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幸子さんと私―ある母娘の症例(中山千夏)

幸子さんと私―ある母娘の症例幸子さんと私―ある母娘の症例
(2009/08/03)
中山 千夏

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旧知の人から久しぶりにもらったメールに、中山千夏の『幸子さんと私』を読んでいると書いてあって、そういえば母親のことを書いた本があったっけなーと思いだす。図書館へ行ったらちょうどあったので、借りてくる。

『ザ・ママの研究』が概論だとしたら、こっちは気合いの入ったママ研究。ぐぐっと読む。
中山千夏の本は、『ダブルベッド』『からだノート』をはじめ、議員ノートのシリーズや、その他のエッセイ、小説など、いっときずーっと読んでいた。

議員だったこともタレントだったことも名子役だったことも、そういう本の奥付とか著者紹介みたいなので読んで知っていたが、私は文筆と運動にかかわるようになったあとの中山千夏しか知らんなあと、『幸子さんと私』に書かれた略歴や職歴を読んで思った。

長い長い時間と考察を経て、母を相対化し、「この人、嫌い」と思い、そう言えるようになった中山。「嫌いなひとといっしょに平和に生きていくには、それなりの心構えとやりかたがある」と、ほかの誰彼と同じように考えることができるようになった。

それでも、自分が書いたのを読んでさえぎょっとすると中山は書く。
▼母を平凡に嫌う言葉は、とてつもなく冷酷に聞こえる。それは、母親を相対化して扱う、ということ自体が、この社会この文化では忌むべき行為である、その感覚が私の心にも浸透しているからだ。姑には抱いていいごく平凡な感情が、母に対しては禁忌なのである。つまり、母親を絶対的な存在にする後押しを、この社会この文化はしているということだ。(p.15)

とりわけ気合いが入ってるのが5章「経済をめぐって」。他の章のページ数をはるかに越して、ここだけで80ページ。その前の4章「仕事をめぐって」も、うしろの6章「恋愛をめぐって」も、それなりの気合いで書かれているが、やはり経済問題である。

中山千夏は、母・幸子さんが繰り返し語り続けてきた"物語"に、まきこまれ、ひきずられ、困ってきたといえる。支配されてきたともいえる。その"母による物語"を、なんとか書き換えようとし、それはあんたの解釈や、私から見えてるものは違うんやと幸子さんに言おうとし、中山は何度も母の逆襲にあっている。

中山千夏が母・幸子さんとの間をぐりぐりと書いたのを読んでいて、私は父の言動を思い起こし、母の言動を思い起こした。もちろん同じ経験ではないけれど、わかるなアーと思った。この人たちが、「親」ではなくて、近所のおっさんやおばはんやったら、べつにええねんけどなーと私は思ってきた。「親」という立場の強さというか、こわさというか、そんなのをぐぐぐっと感じた一冊だった。ああ、コワ。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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