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「デフファミリーからみた聴者の文化」(緒方れん)

土曜は、緒方れんさんの「デフファミリーからみた聴者の文化」という講演会へ行く。(ろうあ部会の主催)

緒方さんのことは『私、わたし―ろう者で性同一性障害27歳の心の葛藤』という本を読んで知っていたが、ライブで話を聞くのは初めてである。そうか、緒方さんはデフファミリー出身なのかと、本を読んだときには「性同一性障害」のことに気をとられて読んでいた自分に気づく。
時間は2時~4時半。フツーの講演会だと、せいぜい1時間半か2時間だから、2時間半?長っ…ちゅうか、チラシに書き間違えてる?と思ったが、その2時間半が短いと思うくらい(もっと話を聞きたいと思うくらい)、緒方さんの話はおもしろかった。

デフファミリー、つまり全員が「ろう」の一家にうまれた緒方さんは、親戚や友人関係も「ろう」がほとんどで、聴者とのつきあいがあまりないまま育った。19歳で、聴者に手話を教える仕事をはじめた頃から、「ろう」の世界では当たり前のことが、聴者にとっては当たり前ではないことに度々遭遇する。それも、すぐに気づいたわけではなくて、何度も何度も似た経験をして、あるいは、聴者に怒られたり、驚かれたり、実は…という打ち明け話をされて、気づいてきた。

もちろん、「ろう」も「聴」も、人によってまちまちで、個性もあるけれど、傾向として言えるのは、「ろう」の自己主張文化と、「聴」の察する文化。

緒方さんの経験談。暑いの苦手、冷房大好き、クーラーは20度以下くらいに設定するという緒方さんに、手話教室で、「聴」の受講者があちこちさすって、寒いそぶりを見せながら、授業の休憩時間に言いにきたのは「寒いです」。「あ、そう、寒いの、上着とかある?大丈夫?」と言う緒方さん。授業をそのまま続けて、やはりまた言われる「私、寒いんです」。「そう、寒いの」と言う緒方さん。

手話を教えてくれる「センセイ」に、クーラー止めろとか温度を下げろとはっきり言うのはと遠慮する「聴」者は、「私、寒いんです」と伝えることで、「寒い→クーラーの温度を上げるか、止めてほしい」と相手が察してくれることを期待している。

だが、「ろう」者にはそれではまず通じない(聴文化をよくよく理解して、「寒い」と言えば分かる人もいるけれど)。「寒い、すまんけど、クーラー止めて」と言わなければ、「私の状態はこうです」と言っても伝わらない。

手話が独立した「言語」であることはなかなか理解されていないが、この「ろう」と「聴」の文化の違いは、「見る言語」と「聞く言語」という、それぞれが使う言葉の違いでもある。まさに異文化である。

「ろう」のことを、役所関係などでは「聴覚障害」とか「耳の不自由な」と言い、「手話」はなぜか「福祉ボランティア」の範疇だと思われているが(図書館へ行っても、手話関係の本は、「言語」の分類ではなく、「社会福祉」の分類になっている)、違うよなとつくづく思う。

「障害」=「あるべきものが欠けている」という見方によれば、「聴覚障害」は不幸であったり、なんとかして「聴こえる人に近づける」ことが当然(たとえば人工内耳をつけることがベスト)だと考えられたりするのだろうが、そこからは、聞こえない→不幸・カワイソウ的な発想が出てくるのがせいぜいで、異文化だとか、言語(文化)的マイノリティだという発想はまず出てこない。

言語(文化)的マイノリティであるゆえの、つまりは「聴」が圧倒的にのしている(音声言語による情報伝達が支配的)世間での、誤解や苦労はたしかにある。自己主張文化と察する文化の齟齬もある。たとえば「失礼」だと感じることが違う。どちらにも悪気はないが、それで壊れる人間関係もあったりする。そうした誤解や苦労が解消されないことは、「ろう」にとっても「聴」にとっても不幸。

緒方さんの話は、「ろう」文化どっぷりで育ってきた緒方さんが、「聴」の文化と出会い、衝突もし、その中で気づいてきたことがたくさんあって、たとえば聴者の「笑い」に潜む婉曲な否定や拒絶あるいは照れなどが、まったく分からなかったことなど、はあ、なるほどーと思うことが多かった。

途中で昔話のパロディー版のような、「三匹のぶた」の話と「笠地蔵」の話もあり、これは手話という言葉のもつ特徴や、聴者との関係、通訳のことなどを織り込んだ創作で、芝居もやっているという緒方さんの熱演だった。砂田アトムさんの昔話シリーズのように、緒方さんが演じるDVDがあればいいのにと思った。

それと、緒方さんの「手話歌」がよかった。「手話歌」といえば、よく学校や手話サークルのイベントなどで見かける。「ろう」も「聴」も一緒に楽しめるというつもりなのか、あるいは通訳もどきのつもりなのか、私も手話サークルに入って間がない頃にはいくつか教えてもらったことがあるが、やっているのは「歌詞」に出てくる「単語」を、ひたすら手話単語に置き換えていくレベル。聴者の自己満足という意見を聞いたことがあるが、そのとおりだと思う。「手話歌、キライ、何あれ」というろう者も少なくない。見て歌の意味が分かる、リズムに乗って楽しめる、そんなものにはとてもなっていない。

たとえば英語で考えてみればいいのだ。

春を愛する人は心清き人
spring love person heart clean person ???

