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自由こそ治療だ イタリア精神病院解体のレポート(ジル・シュミット)

先月の終わりに読んだ『誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国』は夢物語のようなキルギシアという国の話だが、その中で、キルギシアの名誉市民だというフランコ・バザーリアのこんなことばが引かれていた。
▼「白衣なんか着るもんじゃないよ。医者であることは、制服ではなく行動で示すべきなんだから」(p.66)

そのフランコ・バザーリアとは「バザーリア法を作って精神科病棟をドンドン閉鎖していったイタリアの精神科医の、あのバザーリアですよね」と教えられ、実在の人か!と知り、なんかバザーリアのことを書いた本はありますか?と図書館で訊ねたら、この本とあと何冊かが出てきた。

自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート自由こそ治療だ
イタリア精神病院解体のレポート

(2005/12)
ジル・シュミット
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1985年に出た訳本が、20年たって再刊されたものである。
バザーリアとその共同者(という訳語で出てくるが原語は何やろう)たちがイタリアのいくつかの病院で実践したことが(失敗も含め)レポートされている。
表紙カバーには、以下のテキストが掲げられている。

人間がすべて悩めるものとしてあるなら、そして病者がそのある現れとするならば、病者が社会の中で自己の悩みを解決していくのが自然ではないか、そのために病者を含めた社会が互いに信頼の輪をつくる以外に方法はないのではないか…

ショック療法で治療するのは患者でなく、いわゆる健常者であるのだ。彼らの使うショックとは自由ということである。「自由こそ治療だ」と病院の壁に赤い大文字で書いてある。だが、それが「内部」にいる患者の問題だと思う人がいるとすれば、それは間違いである。「自由」というショックは「外部」にいる人々にも不安をひき起こす。バザーリアは語っている。
「私たちが数年前病棟を開放し、患者を外出させたり、住民を病院に招待したとき、街全体は恐慌に陥った。そのため当時、街は『精神医療』という現象に直面することになった」。

バザーリアにとっては、精神病院のヒューマニズム化ではなく、その廃棄が目標であった。


この一つ目の段落は、訳者が序で書いている部分(p.10)、二つ目と三つ目の段落は、第一章「トリエステ精神病院の解体」の一部分(p.21)である。

精神病院の開放化にむけてバザーリアやその共同者がおこなったのは、院内での全体の会議をひらくことだった。全体とは、入院患者、医者、看護者で、まちがっても医者と看護者だけの会議ではない。病院を開放すれば、必ず患者相互の関係の変化がおこる。その変化と変化によって起こるかもしれない危険をうけとめるためには、病院内のすべての人々の間の強力なコミュニケーションが欠かせない。

▼強力なコミュニケーションとは二人、あるいは数人、あるいは会議の場で、管理されていない言葉で話し合いを重ねていくことであった。(p.24)

話し合いを重ね、重ね、重ね、共同してやってきたことの大きな成果は、携わった全員に起こった意識過程の変化だという。とりわけ、精神科施設に働く人、看護者たちにとって、いままでの役割を捨て、新たな役割を身につけることはむずかしい。ことに以前の役割がその人に満足を与えていた場合には。会議の場で開放化に対する反対を声高に主張した看護者たちとは、「自分たちのほうが「患者をよく知っている」とした人々」だった。

混乱はあったが、まず患者と看護者との共同の会議をひらけるようになっていく。
▼会議では患者が自分の人生を思い出しはじめ、入院前の生活を語るということが生じた。こういう身の上話は聴衆の関心と共感をよび起こした。これらの女性たちはもはや患者ではなく、はじめて具体的な歴史をもつ共存在となったのだ。(p.46)

こう語る医者もいる。
▼大事なことは信頼関係をつくり上げること。つまり嘘、だまし、患者の内緒話をしないこと。そのことについて誤解をとり除くこと。患者がこれからどうなるかを完全に明らかにすること。(アレッツィオ精神病院のルイジ・アタナジィオ医師、p.99、下線は原文では傍点)

そして精神医療改革のすすめられた病院、あるいは新路線で運営されている外部センターにはこんな光景がみられる。
▼あらゆる研究期間の部屋とか事務室で、二人とか、十人とか、十二人とかの人々が座って討論していない日はほとんどないくらいである。それは看護者、ボランティア、学生、医師、ケースワーカーであった。彼らは机、椅子、窓の枠、紙屑籠、土間に座っていた。…この言葉のやりとりの目的は…自己の毎日の実践が共通の目標に役立っているか、あるいは矛盾しているかをチェックすることである。…討論されないものはない。例えば、自分の望み、不安、役割の葛藤、上司の態度、同僚看護者の態度、患者に対する関係とか、同僚に対する関係というような関係のむずかしさなどである。(pp.107-108)

