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弟を殺した彼と、僕。(原田正治)

原田さんのこの本は、Weフォーラムの前にも一度読んでいた。Weフォーラムでは原田さんの分科会「赦す権利」に出てお話を直接聞きたいと思っていたのだが、受付まわりでバタバタしている間に終わってしまい、結局わたしは分科会に一つも出られなかった(泣

弟を殺した彼と、僕。弟を殺した彼と、僕。
(2004/08)
原田 正治

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次号『We』に原田さんのお話のまとめを載せたいということで、ここしばらくの間、テープ起こしをもとにまとめ作業を続けていた。そして、フォーラムで直接話を聞いていない人にも分かるよう、この本をもう一度読んで、部分的に補いもした。
今日は図書館が月末休館だったので、本屋で、光市の事件の被害者遺族・本村洋さんの本『天国からのラブレター』を立ち読みした。私は全然知らなかったが、この本をもとに、映画がつくられているそうだ(「天国からのラブレター Love Letter from Heaven」)。文庫のあとがきのところに、映画プロデューサーの人から、「君はテレビでは笑ってはいけない人になっている」と言われたという話が書かれていた(立ち読みで、文言はうろおぼえ)。

そこを読んで、そうなのだなあと思った。被害者遺族は、笑ってはいけない、悲しんでなければいけない、怒っていなければいけない…そんな存在だと思われてしまっている。妻と娘を失った悲しみと怒りがそう簡単に消えることはないだろうと思う。けれど、本村さんだって、ほかの感情があるだろう。笑ったり、おもしろいと思ったり、そんなこともあるだろうと思う。

私はそうテレビを見ないし、この光市の事件についての報道はそんなに見ていない。その私でも、本村洋さんはあの人だとわかるくらいには見たことがあるのだから、相当なボリュームの報道があったのだと思う。

原田さんのお話の中でも、この光市の事件のことは、メディアと世論が被害者や加害者を勝手にこんな人だとつくりあげてしまった最たる例だとふれられていた。

そもそも、死刑についてだって、何を知っていて「死刑になって当然」と言えるのか。

弟さんの事件があって10年後、長谷川さんと最初の面会をした頃の原田さんは、フォーラム90が主催した死刑執行への抗議集会で被害者遺族として発言してくれないかというときに、こんな話をしたそうだ。

▼「死刑というと国民世論の大多数が被害者感情を考えて死刑を存続させたいというが、被害者感情そのもので彼らを刑場に送り込んだというのでは納得できない」
 国民の多くの考えでは、僕が死刑を望んでいるから長谷川君を死刑にする、と言っているように思えます。その世論に対して僕は反論したかったのです。憶測だけで、今まで誰も僕の気持ちをきちんと聞いてくれたことがないではないか、という気持ちでした。十年前に裁判で証言したことが、今の僕の気持ちと判断されているのかもしれませんが、それも僕の人間性を無視されているように感じます。人の感情は、変化するのです。その思いを訴えたかったのです。(pp.164-165)

この10年前、原田さんは公判の証言で「極刑以外ない」と話している。それからの時間と、長谷川さんからの手紙と、面会によって、原田さんの考えは少しずつ変わってくる。

長谷川さんの死刑確定後の面会をふりかえって、原田さんはこう書いている。

▼…甘いという人もいるでしょう。僕と会っている間だけ、優等生面しているのではないか、と考える人もいるかもしれません。しかし、手紙で、「償いと反省の日々を送っています」と書かれたものを読むよりは、会って長谷川君の全身から感じられるものの方が僕には信じられました。少なくとも僕と会っているときは、彼は誠心誠意、僕と向き合おうとしてくれていることだけは確かです。弟が決して帰ってこない今、この十年の苦闘の日々をなかったことにできない今、誰のどんな慰めや司法的な処置よりも、彼と会うことが、僕にある種の心の安らぎをもたらしているように思えてなりませんでした。(p.175)

原田さんは、ようやく長谷川さんと向き合える時期がきたと思えたのだ。まだ会えたのはほんの数度で、これから弟のことや事件のことを話していけると思えるようになった時には、死刑囚の心情の安定のためという法的になんの根拠もない、ただ拘置所長の裁量の範囲で、つまりは胸先三寸のさじ加減で左右されるような理由で、長谷川さんとの面会機会は奪われてしまった。

▼…僕は残念でなりませんでした。まだ、彼とは本当に話したいこと、つまり事件や弟のことは何ひとつ話せていないのです。ようやく彼とじっくり向き合える時期が来たというのに、拘置所はその機会を奪おうとしていました。当事者である長谷川君と僕が、相互に会いたいと思っているのです。長谷川君は、僕と会うことで明男を殺したことへの悔悟の念が増し、僕は彼が事件を忘れず謝り続けていることを確認できるというのに、なぜなのでしょうか。(p.185)

原田さんは、法務大臣あてに「上申書」を出し、刑の執行を止めてくれるよう、面会の時間を与えてくれるように訴えていた。長谷川さんは、減刑が不可能なら死刑囚のままでよいから、残り十年、償いのための猶予をいただきたいと「嘆願書」を出していた。

当事者の双方が、面会の時間がほしい、待ってくれと望んでいるのだ。

しかし、原田さんが「上申書」を出し、長谷川さんが「嘆願書」を綴ったその年の暮れ、役所の御用納めの日の朝に、長谷川さんの死刑は執行された。

▼法務省は、「被害者に成り代わって」「国民感情があるから」と言います。それを錦の御旗、葵の印籠にしているのです。しかし、被害者遺族の僕は、「執行しないでくれ」と言っているのです。それを執行するのですから、本当のところ、法務省は「被害者の気持ち」など露ほども考慮していないのだ、と腹が立って仕方がありませんでした。とことん僕は無視されたと思いました。…被害者遺族である僕の気持ちを本当に汲んでくれる気があるのなら、僕がこの八年の間、訴えてきたことを法務省は、拾ってくれてもよかったのではないか、と思いました。(p.241)

原田さんは、被害者遺族が加害者に会うべきだと言っているのではない。
加害者に会いたくない遺族が無理に会う必要はない、一人ひとりの気持ちを大切にするべきだと言う。一人ひとりの気持ちを大切にしたいからこそ、会いたいのであれば、会えるようなシステムであるべきだと思っているのだ。

この本は、何度もたちかえって、読みなおしたいと思う。図書館で借りられるのでまだいいけれど、できれば、版元のポプラは、せっかくポプラ文庫もつくったのだし、ぜひ文庫化して再刊してほしいところ。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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