FC2ブログ
 
読んだり、書いたり、編んだり 

憶ひ続けむ 戦地に果てし子らよ(松下竜一)

土曜は、高校山岳部の事故で息子さんを亡くされた竹島恭子さんが10年振りに開かれた追悼コンサートにうかがった。息子さんが亡くなって27年たつ。春先に亡くなられたことは知っていたが、その息子さんの命日はたまたま私の母の命日と同じ日なのだと、挨拶をしたときに竹島さんから聞いた。

会場には、見知った方が何人かおられ、そのうちのお一人から帰りがけに古川佳子さんを紹介された。ちょうど帰る方向が同じだったので、途中までご一緒した。古川さんは、箕面忠魂碑訴訟の原告だった方で、靖国合祀イヤです訴訟の原告でもあるとうかがった。また、竹島さんとのご縁は、忠魂碑訴訟と竹内浩三の詩なのだとおっしゃった。

帰ってから、古川佳子さんのお名前でネット検索してみると、松下竜一の『憶ひ続けむ 戦地に果てし子らよ』にゆきあたり、日曜にさっそく図書館で借りてきて読んだ。

matsu_senti.jpg
この本は、古川さんの母--息子二人を戦争でうしなった母、小谷和子さんのことを書いたものである。
図書館で借りてきたのはもとの筑摩書房版(現在は、『松下竜一 その仕事』の一冊として刊行されている)。

表紙には、林静一の絵とともに、小谷和子さんの二つの歌が刷られている。
 是れに増す悲しき事の何かあらむ亡き児二人を返へせ此手に
 忘れむと努めしことの愚かさよ憶ひ続けむ生きの限りを

母が悲しみ続けた息子の死は、古川さんにとっては二人の兄の死である。
上の啓介はビルマ戦線で、下の博は台湾への輸送中に、それぞれ亡くなっていた。
博が台湾へ輸送されるまえ、筑波の部隊で一緒だったのが、竹内浩三である。
兄について何の記録もなかっただけに、竹内の書きのこした筑波日記などを古川さんは心打たれて読み、戦死公報だけではわからなかった兄が乗った船のこともわかったという。

竹内浩三のことは、10年ほどまえに『愚の旗』が出て、それで知った。「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ」と書いた、あの人である。本棚から久しぶりに出してきて、すこし読んでみる。古川さんが、兄の行動を重ねて読んだという筑波日記を読んでみる。

takeuchi_gunohata.jpg

竹内の出身地である宇治山田へ、母和子さんは、夫謙蔵さんの転勤で移り住んでもいる。そういう縁もあって、なお竹内のことが身近に感じられるのだろうと思う。

この本を読んで、箕面忠魂碑訴訟のことも、こういう経緯があって裁判になったのかと初めて知る。

たまたまここしばらく、学童疎開世代の本を読み、この世代のちょうどひとまわり上にあたる松谷みよ子の自伝を読み(おそらく古川さんは松谷みよ子と同世代だろう)、そしてこの『憶ひ続けむ』を読んで、あの頃いくつだったかによっても、そしてどこに住んでいたか、戦争で亡くした身内があるかといったことによっても、見えるもの、感じるものは違うのだろうなと思った。

松下竜一が古川さんの母・小谷和子さんのことを書くことになったそもそもの始まりは、古川さんが松下の本『檜の山のうたびと 歌人伊藤保の世界』に心魅かれ、著者に手紙を出したことである。

この本もそのうち読んでみたいと思う。
 
Comment
 
 






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
 
Trackback
 
 
http://we23randoku.blog.fc2.com/tb.php/127-0bfbf4b1
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