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秤にかけてはならない(徐京植)

秤にかけてはならない―日朝問題を考える座標軸秤にかけてはならない
―日朝問題を考える座標軸

(2003/10)
徐 京植

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徐京植さんの本は、これまで『子どもの涙』を読んでいるくらいだった。10月下旬に、徐さんが書いてる他の本を読みたいと思って、その日図書館にあったのが、この『秤にかけてはならない』だった。

この本の後半に収録されている「仙台での対話」を先に読んだせいで、なぜこの本のタイトルが「秤にかけてはならない」なのか、本の前半を読むまで分からずにいた。徐さんは、「拉致と植民地支配を秤にかけてはならない」(p.24)というのである。2002年9月17日の日朝平壌宣言以来、日本のなかで急速に勢いを増してきた論調とは全く逆の意味で、この両者を相殺してはならないと徐さんは主張する。
▼植民地支配という「制度」が支配者と被支配者との関係によって構成されていた以上、この「制度」を歴史的に克服することは、両者による、異なった角度からの、同じ方向に向けられた努力によってしか成し遂げられない。(p.34)

徐さんの危惧のとおり、日本のなかでは、植民地支配は当時の「時代精神」にかなうものだった、帝国主義国家はみんなそうだった、といった論調が公然と表明されはじめた。ひらたくいえば、「今の時代から見たらアカンことかもしれんけど、そういう時代やったんやから、日本だけがワルイんとちゃう」ということだろう。

徐さんは、この植民地主義、そして帝国主義の「時代精神」は、今も決して葬り去られていない、という。だからこそ、こうした精神が再び人類社会にのさばることの決してないように、植民地の人々が差別され酷使され搾取され、抵抗した者は殺されさえしたような時代が再びやってこないように、「植民地主義の時代精神」を葬り去り、完全に過去のものとすることが、日本人と朝鮮人の前にある課題だ、というのである。

関東大震災について徐さんが書いたこの箇所を読んで、胸をつかれた。朝鮮がかつて「日本」だったこと、それが朝鮮にとってどんなことだったか。
▼…1923年に関東大震災があって、朝鮮人6千人が虐殺されました。中国人も数十人虐殺されました。そのとき日本政府は中国政府に対しては、ある程度気を遣っているのですね。朝鮮人は全くの黙殺。朝鮮は「日本」だから。そのときに亡国の苦しみとか悲しみとかいうものは、ある浪漫的なセンチメンタルな話ではなくて、具体的に朝鮮人が6千人も殺されたのにそれを国際社会に訴える手段がないという、まさに具体的な問題として出てくるのです。(pp.176-177)

徐さんが「対話」の中で語った、『プリーモ・レーヴィへの旅』を読みたくて、続けて図書館で借りてきて読んだ。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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