母ひとり、娘ひとり(大沢あかね)
母ひとり、娘ひとり (2009/02) 大沢 あかね 商品詳細を見る |
テレビをあまり見ないこともあって、大沢あかねが誰なのかもはっきりしなかったが、こないだ「インタビューズ」の読書会うち合わせのときに、大阪出身の人の話になって、この本のこともチラと出たので、借りてきて読んでみた。
「お父さんな、銭湯行ったまんま帰って来ぉへんねん」
二歳の冬、公団の団地の狭い風呂場で、ボカスカと大喧嘩をしていた両親の姿が、大沢あかねの最初の記憶だという。その翌朝から、父は銭湯に行きっぱなし。離婚という言葉を知るのはずっと後のこと。「お父さんは本当はどこに行ったんやろう?」と子どもながらにぐるぐる考えていたものの、お父さんの話題はタブーであると感じてもいたあかね。
…読みはじめた最初は、小説やと思いこんでいたが、著者の名前と登場人物が同じなので、これは自伝的小説ってやつかと思いながら途中まで読んで、ふと図書館のラベルを見たら778.2。芸術?映画?ともかくフィクションではないのだった。
「母ひとり娘ひとり、生きていくためには手っとり早く水商売」、その母の仕事場へ、チビッコのあかねも一緒に出かけていた。
そして、北島三郎にあこがれて入った芸能界。大沢あかねは「天才てれびくんワイド」という番組と雑誌「ピチレモン」のモデルで知られているらしい。
子どものあかねは、ギャラのことは全部母にまかせていて、どれくらいの実入りがあるかしかとは知らなかったそうだが、「ピチレモン」のモデルをしていた頃は、母と一緒に新幹線で大阪から往復する交通費がかさみ、しかも人気が出て掲載ページが増えるほど撮影のために何度も上京せざるをえず、人気が出れば出るほどお金がなくなっていく状態で、それは切なかったと書いている。
安いホテルに泊まったりもしたが、いくら節約しても、毎月のホテル宿泊費が都内の一ヶ月分の家賃を超えるようになってきて、あかねと母は何度も話し合った結果、東京へ出ることにした。
ずっと住んできた公団の団地を出るときの心をあかねが書いている。
▼「ここへはもう戻ってきたくないなぁ」
もし戻ってきても、近所の人たちはきっと温かく迎えてくれることだろう。千島団地はそういうところだ。みんなで肩を寄せ合って生きているわけでもなければ、湿っぽい連帯感があるわけでもないのに、人々はちゃんとつながっていた。
でも、私にとって戻ることは、たぶん負けることに等しい。だから、ドアを閉めたら、二度とここに帰ってくるわけにはいかないのだ。(pp.117-118)
母ひとり娘ひとりで生きてきた23までのことを書いた最後に、あかねはこう書く。
▼夜のミナミを手をつないで歩いていた頃から今まで、幸せはずっと私たち親子が目指してきたゴールだった。
お母さんと私の人生はぬるくなかった。
苦労したとは言いたくないけど、母ひとり娘ひとりで生きるのは、なんだかんだと大変だった。
強く生きなければならなかったからこそ、同情も、傷のなめ合いもしなかった。
こんな親子関係は、世間一般から見れば少しおかしいのかもしれない。でも、私たちには、これが一番心地いいのだ。(p.217)
もし自分が、親との関係ふくめて、これまでのことを書くとしたら、どんなんなるかなーと思ったりもしながら読んだ。
そして、北島三郎にあこがれて入った芸能界。大沢あかねは「天才てれびくんワイド」という番組と雑誌「ピチレモン」のモデルで知られているらしい。
子どものあかねは、ギャラのことは全部母にまかせていて、どれくらいの実入りがあるかしかとは知らなかったそうだが、「ピチレモン」のモデルをしていた頃は、母と一緒に新幹線で大阪から往復する交通費がかさみ、しかも人気が出て掲載ページが増えるほど撮影のために何度も上京せざるをえず、人気が出れば出るほどお金がなくなっていく状態で、それは切なかったと書いている。
安いホテルに泊まったりもしたが、いくら節約しても、毎月のホテル宿泊費が都内の一ヶ月分の家賃を超えるようになってきて、あかねと母は何度も話し合った結果、東京へ出ることにした。
ずっと住んできた公団の団地を出るときの心をあかねが書いている。
▼「ここへはもう戻ってきたくないなぁ」
もし戻ってきても、近所の人たちはきっと温かく迎えてくれることだろう。千島団地はそういうところだ。みんなで肩を寄せ合って生きているわけでもなければ、湿っぽい連帯感があるわけでもないのに、人々はちゃんとつながっていた。
でも、私にとって戻ることは、たぶん負けることに等しい。だから、ドアを閉めたら、二度とここに帰ってくるわけにはいかないのだ。(pp.117-118)
母ひとり娘ひとりで生きてきた23までのことを書いた最後に、あかねはこう書く。
▼夜のミナミを手をつないで歩いていた頃から今まで、幸せはずっと私たち親子が目指してきたゴールだった。
お母さんと私の人生はぬるくなかった。
苦労したとは言いたくないけど、母ひとり娘ひとりで生きるのは、なんだかんだと大変だった。
強く生きなければならなかったからこそ、同情も、傷のなめ合いもしなかった。
こんな親子関係は、世間一般から見れば少しおかしいのかもしれない。でも、私たちには、これが一番心地いいのだ。(p.217)
もし自分が、親との関係ふくめて、これまでのことを書くとしたら、どんなんなるかなーと思ったりもしながら読んだ。
23:58 | Comment:0 | Trackback:0 | Top