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このところ読んだ本など―いのちに贈る超自立論/自伝的女流文壇史

いのちに贈る超自立論―すべてのからだは百点満点 自伝的女流文壇史 改版 (中公文庫 R 15)

諸般の事情で、次号『We』の入稿を遅らせることになり、この一週間はずっと校正と原稿の直し。ぞろぞろファックスで流れてくるゲラとパソコンの画面を交互に見ていると、この頃また一段と目が悪くなった気がする。目が疲れるせいか、気がつくと眉間にシワを寄せていたりする。
安積遊歩『いのちに贈る超自立論―すべてのからだは百点満点』太郎次郎社エディタス
『We』164号に太郎次郎社さんの広告をもらってこの本が載り、それと前後して『We』読者の複数の人から、読んだ読んだと話を聞いて、私も図書館にリクエストしてみた。

安積遊歩というと『生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学』とまず思うが、40で子どもを産んだ話を書いた本も出てるらしい。

安積のからだは「骨形成不全症」とよばれるが、私のからだはこれで「完全」という思いの安積にはムカつくレッテル。

そのからだをもつ安積は、かつて従軍慰安婦に対する羨望をもっていた、と率直に書いている。「私よりましだ」「女性として、性的な存在として見られていることがうらやましい」「たとえ暴力の中であっても、性的な関係をもてたほうがマシだ」(p.92)と、そう思ってしまうほど、安積には自分の身体に「不全」感があったのだろうと思う。

今の安積は、従軍慰安婦とされた人たちに謝罪することだけでは足りない、その痛みや苦しみに耳を傾けつづけること、わかちあうことが大切だという。

プライバシーと自立観の話はおもしろかった。安積たちの共同生活のルールは「自分の部屋はない」だという。

▼…プライバシー、プライバシーというけれど、いまの社会、なにも個室に閉じこもらなくとも、一歩外に出れば,簡単にひとりの世界になってしまうではないか。なにしろ、できるだけ他人と関わりをもちたくないという人ばかりなのだから。
満員電車のなかで、肩が触れあうくらい人に囲まれていても、ひとりの世界。(p.150)

とくに安積のトイレの話は、同居人が入院していた頃を思い出させた。

▼疲れていると、抱えられてトイレに行くのさえおっくうになることがあって、できれば溲瓶を使いたいと思うことがある。ところが、こちらがちゃんとそれを説明しないかぎり、障害をもっていない人たちは、トイレに連れていってほしいのだろうと迫ってくる。(p.153)

同居人は、入院中に身体の状態のために「絶対安静」を言い渡されていた時期があった。その頃は食べるのもトイレもすべてベッドの上だった。

周りにも、同じように一時的に「ベッドの上でトイレ」状態の人が何人かいたが、とくに「大」の世話になるのは絶対イヤだと言う人ばかりだった。ある人は「ちょうど便秘になったから世話にならんですんだ」と言い、ある人は「絶対イヤだったけど、仕方なく」ナースコールを押したと言っていた。

ところが、同居人は全然ちがっていて、毎日毎日ナースコールで「出ます~」と看護婦さんをよび、ぷりぷりと「大」の世話をして尻を拭いてもらって、看護婦さんたちをうらやましがらせ、あきれさせていた。看護婦さんたちは三交代勤務という不規則生活のせいだろう、便秘の方が多いらしく「私は全然出ないのに、毎日毎日…」という羨望を語られたらしい。

毎日毎日なんのためらう様子もなくナースコールを押してトイレの世話を頼んでいた同居人は、ある日とうとう「もう自分でトイレに行ってください」と看護婦さんに言い渡された。「楽でいい」と人に尻を拭いてもらっていた同居人は、看護婦さんにとってもあまり見たことのないタイプだったらしく、「ふしぎな人ですよね」と私も聞かされたりした。ベッドから動けない生活になると、精神的におかしくなる人もあるらしく、絶対安静を言い渡された最初の頃は、しょっちゅう看護婦さんや担当の研修医さんがのぞきにきていた。しかし、本を読んだり、ゲームをしたり、ずっとベッドの上の同居人がまったく平気な様子は、それもふしぎだったらしい。

トイレの世話になるのは絶対イヤだと言う人に「イヤじゃないのか」と訊かれて、同居人は「え~、楽でいいじゃないですか~」と言っていたから、ただのずぼらなのかもしれない。

この経験から「便秘は運動不足というのは大嘘です、ベッドで寝たきりでもぷりぷり毎日出ます、やはり規則正しい生活でしょう」と同居人は語っていた。

安積の自立観は、「自己決定権や選択権を行使できること」+「よりよい相互依存の関係を築くこと」。自分と同じ「骨形成不全症」とよばれる身体をもつ娘に対して「心配ババア」になってしまって「ウザイ」と言われる安積の姿が書かれているのもじつによかった。

吉屋信子『自伝的女流文壇史』中公文庫 
この本は、2月にある本屋で見かけて、買おうかな…と手をのばしたのだった。「限定復刊」の帯つきで、その厚さから600円か700円くらいかなと思ったところが、その倍もする値段にビビって、思わず棚に戻してしまった。

周りの文庫棚をうろうろしたあとに、もう一度手にとり、ちらちらと立ち読みし、しかし、1400円ほどする値段にやはり棚に戻して帰ってしまった。帰ってamazonで検索してみたら、限定復刊だけあって在庫はもうないらしく、古本はそれ以上の値段で売っていて、とりあえず図書館にたのむ。

近所には単行本しかなかったので、巻末に豊崎由美の「裏表のない「鮮やかな肖像画」」の入った改版の文庫を読みたいとたのむと、ヨソの図書館から相貸で届いた。

これが、滅法おもしろい。


吉屋信子というと、田辺聖子くらいの世代が読みふけった少女小説、という、実にぞんざいな知識しかなかった。小説を読んだこともなかったし、田辺聖子あたりが読みふけったことに興味はあるものの、そのへんで気軽に買える文庫も出てないし。

この『自伝的女流文壇史』は、若くしてその小説を認められて世に出た吉屋信子が、長い長い作家生活のなかで遇った女性の作家10人、それも故人となった人たちを書いたものである。

田村俊子、岡本かの子、林芙美子、宮本百合子、三宅やす子、真杉静枝、長谷川時雨、矢田津世子、ささき・ふさ、山田順子。

他の人が書いた評伝を読んだ人もあるし、名前くらいは知ってる人もあれば、全然知らない人もあるが、ともかく、この人たちは明治・大正・昭和の間の作家で、吉屋信子にどこかで縁があった人である。吉屋の語り口は、好きな本、忘れられない本、印象深かった本を語るかのごとく、時にはゴシップ風でもあったりするのだが、無責任な噂話ではなくて、吉屋の目を通して、このように見えたあの人、が書かれているところによさがある。

楽しいワルクチ、というのは失礼か。
吉屋信子の目のつけどころ、その文章、ともにほれぼれした。おもしろすぎる~。あの本屋にもしまだあったら、今度買ってしまうかもしれない。

そして私は、駒尺喜美が書いた「民間日本学者」の評伝『吉屋信子―隠れフェミニスト』を見つけて借りてきて、これを読んでるところだが、吉屋信子に対する興味がいよいよ増すのであった。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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