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読んだり、書いたり、編んだり 

大人が育つ保育園/ひとりじゃ子育てできっこない(アトム共同保育所)

アトム共同保育所のことは、本で読んだりして名前だけは知っていた。
「共同保育所」という名には、私なりのなつかしさがある。
親たちが寄りあって、保母さんを雇って、という共同保育所へ、私も生後50日から預けられていた(産後休暇が7週だった頃である)。「キョウドウホイクショ」というのは、たぶん親たちが口にするのを聞きおぼえたのだろう。いつ頃からか、それが「共同保育所」という字で書かれること、そのあと通った「ホイクエン」とはちょっと違うことを知っていた。

大人が育つ保育園大人が育つ保育園
アトム共保は人生学校

(1997/11)
アトム共同保育所編
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ひとりじゃ子育てできっこないひとりじゃ子育て
できっこない

(1998/1)
アトム共同保育所
+汐見稔幸
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ちかぢか、もしかしたらアトムの現場にいけるカモしれないので、以前読んだことのある本と、その周りにあったアトム本を借りてきて、とりあえず未読のほうを読んでみる。

『大人が育つ保育園』は、アトムの親・保母・元保母などが、赤裸々に自分を語った(書いた)本である。もとになったのは、ナントカ研究集会での発表とか、アトムの保育だより『アトムっ子』(本によると、B5版で50~70ページと書いてあり、そのボリュームで月刊だそうである)に書いたものなど。

我慢するのがプロという思いから苦しむ
 私のそれまでの考えでは、働くということは「くそー、なんでやねん」と思っても、そんな気持ちを抑えて我慢することが、働く人間として当たり前で、その抑えて我慢することを積み重ねていくことが、強い人間であり、イコールプロの保母になっていくんだと思っていました。(P.31)

これは、ある保母さんが書いたもの。
我慢し、気持ちを抑え、そのことでいらだち、ぶつかり、腹が立ち、泣いて「辞めたい」と言ったこともある人だったが、アトムで「いろんな環境で育った者同士と一緒に働き続ける中で、…葛藤や悩み、自分の思いを、少しずつだけど相手に伝えたり、「私はこういう気持ちなんだ」「あーこんな考え方もあるのか」と話し合えることのできるようになった自分を見いだすように」(pp.32-33)なった。

こういうのを読むと、「くそー、なんでやねん」と思いながら、そんな気持ちを抑えて我慢することなどできなくて、ずっと文句たれの自分が笑える。わはは

あるいは別の保母は、アトムのキャッチフレーズは「いやや・したくない・嫌いという気持ちをたいせつに」(p.52)になるかな、と書く。それはなぜか。親からは、「アトムの子ども達は好きなことして好きなこと言って、いったいいつがまんをしてるのか」という質問も出た。

▼アトムの保母たちは「イヤヤ」「したくない」「嫌い」を特別視してるわけではありません。それは誰でももつ実感と考えているだけなのです。いろんな表現の中の一つです。そしてそれを乗り越える力をもまた、"実感として"持ってほしいのです。実感としてというのは「やらされる、がまんさせられる」のではなく「やらなアカン、やってみよう」と自らの力で動きだす、そこをたいせつにしているのです。そのために「イヤヤ」「したくない」「嫌い」という気持ちと「やりたい」「好き」「いい」という気持ちは、切り離しても切り離せない、つながりのあるものと考えます。(pp.53-54)

『ひとりじゃ子育てできっこない』は、「あなたへ」という新聞連載と、アトムのある地域でつくられた「保育と子育てを考える集い」でよんだ汐見の講演がもとになっている。この新聞連載の頃には、掲載日にたくさんの電話がかかり、切り抜きを握りしめてアトムを訪ねてくる人が、つぎつぎといたそうだ。

『大人が育つ保育園』でも言及されているエピソード、運動会で「ぼくは、やりたくない」と言った子どものことが、ここでも書かれている。子どもにとって、運動会という場面(あるいは他の行事の場面)はどんなものか。

▼子どもにとって、周囲の大人に注目される状況は、予想を超えた緊張と恥ずかしさだ。しかし、運動会はそれを乗り越えて、子どもが「できる」ことを披露する場ではなく、集団のなかで、どんなことをどんなふうに思っているかを、おびえないで表現する体験の場であると思う。
 また、親にとっても、その子なりの表現を受け止め、子どもへの視線を鍛える場だと思う。
 これがあってはじめて、子どもたちは、嫌なことを乗り越えたり、自分の思いを伝えたりする力を身につける。(pp.81-82)

例えばなんとかフェスティバルの"オープニング"に、子どもらの歌であるとか、チアリーディングであるとか、バトンであるとか、そういう"見世物"が出ることがある。そういう場にいあわせて、なーんかへんな気がするのは、ずらーーーーっと三脚付きのビデオが並び、親がひっしこいてレンズをのぞいてるところ。そして、子どもの"出番"が終わると、サーーーーッと潮が引くように誰もいなくなるところ。

なあ、レンズばっかりのぞかんと、その目ぇで見たりぃな、とツイ思ってしまう。ほんで、周りも見たりぃな、と思ってしまう。こういうのって、"上手にできました"の場なんやなーと思う。

「あとがき」に、アトム所長(といっても現場にはほとんどおらへん所長、もとは子どもがアトムに行ってた親だったそうだ)の山本さんがこう書いている。

▼アトムには固定した方針はありません。目の前の子ども、家族の事情を見ながら、毎日、毎年考えるのです。なぜならアトムも18人の職員・約90家族から成る、300人の子どもとおとなの大集団です。生活史も違い、価値観も違う人達の集う場です。つねに違和感、疑問、異論があるはずです。アトムではこれが外に表現され、それを解決し、解決にいたらなくても認めあい、理解しあうことを大切にしてきました。おそらくこれが、アトムの「やわらかさ」のもとでしょう。保育にしても、運営についても、昨日通用したことが今日には通じないこと、今日通じたことが明日は通用しないだろうことを、よく知っています。これほどに変化の激しい子ども・家族と、保育所は出会っているのです。(p.164)

親と保母が一緒につくった“子どもの預け場所”からアトムがどうなってこうなってきたのか、そこにも興味がある。
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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