再びの「ハンス・フィッシャーの世界」展(伊丹市立美術館)

グリム童話より
ハンス・フィッシャー え
さとう わきこ やく
定価 1,575円(税込)
発行 小さな絵本美術館
発行日 2009年4月15日
こないだ一度見にいった「ハンス・フィッシャーの世界」展へ、今日は『We』も「ブックマーク」も読んでくれているNさんと、その子ども1(小5)、子ども2(小1)と一緒に再び見にいく。
大人の感想としては「ブレーメンのおんがくたい」も「いたずらもの」も「ながぐつをはいたねこ」もえらいことヒドイ話や、と思ったが、子どもらは、このお話をどう見るんやろ?どんなところがオモロイと思うやろ?と、勝手にわくわく。
こないだは館内がスウスウと冷えたので上着を着たまま見てまわったが、今日は開館直後に入ったというのに、館内はもわもわとあたたかく、荷物と上着はロッカーへ押し込んで見物。
それでも館内は上着をぬいでちょうどいいというより、あたたかすぎるくらいで、そのためか子どもは途中で「ねむい」と言い出したり、「ハラヘッタ」モードになってきて、最後の展示室あたりは「ごはんごはん」とつぶやいていたりで、久しぶりに生身の子どもと一緒に美術館をまわったのはなかなかおもしろかった。
昼ご飯はクロスロードカフェへ食べにいき、お腹が減った…としなびたようになっていた子どもらも、食べるものにありつくと、血色もよくなり、元気がよみがえった!
「なにがおもしろかった?」と訊いてみると、子ども1(小5)は、くすくすと思い出し笑いをして反芻しながら、「いたずらもの」と「たんじょうび」の話をする。
最初の3カットぐらいは牧歌的なニワトリの話にみせかけて、このニワトリ夫婦が極悪。ヨソの山へ入ってクルミをたらふく食べて「歩いて帰るのが面倒になって」クルミで小さな車をこしらえる(ここで、そのハライッパイ体型では乗れんやろ、とツッコミを入れたくなる)。
あんたが引けとお互い押しつけあってるところへ人の山でクルミを勝手に食って何をしとるねんと出てきた鴨。この鴨を小突きまわした挙げ句に、ニワトリ夫婦は自分らが乗ったクルミの車を引かせる。途中で、酔っぱらいのぬい針とまち針を乗せ、宿屋へ。
宿屋の主人は、一度は断るが、めんどりのうんだ卵をあげますから、鴨も卵をうむのであげますからと言いくるめられて、泊めることに。
この卵をあげます、鴨をあげますのところが、子ども1(小5)のココロをいたくつかんだもよう。うふうふと笑いながら、卵をあげますからって、うふうふ、鴨も卵をうみますのでって、うふうふ、と笑いながら話すのを見ていると、このおかしな話は、子どもにとって、こんな風におもろいねんなーと、私も楽しい気分になってきた。
泊めてもらった宿屋で、「飲めや歌えのおおさわぎ」をしたニワトリ夫婦に鴨とぬい針、まち針のご一行。フィッシャーの子どもは、この「飲めや歌えのおおさわぎ」が気に入っていたらしい。
翌朝、ニワトリ夫婦は、あげますと言ってたはずの卵を自分らで食べて、殻をかまどに捨て、宿屋の主人のタオルと椅子に針を刺して、金も払わずにとんずらする。鴨も目をさまして、川を泳ぎ去る。
起きてきた宿屋の主人は、かまどの火をつけたところではじけた殻に目をやられ、顔をふいたら針で顔を引っ掻き、やれえらい目にあったと椅子に腰をおろしたら針がぶっすり刺さるという、ふんだりけったりの目にあう。主人は昨夜の客の仕業だと部屋を探すが、すでにもぬけのからで、二度とあんないたずらものを泊めるか!と思う。
いや、ほんまにヒドイ話。
帰ったNさんの報告によると、このグリム童話からとられた話、邦訳絵本は「いたずらもの」となっているが、原題は「ならずもの」だという。それを聞いてちょっと納得。
もうひとつ、「たんじょうび」の話の中で子ども1(小5)の印象に残っているのは、「ぼんやりしていて、よく切れる斧で足をちょっとけがした犬」。血がたらたらっと流れる絵、そのあとリゼッテおばあさんに包帯を巻いてもらう犬。
ぼんやりしていて、ちょっとけがをしましたって、うふうふ、血がたらたらって、うふうふ、とこれも笑いながら話す。
この「たんじょうび」の話には、ぼんやりものの山羊も出てきて、リゼッテおばあさんの誕生日のお祝いに花を摘みにいくが「ぼんやりしていると、花を食べそうになって」云々。じつにおかしい。
こんな風に子どもは「おはなし」を楽しむんやなーと、昔むかしの自分も、もしかしたらこんなんやったんかなあと思い、子どもと一緒に見にいったのは、じつに楽しかった。
もう何年前になるか、福岡へ遊びにいったとき、泊めてもらった先輩のところの子ども(小2くらいだった)と2人で美術館へ行ったことがある。あの、小学生の子どもと手をつないで見にいった福岡アジア美術館も、楽しかった思い出。
それでも館内は上着をぬいでちょうどいいというより、あたたかすぎるくらいで、そのためか子どもは途中で「ねむい」と言い出したり、「ハラヘッタ」モードになってきて、最後の展示室あたりは「ごはんごはん」とつぶやいていたりで、久しぶりに生身の子どもと一緒に美術館をまわったのはなかなかおもしろかった。
昼ご飯はクロスロードカフェへ食べにいき、お腹が減った…としなびたようになっていた子どもらも、食べるものにありつくと、血色もよくなり、元気がよみがえった!