歌詞の「単語」を手話単語に置き換えるレベルというのは、こんなことをやっているに等しい。分かるかこんなん?カタコトでもコミュニケーションをとろうと、単語を並べてみたりするのとは違い、こんなんを「歌」といって、フルコーラスやられて、それを楽しめるか?

緒方さんがやってみせてくれたのは、歌詞の「意味」をつかんで手話で(単語を並べるのではなくて)表現し、それを歌のリズムに乗せることだった。ワンフレーズをやってみるだけでも、かなり難しい。「春を愛する人は心清き人」をたとえば英語で通じるものにして、それをリズムに乗せることを考えてみれば、想像がつく。

そうやって「手話歌」をつくることは、かなり大変だとは思うけれど、こんな「手話歌」なら、もしかしたら「ろう」も「聴」も一緒に楽しめるのかもしれないと思った。

緒方さんの話がすんで、質疑のときに、「緒方さんは、ろう者か聴者か、見たら分かるんですか?」という質問があった。話のあいだずっと、緒方さんは、部屋の片方を向いて「ろうの人たちどうですか?経験あります?」などと問いかけ、もう片方を向いて「聴の人たち、こんな感じじゃありませんか?」と訊ねていた。多少は混じっていたが、たしかに緒方さんが「ろうの人たち」と向いた方はほとんどろう者が座っていて、「聴の人たち」と訊ねた方は聴者がほとんどだった。席について、緒方さんに知らされていたとも思えないが、分かるんですか、という質問である。

緒方さんは、だいたい分かります、表情や目、まゆの動きなどが全然違いますと、それぞれ「ろう」と「聴」がどんな顔をして聞いているか、その「顔」をしてみせてくれた。それを見て納得。どんな笑い方をするか、どんな怒り方をするか、それも文化だなあとつくづく思った。

緒方さんは、キレイでかっこよかった。フリーで、芝居に出ることもあるそうだ。東京なので、なかなか機会はないだろうが、緒方さんの芝居はいつか見てみたい。
Genre : 日記 日記
 
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kさん

私の知り合いの聾の夫婦も、子どもがうまれてくるときに「できたら、聾がいいなあ」と言ってました。文化ということもあると思いますが、コミュニケーションという意味もあるのだろうと思います。

実際には、聾の親から聴の子どもうまれる/聴の親から聾の子どもがうまれる、というケースのほうが多いそうです。

私も両方のケースをいくつか知っていますが、親の言葉を子どもはつかう。ただ、そのときに聴の親のもとにうまれた聾の子どもは、どちらかといえば"同化"に向かい(血のにじむような口話教育とか人工内耳手術とか)、聾の親のもとにうまれた聴の子どもは、手話と音声日本語のバイリンガルに向かう感じです。

家族内、そして社会のなかでどちらがマジョリティか、ということも関係あるように思います。(とくに、最近まで聾学校では手話禁止のところも多く、口話=音声でしゃべり、口の形を読み取る教育をやっていた、という影響はかなり大きいと思います。)

そして私は、手に入れたばかりの本『ろう者のトリセツ、聴者のトリセツ』を読んでます。「同じ言葉」でも、受け止め方や感覚が、聾と聴でかなり違っていたりして、それが互いの気まずさや誤解になったりする・・・・

自分の経験にてらしても、(あ、あれはもしかして)と思い当たるところがけっこうあり、(勝手な誤解をしていたかも…)と反省しながら読んでいます。
  [URL][Edit]
2010.01.26 Tue 09:26 k  #XtDHfxHE
私はアメリカに行っていた時期があって、その時に「Speech and hearing science 」という学部?のようなものがあって、その中の一つに手話やその文化に関する授業があった気がします。
その授業はきれいさっぱり忘れてしまったけれど、課題で見たビデオで、聾夫婦がうまれてくる子どもには健聴者でなく、聾を望むといっていたのを覚えています。
私も、何の疑いもなく健聴者がいいに決まっていると決めつけた偏見をもっていた人間だったんですね。
確かその夫妻が「子どもが健聴者だと文化が違って、いずれずれてしまうようで・・・、自分たち同じ側にいてほしい」という内容の事をいっていた気がします。
それを聞いて、私にはその世界を知ることはできないんだなと隔たりを感じたのと、知る機会がないことを残念に思いました。
「絶対こっちがいい」・・・頑固で、自己中な私はすぐそんな考えになりがちですが、ひっくり返された経験でした。

自分の意見をはっきりいっていい文化・・・、なんだか窮屈な時間をすごしている自分にはすばらしく感じます。

PS お葉書ありがとうございました
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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