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人はなぜ本を読むのだろうか?

平日の10時半に開店する「ミシマガジン」(右下にもリンク)のトップはカレンダー式で、毎日その日の「記事」がオープンする。こんな"雑誌"もアリか~!と思うこころみで、平日まいにち楽しみに読んでいる。

そのカレンダーの下には「今日のひとこと」という欄があり、昨日(8/19)はミシマガジン編集長・大越さんの

「人はなぜ本を読むのだろうか?」

という一文だった。(これは日々読むもので、web上には"バックナンバー"はないもよう。なので今日はよめませんが。)

その大意は、
「何かを知りたい」と思ったら、むかしは本屋へ行ってしかるべき本を探した。しかし今はパソコンやケータイで検索すればぴょぴょーいとその情報が手に入る。むかしなら参照されたであろう本は当然売れなくなる。
一方で、ITでぶいぶい言わしてるようなビジネス人らも有名になったのは本を書いたからで、その本の中でたいてい「本を読みましょう」とすすめている。
「本でしかできないこと」があるんじゃないかなあと今日の「スポーツ紙バカ一代」(8/19掲載)を読んで思いだした。

ということだった。

「本でしかできないこと」

なんやろう?
そういうときの「本」ていうのは紙の束を綴じてあるやつのことやろか?

ただ、紙の束を綴じたものといっても、本をきちきちとコピーして綴じたようなのは、どうも元の本と違う。学生の頃、もう手に入らへん絶版本や、当時まだそうホイホイと手に入らなかった(手に入るとしてもベラボウに高かった)洋書を、先生にコピーさしてもろて、時にはそれを製本したのを「本」のようにして読んでいたが、なんだか身が入らないのだった。いくら線を引き、書き込みをし、手垢がついてもなお、コピーの製本は、ナリだけは「本」で、それでいて本ではないようだった。

そんなことを言うてたら、電子ブックなんか読まれへんかもしれんけど、どうやろう。現に「ミシマガジン」は紙に固定されないかたちの「雑誌」になっているのだ。私が「こんなんもアリか~」と思うのは、ただナリが違うことに惑わされているのか。

すでに便りというものは紙でなくなりつつある。紙でもろてた便りと、電子的にやってくるものと、何が違って、どこが同じなんやろう?

元をたどれば「本」が今のような形になるのは「紙」ができたからだろう。その前には、たしか中国では竹にわんさか書いたものが荷車一杯で一巻、というようなことだったかと思う。

でも、「本」と言ったときに、おそらくイメージされるものは紙の束だ。そう思うと、今の「本」の形は画期的なことで、次の画期はこようとしているのか、まだまだ先なのか。

そんなことを、昨日の「ミシマガジン」を読んで思った。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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