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山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年(大塚信一)

この本はしばらく前にいちど借りたのだが、ちらっと中を見たあと返却期限がきて一度返した本。それをまた借りてきた。

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年山口昌男の手紙
文化人類学者と編集者の四十年

(2007/09/04)
大塚信一

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著者の大塚信一は、岩波書店の編集者(さいごは社長)だった人。若い頃から、ずっと山口昌男とつきあってきた大塚のもとには、ファイル4冊にもなる山口からの手紙があった。

この本は「無名の時代から世界を股にかけて活躍するに至るまで、山口氏の辿った軌跡は、戦後日本の知的世界において、間違いなく他に類を見ないダイナミックなものであった…私は、出版の仕事に関わった人間として、その記録を残す義務がある」(p.376)と考えた大塚が、「近代日本における稀代のトリックスターを対象に本を書く」(p.376)という無謀をあえて試みたものである。
60年代から70年代、大塚のもとには山口からの便りが頻々と届いた。もとが私信なので、ところどころ伏せ字や削除で他者に言及したところはぼやかされているが、見たもの、読んだもの、買った本、聞いた音楽、みた映画、会った人、書いたもの、仲良くなった人、人との対話、ひらめき、調査の報告、研究のアイデアなど、とにかくいろんなことがあふれている手紙である。山口の手紙と、それに合いの手を入れるかのように当時をふりかえった大塚の文章とが交互になっていて、とりわけ大塚は、山口が書いてくる「本ネタ」に愛着があるもよう。

大塚コメント
▼…例えば「狂気論」(On folly)だ。第12信では「いわばirrationalityを日常生活に分散した形と、そのインテンシファイされた形において、捉えようとするものです。社会学および人類学の理論的前提は、人間をその合理性においてとらえようとするのに対し、小生のは文学的養護として埋もれてきたfollyに、ホイジンガがHomo Ludensにおいてplayに与えたような意味を与えようと思うのです。制度あるいは儀礼をこのように考えるのは現象学的でもあると思うし、調査の一つの重点ともしています」と書く。こうした氏の視点が、後に幾重にも展開されていくのは周知のことであろう。(p.69)

▼…私にとっての氏の真の姿は、書物に熱狂する以外に考えられない。そして私の知る限り、山口氏ほど本の内容そのものに関心を抱き、内容自体によって本の評価を行なう思想家はいない。よく愛書家といわれる人がいるが、そうした人々は書物の内容よりも、稀少性とか装丁とかに関心を抱く場合が多いのではないかと思う。
 書物の内容とは、言ってみれば、思想である。思想に関心を持つ山口氏は、だから、物としての本に対するフェティッシュな関心とは無縁である。…(p.135)

▼編集者と同様に、山口氏が大きな親近感を抱いていたのは、古本屋であろう。ドコッペたちとの交友のきっかけをつくった、「ラ・パンセ・ソバージュ」のことは前に見た。第30信に出てくる「レ・ベル・ジマージュ」の女主人もそうだ。後に中南米の各地で、山口氏は面白い古本屋を何軒も発見する。なぜ氏が古本屋の主人と仲よくなるかと言えば、古本屋はその所蔵する本によって自らの好みと思想を明確に表現しているからであり、それが山口氏の関心ある領域と重なる場合には、たちまちにして無二の友人になってしまうからに他ならない。こうして得た友人たちを世界各地に持つ氏は、やがて国内の同類の人種に目を向けることになる。が、それはずっと先のこと。(pp.137-138)
 …(中略)…
 このように、本についての山口氏の批評は、とりもなおさず、氏の思想の彫琢の過程でもあったのである。私はこの過程に二十年以上も直接的に関わりをもつことができた。改めて、稀有な幸せであったと思わずにはいられない。(p.138)
 …(中略)…
 …思えば、山口氏にとっての調査とは、文化人類学者が行なういわゆる"フィールドワーク"と、本の探索という"フィールドワーク"が、立体的に、あるいは有機的に、組み合わされたものであったのではないか。第31信の場合でも、調査のことを考えて眠れなくなり、朝一時間ほど仮眠して出かけて行ったのは、P・U・F[プレス・ユニベルシテール・ド・フランス]洋書部で本を買うためだったのだから。(p.139)

そして、この本に引かれている山口テキスト
▼アフリカの歴史を今日、われわれが学ぶときに、心しなければならないのは、アフリカをヨーロッパスタイルの歴史研究の植民地にしてはならないということである。ヨーロッパで展開した編年史的歴史記述をアフリカ史にあてはめても、そこからは、ほとんどなにも、人間についての新しい知見は現れない。まず、偏見を捨てて、アフリカにはアフリカ人でなくては生きることのできない、独自の時間・空間内の存在洋式があるという事実を容認しなければならない。

 われわれが、人間と環境の共生の場として世界を真剣に考えるときに、アフリカは、われわれに、思いがけなく豊かな相貌を示す。今日、われわれが、アフリカ史に関心を抱くのは、そこには、われわれが忘却の彼方に押しやってしまった人間経験の独自のあり方を見ることができるからである。こうした知見を通して、われわれは、われわれの過去に埋れた部分(深層の歴史)を掘り起こす手がかりをえることすら出来るという期待を、少しずつ抱き始めている。(pp.199-200)
*もとは、講談社『世界の歴史 第6巻 黒い大陸の栄光と悲惨』