病気の捉え方も変わってくる。
▼病気はもはや必然的にやっつけらればならない、みにくい化物ではなくなり、患者の家族的、社会的枠組みに組み入れられる。それはたとえ異常であっても様々な困難に対する必然的な反応とみなされうるのだ。症状がまだ残っているということは、もはや敗北と体験されるのではなく、ますますよく理解し、きちっと患者と向かい合い、彼と誠実な関係を結ぶ契機として体験される。(p.160)


バザーリアは大学医学部の助手として12年働いた経験があるという。そのことをバザーリア自身はこう語る。
▼…このことは重大なことだ。というのは当時拷問人としての教育を、つまり抑圧の論理全体をともに身につけ、内在化したからだ。精神科医の教育とは拷問人としての教育に等しいのだ。(p.66)

そして大学に入ったときは世界を改革しようという観念で行動していた者も、しだいに大学内の地位序列に汲々するようになり、知を継承させるのではなく権力を行使するようになっていく。バザーリアは知はこんなものだという。

▼知とは弁証法的なものであり、教えられるものではなく、管理されうるものでもない。知は対話の中でのみ練り上げられ、あらゆる瞬間にくり返し問題にされ、吟味されなくてはならない。私は他の人々と共同してお互いの知識をもとに知を吟味することではじめて新たな知を得る。そうでない時は、純粋に権力の行使となる。(p.67)

著者のシュミットは、バザーリアに対して、めざすところは医師と患者、患者どうし、あるいは患者と制度、制度と住民といった「間」に全く新しい関係を展開することかと訊ね、バザーリアはそうだと肯く。

バザーリアはこんな話を続ける。
▼…彼と私とが、彼の〈病気〉ではなく、彼の苦悩の問題に共同してかかわるとき、彼と私との関係、彼と他者との関係も変化してきます。そこから抑圧への願望もなくなり、現実の問題が明るみに出てきます。この問題は自らの問題であるばかりではなく、家族の問題でもあり、あらゆる他者の問題でもあるのです。(p.69)

そして、著者とわかれるときにバザーリアはこう言う。
▼私のことを真にわかってほしい。私たちがこの病院を閉鎖すると発表することの意味は、病院の論理の遂行をやめるということなのです。壁が残っているかどうかは問題ではありません。私たちは壁の内外の文化を変えることによって、施設の論理を破壊するのです。そのことをあなたは読者にわからせてください。私たちは壁を問題にしているのではなく、施設の論理を問題にしているのです。(pp.77-78)


精神疾患とは何か、福祉施設とは何か。
1960年代の終わりにパルマで進められた精神医療改革の草の根運動のことを、ある医師はこう報告する。
▼主眼は次のことの発見に置かれた。すなわち、福祉施設とは専門的に管理機能をもつ支配階級の道具であり、精神疾患の原因とは物質的困窮と社会的排除にある、ということを証明しようとした。…(pp.167-168)


それから40年もたつが、日本では今も「精神障害者はこわい、危険だ」という見方があり、その危険な精神障害者から社会を守るといった社会防衛的な発想で精神科医療が考えられている。

バザーリアたちが開放化をすすめたイタリアで、病院を出て共同生活をしていた元患者が、自傷をくりかえし、ついには自殺しようとした。「自分や他人から彼女を守るため、再び病院に監禁してしまったほうがよいのではないかと思いませんか」と著者のシュミットが訊ねると、医者はこう言ったという。
▼いいえ、いいえ。我慢しなければいけません。私たちは農夫のようなものです。畑を耕し、作物を植え、収穫を待ち望むのです。それから霰が降り、すべてをオジャンにしてしまう。でも、それでも農夫は諦めません。彼は翌日またはじめます。そして今度はもっとよいことを期待するのです。(p.136)


三度のメシよりミーティングという「べてる」のことや、誰が見てもいいという職員会議をやってるという「アトム」のことなどを思い浮かべながら読む。

そして、フランコ・バザーリアを名誉市民とした、あのキルギシアの物語をもう一度読んでみようと思う。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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