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死んどるヒマはない―益永スミコ86歳

死んどるヒマはない―益永スミコ86歳

長いこと借りたままになっていた「死んどるヒマはない―益永スミコ86歳」のDVDをようやく見る。1923年、関東大震災のあった年に生まれたスミコさんの一代記。いちど見て、続けてもう一度見た。

助産婦としてはたらき続けるも貧乏で、生活に追われて、社会に目を向けるヒマもなかったというスミコさんが、ベトナム反戦運動を機にさまざまな活動に入っていく。職場の病院では組合をつくり、初代の委員長になる。医療関係で女性だけの組合は初めてのことだったという。それから、人権をまもる運動、死刑廃止運動、憲法9条をまもる運動などに関わり続け、80代の半ばをすぎた今も、街頭で、憲法9条をなくすなと言うてくださいとうったえながら署名をあつめ、東京拘置所へ面会に行き(スミコさんは三菱重工爆破事件の被告で死刑囚の益永利明さんの養母である)、裁判員制度はいらないと掲げて街を歩く。

スミコさんには娘がふたりいるそうだが、上の娘・陽子さんがこのDVDには出てくる(下の娘さんは直接出てこなかったが、どんな人なんかなあと思った)。陽子さんは、母には経済観念がまったくない、財布をまかせていたら、年末に米を買うお金もないくらいすっからかんになっていた、あっちへこっちへとカンパばかりしていて、本人は気分がいいでしょうけど…、と語る。これを聞いてて笑ってしまった。
死刑判決を受けた利明さんと養子縁組したいというスミコさんに、陽子さんは逡巡する。ちょうど死刑判決が出る直前、陽子さんはふたりめの子どもを産んだところだった。母に子どもをみてもらわなければ、自分は仕事もできない。けれど、肝心の母は、利明さんのことで心乱れ、泣いてばかりいる。こんなんで子どもをみてもらえないと、養子縁組の話を承諾したら、母は途端にニコニコ顔になってと語る。

「死刑囚の家族」という立場は、陽子さんの職場生活を不安定にし、失わせるものにもなった。

それでも陽子さんは、母とともに、時には母に代わって、東京拘置所へ面会に通いつづけた。利明さんは死刑判決を受けてから十数年、手紙も面会も全く許可されないままだったが、会えないと分かっていても通いつづけた。そのことを陽子さんは「表現しないと通じないのよ、この社会は」と語る。

スミコさんが、高校生たちの前で、戦時中のことを語る場面もあった。戦争とは縫い糸もなくなるのだと、着物の織り糸を引き抜いて使ったのだという話をスミコさんがしている。

すごい人やなーと思う一方で、スミコさんの真っ直ぐさ、揺らぎのなさにちょっと引いてしまう気持ちもある。このドキュメントに関心をもち上映会を見にくる人はどんな人やろうと思い、むしろ、関心もなく見に来ることもないであろう人は、たとえばどんなきっかけがあったら、ちょっと見てみようかなと思えるやろう?どうやったら届くやろう?と考えたりした。

スミコさんが、兵士として戦争に行き、そして生きて帰ってきた人たちのことを、「人を殺した罪は消えない」と語っていたところは、死刑囚となっている利明さんたちが自分たちの爆破事件で死傷者が出たことを悔いている、というところと、私にはごっちゃになって、「人を殺した罪は消えない」としたら、利明さんたちの罪はどうなるんかなーと思ったりした。
Genre : 日記 日記
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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