「島成園と堺の日本画家-美人画・花鳥画の枠-」(堺市立文化館)

駅とつながったツインタワーに、文化館があり、ギャラリーと与謝野晶子文芸館とアルフォンス・ミュシャ館がある。堺にこれがあるのは知っていたが、入るのは初めて。ギャラリーの観覧は無料だが、せっかく来たし、晶子館とミュシャ館も見ようと、そっちの入場料を払う。
堺の駅は初めて降りた。もっと都会かと思っていたら、うちの近所の駅と同じくらいの感じで、駅ビルの中の空き具合、さびれ具合もよく似ていた(駅の向こうの商店街を歩いてみたら、もしかしたら印象が違うのかもしれない)。
島成園(しませいえん)は、堺にどういうゆかりがあるんやろと思ったら、堺の出身だった。堺としても、晶子と並んで力の入れどころなのか、「堺市蔵」という絵がたくさんあり、初めて見るものがほとんどだった。成園が絵師ということだろうが、木版のものもあった。
ポスターやチラシになっていたのは「影絵」という絵。(この絵くらいは絵はがきつくってほしかったな)
日本画に「影」って珍しいよな~と思う。
↓本の表紙にもつかわれている。

島成園の絵のほかに、堺ゆかりの人たちの絵(大正や昭和の古いものがほとんどだったが、2000年代の絵もまじっていた)があり、成園がとりあげられた当時の新聞(ややゴシップ的なものも含む)の複写パネルも展示されていて、その記事をよんでいると、今読んでる吉屋信子の『自伝的女流文壇史』の時代も同じこんな頃なんやなー、女性の画家や小説家はこんな風に新聞に載ったりもしたんやなーと思った。「女流」とついて。
上村松園(うえむらしょうえん)、池田蕉園(いけだしょうえん)と並んで「三園」とうたわれた成園。絵ばかり見てたけど、こんど『島成園と浪華の女性画家』でも読んでみようかなと思った。
中村貞以の絵もあった。大阪市近美でも何度か見たことがある。写真パネルには貞以がうつったのもあって、そこに「合掌描き」と書かれていた。貞以は,幼いときのやけどで指が自由にうごかなくなり、筆を両手ではさんで描いていたのだという。そんなんはこれまで全然知らんかったので、へーーー、こんなんして両手に筆をはさんで、それでこんな絵やあんな絵をこの人は描いてきたんかとびっくりした。写真でみると、ちょうど水を掬うときのように両手をならべ、その間に筆をはさんでいる。
ギャラリーを見たあと、上の階の「与謝野晶子 生涯と作品」(第3期)と、アルフォンス・ミュシャ館の「開館10周年 リクエスト展」を見た。
晶子朗読のレコードが流されていて、直筆の原稿や短冊などもあって、おお、晶子はこんな声でこんな字を書いたんかと思って見た。
堺出身の晶子はわかるが、なぜ堺にミュシャ?晶子が「みだれ髪」や「明星」などに、どう見てもミュシャのパクリのような絵を入れたりしていたという縁か?と思っていたら、堺のミュシャコレクションは、どどーんと大口の寄贈があったものだった。
こないだ姫路で大野麥風のスゴイ版画を見たが、ミュシャの「石版画(リトグラフ)」も、こりゃまたスゴイ腕をもった職人さんがおったんやなあとつくづく思った。一点物の「原画」もそれはそれでスバラシイが、版画という技術ができて(それは活字の印刷ができたのと似てると思う)、多くの人に同じもんがわたるようになった。
ミュシャは人気あったんやろうなと思う。カレンダーやお菓子の包装、レストランのメニュー札みたいなのもあった。ミュシャというと「あれ」というくらいデザインポスターが浮かぶが、本の挿絵(水彩)やブロンズの像、それからミュシャが描いた女性が身につけていたのを欲しいという人があってデザインしたアクセサリー(ヘビの指輪とブレスレット)もあって、いろんな表現やってるんやと思った。
展示の最後には、ミュシャが故郷を描いた油彩の連作が紹介されていた。スラヴ民族の歴史を描いた「スラヴ叙事詩」というもの。故郷のチェコに戻ったミュシャが20年かけて描いたものだそうだ。
晶子もミュシャも、「君死にたまうことなかれ」の人、「アールヌーボーのポスターの人」というように、ある一面がひじょうに強調されることが多いよなと思った。この堺の展示は、二人を多面的に見せてくれて、よかった。
ポスターやチラシになっていたのは「影絵」という絵。(この絵くらいは絵はがきつくってほしかったな)
日本画に「影」って珍しいよな~と思う。
↓本の表紙にもつかわれている。

