読んだり、書いたり、編んだり 

9月に読みおわった本

9月に、てっぺんから最後まで読んだ本のリスト。9月はあれやこれやとかなり忙しく(月半ばに「誰もが暮らせる地域づくりフォーラム2014」もあり)、一時かなりヨレヨレになったが、適宜の休養をはさんで、なんとか体調は維持。

見にいきたいと思っていた映画もあったのに、結局今月も映画ゼロ。読むほうは、図書館にリクエストしたらヨソからの相互貸借で届いたごっつい本(樋口本)に追われ気味になり、ギリギリまで延長してもらうも、やや消化不良で返却。今月は、読んだ冊数がしぼられたわりに、買って読んだ本が4冊と多かった(うち1冊は、10年ぶりくらいに会った旧友の帰りのお供にもらわれていった)。

8月に続き、9月の初めも1週間ほどは毎日のように降った。長袖でなくてはうすらさむい日があったかと思うと、暑い日差しの日もけっこう多かった。ベランダのゴーヤは根元に近いところから枯れ枯れになりつつ、蔓はまだ伸びて、いまだに雌花も雄花も咲く。つい見過ごした実が二つ、黄色く熟れて、赤い種が散った。そろそろ片づけどきか。

気温の変化がこたえるなーと思った今月もおわり。ことしはあと4分の1。

-----

詩[うた]の運命―アフマートヴァと民衆の受難史(武藤洋二)

詩[うた]の運命―アフマートヴァと民衆の受難史(武藤洋二)詩[うた]の運命
―アフマートヴァと民衆の受難史

(1989/11)
武藤洋二

商品詳細を見る

友だちがこの本を入手したい!探してる-!というので、近所の図書館にあるかなと検索してみたら、あった。ので、借りてきて読んでみる。

アンナ・アフマートヴァはロシアの詩人で、友だちはこのアフマートヴァの詩集『白い群れ 主の年』を読んだそうだ。『沈黙の時代に書くということ』でサラ・パレツキーが言及していて、それで興味をもったのだという。

著者によると、この本は「スターリン時代のソヴェト民衆の受難史が生みだした一つの鎮魂歌の運命を追うことによって、ソヴェト型実験国家とその建設の人柱と詩との三者の関係を解明しようとした試み」(p.273)である。

▼これは、史上最大の国家権力と詩人とが、民衆の苦しみをめぐってくりひろげる物語であり、そしてまた受難史についての歴史的記憶の運命をたどる仕事でもある。(中略)
 …市民から囚人への距離が紙一重であった時代に、一人の詩人が、国家権力にさらわれた人々について鎮魂歌をつくった。それは、紙に書かれなかった。原稿は「反革命活動」「国家への裏切り」という最悪の犯罪の物証になる。詩は、記憶される。詩人によって任命された記憶係は、暗黒時代を生きぬき、スターリン型強権が崩れさった時代へ詩[うた]を届けることができた。(pp273-274)

アフマートヴァは「沈黙という刑に服しているふりをしながら、鎮魂の詩群をつくりつづけた」(p.274)。そして、「詩の受け取り手としての未来とかかわって」(p.70)いた。そんな詩人がいたことを、私は初めて知った。彼女の詩を、記憶して後の時代へ届けた人たちがいたことも。

書店不屈宣言 わたしたちはへこたれない(田口久美子)

書店不屈宣言: わたしたちはへこたれない書店不屈宣言
わたしたちはへこたれない

(2014/07/10)
田口久美子

商品詳細を見る

「小さな書店から中型、大型と、規模の大小を経験しながら、現場で40年以上も働き続けた書店員」(p.9)である著者が、書店員としての自身の日常とともに、「主にジュンク堂の社員を中心にインタビューをし、それぞれの担当ジャンルの現状を話してもらったもの」(p.12)をまとめたという本。

この著者の本は、『書店風雲録』も、『書店繁盛記』も読んだおぼえがある。

「あとがき」のラスト。
▼「本」は素晴らしい記憶装置だ。(p.239)

