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ほびっと 戦争をとめた喫茶店(中川六平)

図書館の新着棚でしばらく前にみかけて読みたいなと思ってた本。やっと借りるスキマができたので借りてきた。

ほびっと 戦争をとめた喫茶店―ベ平連1970‐1975inイワクニほびっと 戦争をとめた喫茶店
ベ平連1970‐1975inイワクニ

(2009/10)
中川 六平

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中川六平といえば、『「歩く学問」の達人』(これは好きな本のひとつ)の人であり、坪内祐三の『ストリートワイズ』(これも好きな本のひとつ、単行本を持ってるが、なんと文庫になっていた)や、石田千の『月と菓子パン』(これも知らんうちに文庫になっていた)の編集者でもある。

この本を読むまで知らなかったが、中川六平は大学生のころに、基地のある岩国で喫茶店ほびっとのマスターをやっていたことがあるのだった。ほびっとは、「ヴェトナムに対する米国の侵略と日本の加担をやめさせる目的で72年2月に開店したコーヒーハウス」(p.264)である。

69年の春、六平は大学に入って、べ平連、つまりベトナムに平和を!市民連合に入った(私がうまれた年である)。『1968』にしつこいくらい書かれていたように、大学にはセクトと呼ばれる人がいたという。ゲバ棒をもって機動隊にぶつかっていく学生を応援したい気持ちはあったが、自分にそんなことができると思えなかった六平は、殴りあいから遠くにいるベ平連に入ったのだった。

この本は、六平の若いころの日記を参照しつつ「あのころの」話が書かれたものである。岩国からベトナムへファントムが飛んでいたころ。岩国基地近くの川の堤防で、ファントムを止めようという凧あげもした。瞬間の出来事かもしれないが、上空で風に揺られている凧が、戦闘機を止めた。71年の春の、こどもの日のことだ。

ほびっとは、岩国で米兵に反戦を呼びかける「GIコーヒーハウス」運動として、三沢の「OWL」に次いでつくられた喫茶店。前から話は出ていたが、具体的にやる人がいない、その会議のときに「オレでよければやります」と決心したのが六平だった。

「GIコーヒーハウス」運動、それは「兵士たちに軍隊生活とは反対の生活の場を提供すること」「兵士の側に立った反戦運動」「GIたちのうさ晴らしのための溜まり場ではなく、…新しい世界観…現体制のもっとも直接的な被害者であるGIたちに、覚悟と認識と希望を与えるための機能」(p.79)と考えられていた。つまり、兵士が個人に立ち帰るために、彼らが集い語りあう場なのだった。

「ほびっと」という店名は、トールキンの『ホビットの冒険』から採られた。その名はまた、日本に来て、反戦米兵にはたらきかけるアメリカの活動家が使っていたコード・ネーム「ロジャー・ホビット」でもある。

喫茶店をひらくための場所探し、内装、メニューなど、開店の準備段階から、開店してからの客数、売り上げ、店の雰囲気、警察からの不当な監視や干渉のことなどが、年を追って書かれている。

その間に、デモがあり、座り込みがあり、別件逮捕があり、デッチあげによる家宅捜索があり、それに対しておこした裁判もあった。「好き勝手なことをするな」「この町に住めないようにしてやる」という警官の脅し、ほびっとに来る客が尾行されたり、あんな店へ行くなと言われたりもあった。基地では、ほびっとに立ち入り禁止令(オフ・リミット)が出された。ほびっとの大きな目的でもある米兵たちの交流の場として、輪を広げていくことが不可能になる。

そして、ほびっとの赤字が続く。最初こそ何度か黒字の月もあったが、途中からはほぼずっと赤字である。客の公聴会をひらいて、価格値上げもした。それでも値上げの効果はなく、赤字。アルバイトでもって赤字を埋めていくしかないという話になる。

大学を休んだような状態になっていた六平は「ほびっとと大学」という関係の前をうろうろしはじめる。このまま続けていていいのか。「大学卒業を選ぶということは、ほびっとから逃げ出すことになるのだろうか。」(p.245) ほびっと開店1周年がすぎ、ベトナム戦争は停戦を迎え、しかし岩国には変わらず米軍基地がある。73年4月、京都ではベ平連の解散式があった。福岡ベ平連は運動を続けていくという。ほびっとと大学と、どうするのか。

▼…ぼくは、ほびっとでやれるだけやった。大学に戻ることにしようと思った。疲れた。ぼくはそうつぶやいていた。限界だな。
「おまえは何がしたいんだ」
 ケイコさんに批判されたぼくの口調だ。客を挑発していく、この言葉にも疲れた。このことは、ほびっとから逃げていく口実になるのだろうか。言い訳だろうか、居直りかな。でも、「おまえは何がしたいんだ」と話しかけなくてもいいと思うと、楽になるなあ。(p.255)

そのころメキシコにいた鶴見俊輔から来た手紙が引かれている。

▼…私の考えは、出発前に申しあげたことと同じで、もちこたえることができなかったら、無理をせずに、手をはなすことをしてほしいと思います。仕事の主なにない手となっていない私としては、それ以外のことは言えません。
 同時に、もし、このコーヒー店を守りきれたら、そのことの意味は、リンチ事件を終点としたさまざまな運動にたいして、別の道をつくり得たということになり、その意味は大きいと思います。谷中村も最後は十四戸の結束となったので、十四戸が最後の時に残ったということの意味が今日よみがえってきたのだと思います。…(p.258)

六平が岩国をはなれる前に焼き鳥をごちそうしてくれた田口さん。ほびっとは『不思議の国のアリス』で、ほびっとに行くと、岩国という町が変わって見えてくるんだと田口さんは話しつづける。

▼「…ベトナム戦争反対、アメリカの基地はなくなれ、と平気で堂々というだろう。普通は、思っていても、そう簡単に表現なんてできないものなんだ。ところが、ほびっとは、なかでも六平なんか、ちっとも物おじしないだろう。そんな人が岩国の町にやってきて、目の前の大きな問題に石を投げては、のびのびしている。大きな状況の問題は、誰かがいっていかないと見えてこないんだよね。それを引き受けたのが、ほびっとだよ。だからこそ、あそこは危ない、あの連中はヒッピーだ、という声が上がるんだ」(p.261)

六平は岩国をはなれ、ほびっとはトミさんに引き継がれ、そして2年後に店を閉じた。店を閉じるにあたってのトミさんの挨拶。

▼…ほびっと存続の可能性について話し合いを続けてきた。近い将来、赤字経営を克服するメドが立たない。これ以上、一定の個人に負担をかけ続けていくことは、運動のありかたとしてよくない。喫茶店と運動の両立という最初の設定が崩れ、再建の見通しが立たない一方、まがりなりにも4年間の活動のなかで、店はなくても別なかたちで運動を作っていけるという主体的な条件ができたと思う。店を閉めることにした。…(p.268)

『We』を出していく赤字を埋めるための"デカセギ"をやって、読者からのカンパをいただいたりもして、どうにかギリギリでしのいでいるフェミックス。話は全然ちがうのだけれど、ほびっとの話を読みながら「存続の可能性」とか「無理をせずに、手をはなす」とか「別なかたちで」ということを考えたりもした。

それと、喫茶店と運動の両立ということでは、京都のくびくびカフェのことをふと思った。こないだの「すわりこみ映画祭」のトークの時に、くびくびのお二人は「おっくうになることがある」と言っていた。

変化と持続とをどうなりたたせていけるのだろうなあとも考えた。時にはおっくうになっても、時には疲れても。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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