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このところ読んだ本など―八朔の雪/花散らしの雨/漱石を愛したフェミニスト

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫) 花散らしの雨 みをつくし料理帖 漱石を愛したフェミニスト―駒尺喜美という人

高田郁×島崎今日子トークを聞きにいったときに貸してもらった「みをつくし料理帖」シリーズの、『八朔の雪』を先週読み、昨日『花散らしの雨』も読んでしまう。この2冊の間に田中喜美子の『漱石を愛したフェミニスト』を読んだ。「みをつくし料理帖」は3冊目の『想い雲』の広告が今日の新聞に大きく載っていた。マンガにもなったとその広告には書いてあったが、あまり好みの絵柄ではなく、見んとこ…と思う。
高田郁『八朔の雪―みをつくし料理帖』ハルキ文庫
大阪(当時は大坂か)にちなんで「澪」と名づけられた主人公が、江戸で料理人として成長していく話。「澪」の幼なじみの名は「野江」、谷町線にある知らないとちょっと読めない駅名(野江内代)にちなむという。

冒頭から、「せっかくの深川牡蠣を…こんな酷いことしやがって」と江戸の客からぶるぶると怒りにふるえる江戸の客が登場。上方と江戸の、味のちがい、暮らしのちがい、そして澪がなぜ江戸で料理人として働いているのか、「ごりょんさん」と慕う人と同じ夜着をかぶって寝ているのはなぜか…といったことが、少しずつ明らかになってくる。

4つの章は、それぞれ「ぴりから鰹田麩」「ひんやり心太」「とろとろ茶碗蒸し」「ほっこり酒粕汁」を軸に、澪とその料理、そして周りの人びとの姿を描く。

これがまたウマそうで…。


巻末にレシピが載っていて、先日のトークによれば、これは全て作者が「ちゃんとつくってみた」料理であり、母の味でもあるらしい。

高田郁『花散らしの雨―みをつくし料理帖』ハルキ文庫
シリーズ1冊目と同じように、4つの料理─「ほろにが蕗ご飯」「こぼれ梅」「なめらか葛饅頭」「忍び瓜」を軸に、4つの章が収められている。なぜか1冊目より、こころもち活字が大きい。

おりょうが太一からうつった麻疹に倒れ、その看病のため芳も、澪が料理人をつとめる「つる家」に出られなくなる。その間の助っ人として「つる家」を手伝いにきた「りう」がなかなかおもしろい。病後の太一の体力回復を願って澪がつくった白粥と茶碗蒸しは「食べなきゃ元気になれない」とすすめる澪の手を払って、拒まれた。

結局太一に何も食べさせることができなかった、食べないとだめなのにという話を澪が店でしていると、「そりゃあいけませんねえ」とりうが言う。店主の種市は「人間、食わねぇのが一番いけねえ」と言い、それに同意する澪を前に、りうは「本当に何もわかってない」と強い声でそれをたしなめる。

「食べる、というのは本来快いものなんですよ。快いから楽しい、だからこそ、食べて美味しいと思うし、身にも付くんです。それを『食べなきゃだめだ』と言われて、ましてや口に食べ物を押しつけられて、それで快いと、楽しいと思えますか?」(p.198)

こう言われて澪は初めて気づくのだ。食べることが、果たさねばならない務めになってしまえば、決して快くも楽しくもないだろうと。
りうは澪に重ねてこう言う。

「まずはあんたが美味しそうに食べてみせる。釣られてつい、相手の箸が伸びるような、そんな快い食事の場を拵えてあげなさい。匙を相手の口に押しつけるよりも、そっちの方がずっと良いと、あたしゃ思いますよ」(p.199)

田中喜美子『漱石を愛したフェミニスト―駒尺喜美という人』思想の科学社
本が出ているのはチェックしていたが、なかなか図書館でゆきあたらず、やっとこないだ手に入る。表紙写真は誰やろな~とアホなことを思っていたが、作者のわけはなく、これはやはりこの本で書かれている人・駒尺喜美なのであった。本の中にも、若い頃から、歳をとった姿まで、駒尺喜美の写真がたくさん入っている。ゆったりした字組みで、字も大きいのは、駒尺喜美といって「駒尺喜美!」と分かる人、この本を読むかもしれない人の多くが、もうずいぶんご年輩だろうという配慮か。

かつて、投稿誌「わいふ」(現「Wife」の前身)の編集長を30年にわたって務めた田中喜美子が、駒尺喜美の生涯を描こうとした本である。

読んでいて、そうか~駒尺喜美は大学のセンセやったんやな~と思う(本はいくつか読んでいるが、大学のセンセ、とという印象がなかった)。

駒尺喜美が、自分の思想の座標軸として探りあてた「ミーハーの立場」、そして「差別と区別」の話が、私にはひときわ印象深かった(『雑民の魂』は読んでいるはずだが、全然記憶にないし…)。

ミーハーとは何か、『雑民の魂』には、このように書かれているらしい。
▼あらゆる意味での弱者、権威も権力も持たぬ人、知力や金力で人を支配する側に廻らぬ人、等々と考えてみたが、苦しまぎれに一言で規定してしまうと、受け身の場で生きている人々のこと、操られる側の人間、とそういっておこうと思う。

そして、駒尺喜美は、断固としてこの「ミーハーの立場」に立つことを宣言しているのだという。

「差別と区別」について、著者の田中喜美子は自身の体験もまじえてこう書く。
▼人種差別の根源にも、女性差別の根源にも、相手を自分と同種の動物と見ず、異種の動物として区別する感覚が潜んでいる。
 「差別」ならまだいい。相手を差別する人々は、ともあれ彼らを同じ土俵の上に乗せている。ところが「区別」となると、最初から自分と相手の間に何の共通点も認めず、別扱いにしているのである。
 駒尺喜美が怒りをこめて告発するのは、一見科学的なよそおいを取った「区別」が、実はありきたりな「差別」よりはるかに深く、根源的な「差別」の源として存在していること、そして「区別」という言葉でウカウカと「差別」の現実を受け入れてはならないということであった。
 彼女は女性として「区別」されることにより、「つねに差別され続ける側」に分類される自分自身を意識しつづけたフェミニストだったのである。(pp.139-140)

駒尺喜美の本は、この本でも言及されている『魔女の論理』『雑民の魂』、中村隆子さんとのコマッタカの本(『お気楽フェミニストは大忙し』)、編者をつとめた『女を装う』『高村光太郎のフェミニズム』などを読んだことがある。『魔女の論理』の増補改訂版(たしか不二出版から出たやつ)と『雑民の魂』の文庫本(たしか講談社)は手に入れてもっていたはずが、見当たらない。

この本、おもしろかったが、惜しまれるのは校正が粗いこと。私が読んでいて気づいただけでも、かなりあちこちに校正ミスとおぼしき箇所があり、なんとかもう一手間かけられなかったのか…と残念に思った。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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