ、そして、ぼくが人間と接觸しているとき、ぼくは自分が經濟學者ではなくなつているということに氣づいたのである。しかも、ぼくは『資本論』を勉強していたのであるが、それは、ぼくの人間をみる眼にはすこしもなつていなかつた。また、ぼくは經濟學は社會諸科學の基礎たるべきものであることを知つてはいたが、しかし、ぼくは、友人の社會學者、歴史學者、法學者あるいは文學者と接しているとき、かれらが出している問題の解決に指針をあたえるどころか、それを經濟學の言葉にほんやくすることすら、まつたくできなかつたのである。
 しかも、ぼくはそういう人々との接觸のなかで、實體としての社會の存在を次第に感覺的 に把握しうるようになつたのであるが、同時に、ぼくは、そこにイギリス經驗論的 なものの見方が祕かにはいりこんでくることを意識しはじめた。ぼくは、それを大事なこととおもい、そういう問題をもつて改めて『資本論』と古典經濟學を研究しはじめたのである。それがこの研究の由來である。(pp.333-334)

(↑表示できる限りの旧字で書くとこうなる)

『國富論』における市民社會の概念と分析視角
その冒頭
▼アダム・スミスの『國富論』は、いわゆる市民社會が、どういう機構をもち、どういう法則あるいは力學にしたがつて動いているかを、その基礎たる物質的生活の生産=再生産の根本にさかのぼつて、はじめて科學的に、しかも、その總體において分析することを企圖したものといわれている。(p.187)

▼『国富論』はご承知の通り、いまからちょうど二百年前--それで今年はスミスの新しい全集の出版開始をはじめ、世界的にスミスを記念する行事が行われており、今日の公開講演会もその一端として行われたわけでありますが--一七七六年に刊行されました。その前年からアメリカ独立戦争が始まっていて大分キナ臭い時であります。そのフル・タイトルは、An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nationsというのでありまして、これをどう訳すかはなかなかむつかしい。が、この表題を、対仏七年戦争からアメリカ独立戦争、さらにはそういった事態が必然に生れてくる近世初頭以来の波瀾にとんだ歴史的状況のなかに身をおいて読んでみますと、「どの国もどの国も国富国富とやかましいことだが、そして国富という名さえあげればどんな政策でも高飛車にまかり通る御時世だが、いったい国富とはそもそも何か--natureは性質ではなくて本質です--、それは何を原因にして生れるはずのものか、それを一つしらべてみよう」というほどの意味をもって響いてきましょう。

 …(中略)…

 スミスはこの本の中で何回も立ちかえって問います。その国の成員の大部分が貧乏な国をまさか富国というはずはあるまい。ところが近世初頭以来の歴史をふりかえってみると、富国政策一辺倒で他を顧りみない国ほど、なるほど大帝国ができ立派な大都会はできたか知らないが、中に入って底辺に着目してみると、その成員の大部分--それは財産とか力ではなく、なんらかの意味での労働によって生活をし、その国に富を生みだしている人々のはずですね--は貧乏だ。そういう貧乏国であるところのものが富国あつかいをされ、めざす理想の国となり、貧国政策が富国政策の名でまかり通っている。平明なはずの富国観に照らしてみるとまことに不思議という外ない。

(内田義彦『作品としての社会科学』岩波同時代ライブラリー版、pp.73-75)
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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