奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語(伊藤英樹)
![]() | 奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語 (2008/10/28) 伊藤 英樹 商品詳細を見る |
しばらく前にやっていた映画「ただいま~それぞれの居場所~」(5月の初めに、天皇制特集の「週刊金曜日」を買ったら、そこに映画評が載っていた)は、私は見そびれてしまったが、東京のフェミックス事務所に映画のパンフがあったので、読んでみる。宅老所「井戸端げんき」は、この映画に出てくる場所のひとつで、ここをつくった伊藤さんには、6月終わりのべてるまつりで『We』156号を買っていただいたのだった。
映画のパンフには三好春樹のおホメのコメントが載っていたりして、「Bricolage(ブリコラージュ)」懐かしいな~~と思う。そして、事務所にあった『奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語』をWeフォーラムの前後に読む。
「Bricolage(ブリコ)」は三好春樹が編集している月刊の直販雑誌で、90年代の半ばから10年くらいずっと購読していた。最初に三好春樹の本を読んだのは90年代の初めで、医学書院の『老人の生活リハビリ』や『老人の生活ケア』を買って、線を引いたりして読んでいた。
どうしてこの本にたどりついたかはもう忘れてしまったが、母の病気が一つのきっかけだったと思う。寝かせたままで食事をさせようとするから誤嚥するし、座位をとらないから出るもんも出ないし、壁に向かって行ったり来たりするリハビリのどこが楽しいねんという三好の主張は、時に少しばかり激しい気もしたが、納得できた。
そして、本を読んで数年後、ライブで三好春樹の話を聞く機会があって、そのときから「ブリコ」の購読を始めた。
『奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語』を読んでいると、毎号毎号の「ブリコ」に載っていた、「私、始めました」「こっちでも始めました」という宅老所やそれに類する場所をひらいた各地からの報告を思い出した。
ある年齢層の人だけが集められ、この時間に散歩に行って、この時間に昼ご飯を食べて、お風呂はこの時間で…というようなスケジュールの決まった「生活」を提供する施設、それは違う、人の暮らしはそんなんとちゃう、という心意気の人たちが、つくっていったのが、宅老所。お腹が減ったらご飯を食べ、入りたくなったらお風呂をわかし、散歩に行きたかったらふらっと出かける、ごちゃごちゃといろんな人が混ざってる、それが社会、それが生活の場。
こんな人は受け入れられません、という施設にはしない。必要な人は誰でも受け入れる。そうしてうまれた井戸端げんきのお話が書いてあるのだった。
数年前に私は「ブリコ」の購読を止めてしまったのだが、伊藤さんは私が読んでいた時期にもレポートを書いているらしい。バックナンバーは積んであるので、こんどさらってみようと思う。そして、久しぶりに購読を再開しようかな~と思った。
どうしてこの本にたどりついたかはもう忘れてしまったが、母の病気が一つのきっかけだったと思う。寝かせたままで食事をさせようとするから誤嚥するし、座位をとらないから出るもんも出ないし、壁に向かって行ったり来たりするリハビリのどこが楽しいねんという三好の主張は、時に少しばかり激しい気もしたが、納得できた。
そして、本を読んで数年後、ライブで三好春樹の話を聞く機会があって、そのときから「ブリコ」の購読を始めた。
『奇跡の宅老所「井戸端げんき」物語』を読んでいると、毎号毎号の「ブリコ」に載っていた、「私、始めました」「こっちでも始めました」という宅老所やそれに類する場所をひらいた各地からの報告を思い出した。
ある年齢層の人だけが集められ、この時間に散歩に行って、この時間に昼ご飯を食べて、お風呂はこの時間で…というようなスケジュールの決まった「生活」を提供する施設、それは違う、人の暮らしはそんなんとちゃう、という心意気の人たちが、つくっていったのが、宅老所。お腹が減ったらご飯を食べ、入りたくなったらお風呂をわかし、散歩に行きたかったらふらっと出かける、ごちゃごちゃといろんな人が混ざってる、それが社会、それが生活の場。
こんな人は受け入れられません、という施設にはしない。必要な人は誰でも受け入れる。そうしてうまれた井戸端げんきのお話が書いてあるのだった。
数年前に私は「ブリコ」の購読を止めてしまったのだが、伊藤さんは私が読んでいた時期にもレポートを書いているらしい。バックナンバーは積んであるので、こんどさらってみようと思う。そして、久しぶりに購読を再開しようかな~と思った。
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