ちょうど、アフマートヴァの詩のことを書いた『詩の運命 アフマートヴァと民衆の受難史』を読みかけているところで、「本」というかたちにならない(なるまえの)人の記憶にゆだねられた詩やことばのことを考えていて(アフマートヴァの話を読んでいると、やはり記憶によって「遺書」を届けた『収容所から来た遺書』のことも思い出して)、なんかここを読んだら、字を記して残したり、「本」というかたちにつくったり、そういうのができない時代と場所があったんやとつくづく思った。

この言葉で言及された本『考える人びと この10人の激しさが、思想だ。』は、田口の大切な友人・入澤美時がつくったもので、入澤はこの本に心血を注ぎ、夢中になって編集をしていた、という思い出が記されている(絶版だというので、図書館で予約してみた)。

O介(大鋸一正)

O介O介
(2014/07/23)
大鋸一正

商品詳細を見る

8月末につくった「ブックマーク」82号でこの本を紹介した人があって、(著者名が読みにくいなー)と思った私がルビを振ったのはいいが、調べが甘くてそのルビを間違えてしまった! 著者のお名前は「おおが・かずまさ」さんでした。伏してお詫び。

その後手にした本の実物では、タイトルについては表紙にも背表紙にも扉にも奥付にも「オーすけ」と入っているのだが、著者名にはルビがなく、巻末のプロフィールページにあるローマ字の「OGA KAZUMASA」が読みの手がかりだが、私の間違ったルビのように「おが」と誤読される可能性なきにしもあらず。できれば、どこかに分かりやすくお名前のルビ希望。

まず表題作から始まって、7篇収録。この表題作「O介」は、私のスキな平田俊子の「おおまいごっど」云々の詩を思い出させた。「O介。」と挟みながら続くところが、似た印象を受けるのか。そして、続く章を読んでいて、パパとママがなぐりあってお互いこわれていくような様を描いた場面の出てくる「ブルーベリー狩り」なんかが、やはり平田俊子の夫を捨てにいく詩を思い出させたからか。いや、たんに「オー」という音のせいか。

あの頃のこと―吉沢久子、27歳。戦時下の日記(吉沢久子)

あの頃のこと―吉沢久子、27歳。戦時下の日記あの頃のこと 
―吉沢久子、27歳。戦時下の日記

(2013/03/01)
吉沢久子

商品詳細を見る

しばらく前に、新聞で吉沢久子のインタビューが載っていて、この本のタイトルも紹介されていた。それで読んでみたくて借りてきた。

サブタイトルにあるように、これは「吉沢久子、27歳。戦時下の日記」で、昭和20年に敗戦をむかえたあの戦争の最後の一年を記録したうちから、月ごとに、抜粋した日記と、吉沢自身が今からふりかえって説明を加えた構成になっている。

この一年を、吉沢は、のちに夫となった古谷綱武の留守宅ですごした。古谷の文章によれば、事情はこういうことだった。「私が応召したときには、家族はすでに郷里に疎開しており、東京の留守宅は、仕事の助手をしてくれていた娘に預けた。そして、(*娘に)自分の応召中の仕事としたのは、あくまで東京に踏みとどまって、外部のさまざまな変化から心持ちの変化にいたるまで、できるだけくわしい記録を残してくれることだった。」(p.4)

古谷が応召したのが昭和19年の10月末、吉沢の日記は11月1日から始まっている。吉沢の日記の抜粋を読んでいて、こうの史代のマンガ『この世界の片隅に』のことを思いだしていた。昭和18年の暮れから20年に戦争が終わるまで、軍港のあった呉を舞台に、「戦時の生活がだらだら続く様子」を描いたマンガ。

実際にそうした生活の中にいた吉沢が書いたものと、"戦争を知らない"世代のこうのが描いたものとは、違うのかもしれないけど、どこか通じるものがあるなーと思った。

街の人生(岸 政彦)

街の人生街の人生
(2014/05/31)
岸 政彦

商品詳細を見る

あまり"編集"されていないインタビュー集。収録されているのは、5人の人たちの「自分の人生の語り」。それは、普通の人生の記録であり、「普遍的な物語」である。

著者(というべきなのか、編者というほうがまだ近いような気もするが)は、「はじめに」でこんなことを書く。
▼私たちはあらかじめ決められた状況に閉じ込められ、その範囲のなかで、必死に最良の選択肢を選んで、ひとり生きるしかないのです。ここにあるのは、私たちと同じ普通の人びとが、たったひとりでさまざまな問題に取り組んだ、普通の、しかし偉大な物語なのです。(p.iv)