「なにがおもしろかった?」と訊いてみると、子ども1(小5)は、くすくすと思い出し笑いをして反芻しながら、「いたずらもの」と「たんじょうび」の話をする。
最初の3カットぐらいは牧歌的なニワトリの話にみせかけて、このニワトリ夫婦が極悪。ヨソの山へ入ってクルミをたらふく食べて「歩いて帰るのが面倒になって」クルミで小さな車をこしらえる(ここで、そのハライッパイ体型では乗れんやろ、とツッコミを入れたくなる)。
あんたが引けとお互い押しつけあってるところへ人の山でクルミを勝手に食って何をしとるねんと出てきた鴨。この鴨を小突きまわした挙げ句に、ニワトリ夫婦は自分らが乗ったクルミの車を引かせる。途中で、酔っぱらいのぬい針とまち針を乗せ、宿屋へ。
宿屋の主人は、一度は断るが、めんどりのうんだ卵をあげますから、鴨も卵をうむのであげますからと言いくるめられて、泊めることに。
この卵をあげます、鴨をあげますのところが、子ども1(小5)のココロをいたくつかんだもよう。うふうふと笑いながら、卵をあげますからって、うふうふ、鴨も卵をうみますのでって、うふうふ、と笑いながら話すのを見ていると、このおかしな話は、子どもにとって、こんな風におもろいねんなーと、私も楽しい気分になってきた。
泊めてもらった宿屋で、「飲めや歌えのおおさわぎ」をしたニワトリ夫婦に鴨とぬい針、まち針のご一行。フィッシャーの子どもは、この「飲めや歌えのおおさわぎ」が気に入っていたらしい。
翌朝、ニワトリ夫婦は、あげますと言ってたはずの卵を自分らで食べて、殻をかまどに捨て、宿屋の主人のタオルと椅子に針を刺して、金も払わずにとんずらする。鴨も目をさまして、川を泳ぎ去る。
起きてきた宿屋の主人は、かまどの火をつけたところではじけた殻に目をやられ、顔をふいたら針で顔を引っ掻き、やれえらい目にあったと椅子に腰をおろしたら針がぶっすり刺さるという、ふんだりけったりの目にあう。主人は昨夜の客の仕業だと部屋を探すが、すでにもぬけのからで、二度とあんないたずらものを泊めるか!と思う。
いや、ほんまにヒドイ話。
帰ったNさんの報告によると、このグリム童話からとられた話、邦訳絵本は「いたずらもの」となっているが、原題は「ならずもの」だという。それを聞いてちょっと納得。
もうひとつ、「たんじょうび」の話の中で子ども1(小5)の印象に残っているのは、「ぼんやりしていて、よく切れる斧で足をちょっとけがした犬」。血がたらたらっと流れる絵、そのあとリゼッテおばあさんに包帯を巻いてもらう犬。
ぼんやりしていて、ちょっとけがをしましたって、うふうふ、血がたらたらって、うふうふ、とこれも笑いながら話す。
この「たんじょうび」の話には、ぼんやりものの山羊も出てきて、リゼッテおばあさんの誕生日のお祝いに花を摘みにいくが「ぼんやりしていると、花を食べそうになって」云々。じつにおかしい。
こんな風に子どもは「おはなし」を楽しむんやなーと、昔むかしの自分も、もしかしたらこんなんやったんかなあと思い、子どもと一緒に見にいったのは、じつに楽しかった。
もう何年前になるか、福岡へ遊びにいったとき、泊めてもらった先輩のところの子ども(小2くらいだった)と2人で美術館へ行ったことがある。あの、小学生の子どもと手をつないで見にいった福岡アジア美術館も、楽しかった思い出。
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