島成園の絵のほかに、堺ゆかりの人たちの絵(大正や昭和の古いものがほとんどだったが、2000年代の絵もまじっていた)があり、成園がとりあげられた当時の新聞(ややゴシップ的なものも含む)の複写パネルも展示されていて、その記事をよんでいると、今読んでる吉屋信子の『自伝的女流文壇史』の時代も同じこんな頃なんやなー、女性の画家や小説家はこんな風に新聞に載ったりもしたんやなーと思った。「女流」とついて。
上村松園(うえむらしょうえん)、池田蕉園(いけだしょうえん)と並んで「三園」とうたわれた成園。絵ばかり見てたけど、こんど『島成園と浪華の女性画家』でも読んでみようかなと思った。
中村貞以の絵もあった。大阪市近美でも何度か見たことがある。写真パネルには貞以がうつったのもあって、そこに「合掌描き」と書かれていた。貞以は,幼いときのやけどで指が自由にうごかなくなり、筆を両手ではさんで描いていたのだという。そんなんはこれまで全然知らんかったので、へーーー、こんなんして両手に筆をはさんで、それでこんな絵やあんな絵をこの人は描いてきたんかとびっくりした。写真でみると、ちょうど水を掬うときのように両手をならべ、その間に筆をはさんでいる。
ギャラリーを見たあと、上の階の「与謝野晶子 生涯と作品」(第3期)と、アルフォンス・ミュシャ館の「開館10周年 リクエスト展」を見た。
晶子朗読のレコードが流されていて、直筆の原稿や短冊などもあって、おお、晶子はこんな声でこんな字を書いたんかと思って見た。
堺出身の晶子はわかるが、なぜ堺にミュシャ?晶子が「みだれ髪」や「明星」などに、どう見てもミュシャのパクリのような絵を入れたりしていたという縁か?と思っていたら、堺のミュシャコレクションは、どどーんと大口の寄贈があったものだった。
こないだ姫路で大野麥風のスゴイ版画を見たが、ミュシャの「石版画(リトグラフ)」も、こりゃまたスゴイ腕をもった職人さんがおったんやなあとつくづく思った。一点物の「原画」もそれはそれでスバラシイが、版画という技術ができて(それは活字の印刷ができたのと似てると思う)、多くの人に同じもんがわたるようになった。
ミュシャは人気あったんやろうなと思う。カレンダーやお菓子の包装、レストランのメニュー札みたいなのもあった。ミュシャというと「あれ」というくらいデザインポスターが浮かぶが、本の挿絵(水彩)やブロンズの像、それからミュシャが描いた女性が身につけていたのを欲しいという人があってデザインしたアクセサリー(ヘビの指輪とブレスレット)もあって、いろんな表現やってるんやと思った。
展示の最後には、ミュシャが故郷を描いた油彩の連作が紹介されていた。スラヴ民族の歴史を描いた「スラヴ叙事詩」というもの。故郷のチェコに戻ったミュシャが20年かけて描いたものだそうだ。
晶子もミュシャも、「君死にたまうことなかれ」の人、「アールヌーボーのポスターの人」というように、ある一面がひじょうに強調されることが多いよなと思った。この堺の展示は、二人を多面的に見せてくれて、よかった。
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