▼この時石田[英一郎]が掲げた「総合人類学教育」の構想が、その後もしばしば話題になったが、私にとってみれば、人類学は基本的に制度、教育によって影響されるような分野というよりも独学をその基本的な前提として含むところがあるため、この種の論議はいつも不毛のまま終っている傾向があると思える。(p.277)
*もとは『石田英一郎・河童論』(「日本民俗文化大系」8、講談社)→のち『河童のコスモロジー 石田英一郎の思想と学問』(講談社学術文庫)

▼…旅というのはもちろんメタファである。従って身体を移動させる旅は、「知」の旅の動因であっても、十分条件ではない。身体が移動しても精神の移動を伴わない場合、「知」という行為は発動しそうにない。逆に身体の移動を伴わない精神の旅としての「知」の発動はいくらでもあり得る。結局「旅」に出るか、出ないかという選択は、世界を固定させるよう希むか、それが流動的な状態にあることを希むかという、二つの方向の中からなされるのかもしれない。
*もとは中村雄二郎との共著『知の旅への誘い』(岩波新書)

▼想像力の中の地下都市
A-都市についての関心はいつ頃から持ちはじめていましたか。
B-都市そのものではありませんが、1963年頃、国際基督教大学で助手をやっていたとき、都市社会学及びそれに熱中する社会学の学生たちを見て、都市社会学というのはつまらない学問分野だなと思ったことがあります。
A-どうしてそんな印象を抱いたのでしょうか。
B-この分野が、単純な経験主義の視点にもとづく当時のアメリカの計量的方法の影響を最も強く受けていたせいでしょうかね。
A-それ自身歓迎すべき方法だったのではないですか。
B-ところが、この方法は、基本的に、計量可能な方法を中心にしか社会的現実を捉えることをしない。計量可能な方法で捉えうる現実とは、その実効的な側面に限られてきます。それ故、都市社会学はどちらかというと、都市計画とか都市の福祉といった、快適性を前提とする分野に視点を限るようになったように思われます。
A-その視点は、あなたの社会学についての一般的な見解にほぼ一致しますね。そういう視点で視ると都市のどういった側面が抜け落ちるのでしょうかね。
B-先ずはっきり言って、都市の可視的な部分はよく見えるけど、不可視の部分はますますよく見えなくなるのではないでしょうか。
A-あなたの現実の多層性についての考え方が、そうした見方に無関係ではないでしょう。
B-そうですね、都市社会学的な視点の最大の欠陥は、現実を生活の実効的な側面に限定することにあったのでしょうね。ところが都市は、その中に生きる人間の意識のあり方によってさまざまの相貌を示すものです。だから、計量的方法によって捉えられるのは、そのごく一部に過ぎないという自覚が、そういった方法に携っていた人には欠けていたようです。(pp.324-325)
*もとは『祝祭都市 象徴人類学的アプローチ』(岩波)

それと、メキシコのエル・コレーヒオ・デ・メヒコでおこなわれたという講義「Introduction to human sciences for sensitive students of Japanese culture(感受性の豊かな日本研究の学生のための人間科学入門」の内容として掲げられたA~Kの各項目(p.202)。


20年ほどまえにhuman sciencesという学部にいたことを思い出す。human sciencesって何?と訊かれても説明するのがむずかしかった。いまでも「何?どんなとこ?」と訊かれたところでテキパキと答えられないけれど、山口の手紙を編んだこの本を読んでいると、human sciencesを掲げた場にいた頃のことと、亡くなったi先生のことを思い出す。

山口は大塚あての手紙でずいぶんと本のことを書いていて、もちろん知らないものの方がうんと多いのだが、出てくる本のタイトルや、著者の名のなかに、i先生からおしえられた本や著者、i先生の授業でよんだ本がチラホラと出てくるのだ。そして本や論文についての山口の話しぶり(手紙での書きぶり)は、i先生が本や論文を語る様子を思い出させる。

コーヒーをいれるのがすきだったi先生のいれたコーヒーを飲みながら、本の話をした時間のことを思い出す。ゼミのときでも、ちょっとした雑談のときでも、i先生はよくひょいと席をたって、「それだったら、こんな本がおもしろいかもしれない」とか「この論文を読んでみるといいんじゃないか」とか、「まだ読んでないんだけどね、おもしろそうなニオイがする」などと言いながら、いくつも本を出してくるのだった。今でも私は、本を読んでi先生と話したくなることがあり、けれどそれはもう二度とかなわないことを思い出してさびしくなる。


山口昌男は本が多すぎて、私がいま自分の本棚にもってるのは『内田魯庵山脈』『はみ出しの文法』と『「知」の巨人たち』(のちに『知の自由人たち』に改題)…この本を読んでからながめてみれば、山口仕事の「後半期」にあたるものばかりである。

ああ、本棚をよく見たら、「前半期」の仕事の本もあった。『文化と両義性』、それから『道化の民俗学』

これほど大量の便りを交わした大塚だったが、1990年代には山口と疎遠になる。かつて無名だった時代、日本の大学でのけ者にされていた時代に、山口の国内でのつきあいのほとんどは編集者だったという。山口は1980年代に入った頃から、もてはやされるようになり、大塚への便りは急速に減る。手紙を書くヒマもないのだろうと大塚は書きながらさびしそうである。


大塚氏は母と同年うまれだった。この人が若い頃は、母も若かったのだなあと思ったりする。

そのうちまた山口の『本の狩人』を借りてこよっかなーと思う。近所の図書館にないので相互貸借になるが。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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