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ナンギやけれど… わたしの震災記(田辺聖子)

ナンギやけれど… わたしの震災記ナンギやけれど…
わたしの震災記

(1996/01)
田辺聖子

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小松左京の『大震災 '95 』を読んだら、他にも記録が読みたくなって、図書館の蔵書検索で「阪神・淡路大震災(1995) 」の件名で引っかかった本の中から、伊丹で被災した田辺聖子の震災記を借りてみた。

これは、「私の家も実は少しばかり」(p.8)被害のあった田辺が、大好きな神戸のまちの復興に何か役に立ちたい、何か私のできることでと考えて、チャリティー講演会をしたときの話「ナンギやけれど…」と、書き下ろしの「わたしの震災記」をあわせた本。

1月16日の晩、ほんとうなら「締切の迫った原稿」を徹夜して書かねばならなかったところ、母がみんなを集めて催した新年宴会で軽く酩酊していた田辺は、「まあ、いいや、あしたでいいや」(p.15)という感じで寝てしまって、それで命拾いをした。

翌朝早くの大揺れのあと、仕事部屋をのぞいた田辺は、「大きな重たい書架が全部前かがみに倒れて、その下に私の仕事机がある」(p.17)のを見る。資料の棚もみんな倒れて、書類とガラスが散乱、資料戸棚の上にあった箱は「力任せに放り投げたみたいに、箱の角という角がみんな破れて」(p.17)いたという。
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大震災’95 (小松左京)

大震災’95大震災’95
(2012/02/04)
小松左京

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阪神大震災を大阪の箕面市で経験した小松左京。この本は、毎日新聞で震災後の4月から1年にわたって小松が連載したものに、単行本では未収録の「阪神大震災の日 わが覚書」「自作を語る」をあわせて収めたもの。

本文は、「あの日から七十五日」というタイトルから始まっている。震災が襲った1994年度が明け、1995年度の始まった4月1日が「あの日から七十五日」であること、その日数は人のうわさも…と言われるように、すべては移ろいゆくという無常観を表したものだろうと指摘しながら、小松はこう続ける。

▼だが、私は逆に、この大震災発生以後二ヵ月余あたりから、この「巨大な災害」が、私たちの社会と生活にもたらしたショックと影響の「全貌」をとらえる作業にとりかかるべきだと思う。─なぜなら、あの時不意に、阪神間の足もとから牙をむいて襲いかかってきた、私たちにとっても、社会にとっても、まったく「未知の体験」だったあの大災厄のもたらした、衝撃と、どこまで広がるかわからなかった多元的な混乱も、このあたりでやっと鎮静化にむかい、それにつれて、この災厄の複雑な「全貌」と性格も、ようやくぼんやりと把握できるようになってきたからである。…(略)…

 いずれにしても、近隣周辺を含めて、この災厄に対する「記憶の痛みと疼き」の生々しいうちに、「総合的な記録」の試みをスタートさせなければならない、と思う。そして、その記録の集積を行う主体は、「市民」と、マスコミを含む「民間企業」の協同体が中心になったものでなければならないと思う。もちろん、市民、国民、営利法人の「税金」で賄われている「官」のシステムには、全面的な協力を要求する権利が、この主体にはあるが、決してその収集を、官に委ねてはならないと思う。(pp.10-11)

小松は、くりかえし「この大震災が噴き上げた、膨大多岐にわたる「情報」の収集と記録は、私たちみんなの手でやらなければならない」(p.12)と訴え、当事者一人一人がそれぞれ「自分の記録」をとろうと呼びかけた。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第66回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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