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完全な人間を目指さなくてもよい理由(マイケル・サンデル)

完全な人間を目指さなくてもよい理由─遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-完全な人間を目指さなくてもよい理由
─遺伝子操作とエンハンスメントの倫理

(2010/10/12)
マイケル・J・サンデル

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横浜の事務所は計画停電の範囲で、先週は6時間の停電になった日もあり、合間を縫って連絡をとりあい、お互い「休み」返上で次号『We』の入稿準備をずっとやっていて、かなりへなへなの週明け。気づいたら返却期限が明日になっていた本を、(もう一度借りるか~)とぴらぴら見てたら、これが面白く、眠気におそわれつつ読んでしまう。(『We』171号は今日ぶじ入稿)

同居人が買ってる『日経サイエンス』の書評で紹介されていて知った本で、著者は正義がなんとかっていうテレビ番組(?)でユウメイな人らしい(私は見たことがないけど、鴻巣友季子さんが講義をきいたという人だ)。そっちの本は図書館で200人くらい予約がついている。でも、こっちの本の予約は数人だった。

聾のビアンカップルが、子どもがほしい、できれば自分たちと同じような「聾の子ども」がほしいと、5世代にわたって聾ファミリーだという精子提供者をさがしだして妊娠、うまれた子はカップルの望みどおり聾だった。

本は、このエピソードを冒頭におき、その次にこんなエピソードを出してくる。

ある不妊カップルが卵子提供者を求めるにあたり、背が高くて、運動ができて、家族に大きな病歴がなく、SAT(日本の共通一次みたいなもの)のスコアが1400点以上という条件をみたすなら、5万ドルを支払うと提示した。

「こんな子どもがほしい」という点では、この両エピソードのカップルに大きな違いはないと思う。だが、世間様の非難は聾のビアンカップルに数多く寄せられ、その一方で不妊カップルは大きな反感を買うことはなかったという。その非難のよってきたるところは何か? 非難は妥当なのか? いったい何が「問題」なのか? 「問題」だというならば「思いどおりの子どもを手にしよう」というところが、問題なのかもなと思う。
このあと著者は、さまざまな例をあげながら、「エンハンスメントの倫理」について問いかける。遺伝子改変を含むバイオテクノロジーを手にした人間にとって、その利用は、人間の生をよりよくするものなのか? あるいは人間性をそこなうものなのか? 人間のもつある性質を強化すること(エンハンスメント)は、どこまでなら認められて、どこからはまずいのか? 病気の修復に利用するのはOKか? それならより速く走れるために利用することは? スバラシイ子どもを迎えるために利用することは?

人間性について考えていくうえで、著者は「生の被贈与性(giftedness of life)」を語る。
▼生の被贈与性(giftedness of life)を承認するということは、われわれが自らの才能や能力の発達・行使のためにどれだけ労力を払ったとしても、それらは完全にはわれわれ自身のおこないに由来してもいなければ、完全にわれわれ自身のものですらないということを承認することである。(p.30)

この訳本では、giftに「贈られもの」という、こなれない言葉があてられている。前後を読むかぎりでは、これは「授かりもの」と言ってもいいと思うが、ともかく、子どもはgiftなのだと著者はいう。子どもは授かりものだという意味は、「子どもをそのあるがままに受けとめるということであり、われわれによる設計の対象、意志の産物、野心のための道具として受け入れることではない」(p.49)ということだ。

giftである子どもを育てる機会は、謙虚さを学ぶ格好の機会である。親は、どれほど子どものことを気遣おうとも、「望みどおりの性質」を備えた子どもを選ぶことはできない。親は「招かれざるものへの寛大さ」を教えられる。そうしたgiftの感覚をうしなったところに、優生学の不穏な足音が忍び寄ってくると著者はいう。「われわれの才能や努力は完全に自分自身のおこないに由来しているという信念」(p.90)は、謙虚さや人との連帯をそこなうという。

「連帯と被贈与性の結びつき」について、著者はこう述べる。
▼われわれが自らの境遇の偶然的な性質に自覚的であればあるほど、われわれには他人と運命を共有すべき理由が認められるのである。…(中略)…相互扶助の責務を負っているという実感を伴わずとも、人々はリスクや資源を負担し合い、お互いに運命を共有し合っているのである。(p.94)
 
▼われわれの天賦の才は偶然なのだという強固な念──誰一人として自分自身の成功に対する完全な責任を有している者はいないのだという意識──こそが、成功は有徳さの証であり、裕福な人々は貧困な人々よりもいっそう富の享受に値するがゆえに裕福であるのだという独善に似た思い上がりが、能力主義社会の中に醸し出されてくるのを防いでいるのである。(p.96)

訳語について、ちょっとよくわからんなあと思うところがあったので、図書館で原著が見られそうなら見てみたいけど、手に入るかどうか。訳者の言葉遣いは、不思議なところがある。たとえば「目配せが行き届いている」(p.170)は、目配せではなくて「目配り」でしょう。そういうヘンなところも多少あるけど、予約待ちの人にまわったあと、またしばらくしたら借りて再読したいと思う。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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