自分の人生を語った人たちと、著者はたまたま出会っている。たまたま出会った人との1、2時間の会話を記録するのは、「それが私たちの人生の、なにか非常に本質的なことと関係しているように思われるから」(pp.iv-v)という。

▼「私」というものは、必ず断片的なものです。私たちは私から出ることができないので、つねに特定の誰かである私から世界を見て、経験し、人生を生きるしかないのです。(p.v)

ここの箇所は、齋正弘の『大きな羊のみつけかた』で語られていることと似ている気がした。描かれた絵にあらわれているのは、それを描いた人が見ている世界であって、その絵を見る「私」が知っている世界とは違うものがそこにある、ということと。

5人の語りは、どれも、おもしろかった。スゴイ人の話ではなくて、ふつうの人の話。

チポリーノの冒険(ジャンニ・ロダーリ作、関口英子訳、ヴラジミール・スチェーエフさし絵)

チポリーノの冒険チポリーノの冒険
(2010/10/16)
ジャンニ・ロダーリ作
関口英子訳
ヴラジミール・スチェーエフさし絵
商品詳細を見る

この物語は、杉浦明平の訳による岩波少年文庫・旧版(1956年に一刷)の『チポリーノの冒険』は8月に読んだのだが、関口英子の訳による新版(2010年に一刷)も読んでみたくて図書館で借りてきた。さし絵は新旧とも、(原著のイタリア語版ではなく)ロシア語版から採られた同じもの(画家の名は、旧版ではB.スチェエーヴァ、新版ではヴラジミール・スチェーエフと、やや表記が違う)。

新版の訳者あとがきによると、旧版の杉浦訳は、原著の初版(Il romanzo di Cipollino チポリーノの物語、1951年刊)にもとづいて訳されていて、新版は、原著の改訂版(Le avventure di Cipollino チポリーノの冒険、1957年刊)にしたがって訳しなおしたものだという。

関口訳を読んだら、登場人物(登場野菜?)の名などに旧版とやや異同があるようで、気になって、また杉浦訳も借りてきて、ところどころめくっては見比べてみた。

外形的な違いは、旧版の巻頭に「「チポリーノが、日本の子どもさんたちにごあいさつ」という(おそらく原著者に書き送ってもらったのであろう)小文が付されていること、旧版では29章+エピローグという形式になっていたものが、新版ではエピローグではなく30章になっていること、旧版には、「三人のうた」と「チポリーノのうた(楽譜)」が付いていること。

日本の雇用と中高年(濱口桂一郎)

日本の雇用と中高年日本の雇用と中高年
(2014/05/07)
濱口桂一郎

商品詳細を見る

たしか、新聞の書評でみかけて読んでみたいと思い、近所の本屋にあるかと見にいったら、ちくま新書の並びの中でこのタイトルは抜けていて(どなたかが購入されたのか)、それでちょっと待って図書館で借りて読む。

さいごのほうに、わずかばかり「中高年女性の居場所」という小見出しがたてられている。この小見出し部分に女性の話は尽きていて、この本でずーっと出てくる「若者と中高年」というのは、基本的に若いあんちゃんたちとおっさんたちの話なんやなーと思う。

まあ、それはそうとして、構造的な視点が必要だ、という著者の話は、なかなかおもしろかった。"日本型の雇用のあり方"はおっさんたちばかりが既得権で得をして、若いもんは損をしてるという…という類いの話は不毛であると。

この損得問題は、著者に言わせればこういうことだ。

ほんのミニコミ「ブックマーク」82号ができました

ほんのミニコミ「ブックマーク」82号半年ぶりに、ほんのミニコミ「ブックマーク」82号ができました。

このミニコミのメインは、読者による「読んだ本・おすすめ本・これから読みたい本」のアンケート。こんどの号も、充実の「本ネタ」誌面で28ページ。A5判のリソグラフ刷りです。

定期購読の方には、8/31(日)に発送しました。読んでみたい方には、見本誌を送ります。ご希望の方は、送り先をご連絡ください。

編集発行=レター&ピース
letter_peace(at)yahoo.co.jp
Genre : 日記 日記
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