奇蹟の画家(後藤正治)
![]() | 奇蹟の画家 (2009/12/08) 後藤 正治 商品詳細を見る |
おとといは、朝からずーーーーっとパソコンがついていて、夜の10時をすぎてようやく消した。入稿前にイソガシイのはフェミックスに入る前、『We』の校正を手伝っていた頃から同じといえば同じだが、校正をずっとやってると頭がつまったみたいになってくる。
こういうときは、チラっと本でも読んで、頭の風通しをよくしておかないと、調子がわるくなる…という経験則があるので、チラっとだけ、、と、年明けから4ヶ月待って、順番がまわってきたこの本を少し読む。
・・・・・・・・・・
結局、しまいまで読んでしまい、寝たのは夜中の1時すぎ(アホ)。
石井一男の絵は、天音堂での個展を見にいったことがある。そのとき石井さんも静かに会場におられた。その風景をおもいだす本だった。
独身で、棟割り住宅の二階に暮らし、その部屋は絵のほかにはほとんど何もない質素なもの。定職についたことはなく、生活はアルバイトで支えてきた。紹介されるときには「清貧」という形容が使われる。20代の後半に絵を描いた時期があったが、その後、40代後半になって「自分にはやはり絵しかない」と再び描きはじめるまでは、長い年月がある。
その年月のことを、神戸新聞の文化部記者だった山本忠勝がこう書いている。
▼…この人にとっては、実は生きること自体が、既に〈カンバスなき絵画〉だったのかもしれない。深層でイメージが独自の成熟を遂げていたのだ。一気に描かれるべき女たちがあふれ出した。
すべて二号から四号の小品だが、それら小窓の中に結晶した女たちは、現世的なあらゆる要素、すなわち欲望や生活感、意思といったものからほぼ完全に抜け出して、このうえなく純粋な存在へと〈羽化〉している。隠者のような沈黙の裏で、画家がひそかに彫琢してきた、おそらくは〈第四の性〉。…(pp.185-186、原文は神戸新聞1992年10月7日)
「絵を描くこと」について、後藤は、石井のこんな話を書きとめている。
▼「ほとんど我流でやってきたわけでして…設計図があって描く画家もおられるんでしょうが、私の場合は行き当たりばったりといいますか…下塗りの段階では人物になるのかそれ以外のものかということもわからないんです…塗っていくうちになにかこう天井のシミのようなものがぽっと現れて、それに引っ張られてといいますか、なにか内側から呼んでくれるものを待っているといいますか…この絵の場合でいえば、黒地の中から白っぽい顔のようなものが浮かんできて…それをなぞっているうちに表情になってきて…」
内側から呼んでくれるもの。表現行為のすべてにわたって普遍的な核[コア]を形成するものであろう。説明不能のあるなにか─。
呼ばれるときがすぐに訪れるときがある。訪れぬときもある。絵筆を置いて、そのときを待つ。翌日に、あるいは数日後にやってくるときもある。訪れぬまま、下塗りのままに仕舞われていく絵もある。(p.148)
ギャラリー島田の島田誠との出会いが、画家・石井一男をうんだともいえる。初めて石井の絵を見たときのことをふりかえって、島田は、「これだけの作品を描ける人が四十九歳まで、どこにも作品を発表せず、完全に無名で、かつ展覧会を何度も開けるくらいの高い作品を描き続けていたとは、信じられない」(『無愛想な蝙蝠』)と書く。
島田誠、そして石井の絵と出会い、石井の作品を求め、石井の作品をまた見たいと足を運ぶ人たちを取材して、この本は石井一男という人を書いている。
天音堂でもまた見たいと思うけれど、ギャラリー島田での石井一男展にも行ってみたいなーと思う。
独身で、棟割り住宅の二階に暮らし、その部屋は絵のほかにはほとんど何もない質素なもの。定職についたことはなく、生活はアルバイトで支えてきた。紹介されるときには「清貧」という形容が使われる。20代の後半に絵を描いた時期があったが、その後、40代後半になって「自分にはやはり絵しかない」と再び描きはじめるまでは、長い年月がある。
その年月のことを、神戸新聞の文化部記者だった山本忠勝がこう書いている。
▼…この人にとっては、実は生きること自体が、既に〈カンバスなき絵画〉だったのかもしれない。深層でイメージが独自の成熟を遂げていたのだ。一気に描かれるべき女たちがあふれ出した。
すべて二号から四号の小品だが、それら小窓の中に結晶した女たちは、現世的なあらゆる要素、すなわち欲望や生活感、意思といったものからほぼ完全に抜け出して、このうえなく純粋な存在へと〈羽化〉している。隠者のような沈黙の裏で、画家がひそかに彫琢してきた、おそらくは〈第四の性〉。…(pp.185-186、原文は神戸新聞1992年10月7日)
「絵を描くこと」について、後藤は、石井のこんな話を書きとめている。
▼「ほとんど我流でやってきたわけでして…設計図があって描く画家もおられるんでしょうが、私の場合は行き当たりばったりといいますか…下塗りの段階では人物になるのかそれ以外のものかということもわからないんです…塗っていくうちになにかこう天井のシミのようなものがぽっと現れて、それに引っ張られてといいますか、なにか内側から呼んでくれるものを待っているといいますか…この絵の場合でいえば、黒地の中から白っぽい顔のようなものが浮かんできて…それをなぞっているうちに表情になってきて…」
内側から呼んでくれるもの。表現行為のすべてにわたって普遍的な核[コア]を形成するものであろう。説明不能のあるなにか─。
呼ばれるときがすぐに訪れるときがある。訪れぬときもある。絵筆を置いて、そのときを待つ。翌日に、あるいは数日後にやってくるときもある。訪れぬまま、下塗りのままに仕舞われていく絵もある。(p.148)
ギャラリー島田の島田誠との出会いが、画家・石井一男をうんだともいえる。初めて石井の絵を見たときのことをふりかえって、島田は、「これだけの作品を描ける人が四十九歳まで、どこにも作品を発表せず、完全に無名で、かつ展覧会を何度も開けるくらいの高い作品を描き続けていたとは、信じられない」(『無愛想な蝙蝠』)と書く。
島田誠、そして石井の絵と出会い、石井の作品を求め、石井の作品をまた見たいと足を運ぶ人たちを取材して、この本は石井一男という人を書いている。
天音堂でもまた見たいと思うけれど、ギャラリー島田での石井一男展にも行ってみたいなーと思う。
23:13 | Comment:0 | Trackback:0 | Top