読んだり、書いたり、編んだり 

7月に読みおわった本

7月に、てっぺんから最後まで読んだ本(と、見た映画)のリスト。今月はちょっと読みすぎ。『海街diary』の6巻が出て買って読み、あとの巻はヨソへ貸出中だったので、なぜか数ヶ月前に同居人が購入していた電子書籍版を「きんどる」にて再読。あとは紙の本。

例年より遅めに植えたゴーヤも、だいぶ伸びてボウボウになってきた。午後からの強い日射しは"葉陰で読書"には暑すぎるが、風のよく通る午前中なら、ぶらさがるゴーヤの実を眺めながら、なかなか気持ちがいい。

梅雨が明けて、猛暑日や熱帯夜が混じるようになった。図書館や空港へ"避暑"に出た日もあった。体温に近い温度はさすがに体に堪えるし、連続何日という記録にはならないでほしい…。

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心がほどける小さな旅(益田ミリ)

心がほどける小さな旅心がほどける小さな旅
(2012/04/06)
益田ミリ

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「あぁ、どこか遠くに行きたいなぁ」(p.3)と思うときには、たいてい休めなかったり予定があったりシガラミがあったり、遠くへ行くことがかなわないもの…そんなときに、もっともっと身近なところへ出かけた、「季節に合わせて心がほどけていくような、そんな小さな旅」(p.3)を集めたのがこの本。

益田ミリが一人で出かけている旅もあるが、この本の版元・飛鳥新社の編集者の猫山さん(仮名)と二人の道中も多い。泊まる旅も少しはあるが、日帰りでふらりと出かけた小さな旅が大半。

あとがきには、こう書いてある。
▼自腹で行きたいところに行って、やってみたいことをやった、という感じだったけど、そのひとつひとつで、のびのびしていた気がする。ポンと普段の生活から切り離されるのはいいものである。(p.164)

女のせりふ(伊藤雅子)

女のせりふ女のせりふ
(2014/05/14)
伊藤雅子

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著者が、福音館の月刊誌『母の友』(なかなか時代がかったタイトルだ)で1985年から1995年まで連載した小文「女のせりふ」をまとめたもの。なんだかとにかく「懐かしい」感じが強くした。言葉遣いにも、書かれている考え方にも。

その「懐かしさ」は、むかし、こんなことが書かれた本をいろいろ読んだなーとか、こういう話をしたことがあるなーとか、そういう記憶を、あらためて見直した感じ。いまも、それなりに共感はするけれど、これは母の世代の言葉やなーとも思う(奥付で、著者が死んだ母と同年生まれと知る)。

とくに「主婦」について語られている言葉には、「懐かしさ」ひとしお。こういう「主婦」モノは、今も出てるのだろうか?図書館に古い本があるだけだろうか?と思った。

かずかずの「女のせりふ」が書きとめられている中で、丸岡秀子の「生命は人と人との間にある」の言葉が、いいなと思った。物理学者の解説からヒントを得て、「生命とは、究極には固体に属するのではなくて、個と個の目に見えない中間に運動現象としてあるともいえる」(p.171※)と丸岡は考えたという。

わたしたちの島で(アストリッド・リンドグレーン)

わたしたちの島でわたしたちの島で
(2014/05/17)
アストリッド・リンドグレーン

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関東の友達が映画「なまいきチョルベンと水夫さん」をみにいくというので(大阪での上映はもう少し先)、私は原作本を借りてきて読む。

登場人物がかなり多く、本の3分の1くらいまで読んだところで、頭がギブアップ。もういちどてっぺんに戻って、出てくる人物のメモをつくったら、それで頭がおちついて、あとは最後まで楽しく読めた。この長い(岩波少年文庫で500頁近い)話の、どこがどう映画になっているのだろう?と思っていたら、巻末の解説には、そもそもこの本はテレビドラマからできたと書いてあった。

1964年、スウェーデンでは、「海ガラス島のわたしたち」という13回シリーズのテレビドラマが放映された。脚本を手がけたのがリンドグレーンで、その後、テレビドラマと同じタイトルで児童向け読みものとして出版されたのがこの本、さらにこの本の9章から12章で出てくるアザラシのモーセと犬の水夫さんにからんだ話を中心に新たに劇場用映画としてつくられたのが「チョルベン、水兵さんとモーセ」(邦題「なまいきチョルベンと水夫さん」)なのだという。

とにかく1964年のスウェーデンは「わたしたちの島で」に沸いた年だったそうだ。それから50年目のことし、50年前の映画が日本で初公開されるとのこと。

生きていく絵―アートが人を〈癒す〉とき(荒井裕樹)

生きていく絵―アートが人を〈癒す〉とき生きていく絵―アートが人を〈癒す〉とき
(2013/09/24)
荒井裕樹

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去年読んだ『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ』の著者の、別の本。タイトルや装幀をネットで見たときから、なんとなく医学書院の〈ケアをひらく〉シリーズのような気がしていたが、手にしてみると亜紀書房の本だった。前の本は、もとが博論ということもあって、論文ちっくな文章だったが、この本は「ですます」体で書いてあって、印象がだいぶ違った。

この本は、精神科の病院の《造形教室》で作品をつくってる人たちの「自己表現」の意味?を考えていて、作品の図版がカラーとモノクロで入り、主に4人の作品とその作者の話をつうじて、「心病む人にとっての表現」を手がかりに考えたあれこれ、が書いてある。

▼私が試みたいのは、生みだされた個別の表現物(=作品)と、それを生みだす場の力を同時に捉えつつ、自己表現が表現者の〈生〉にいかにかかわるのかを読み解くことです。(p.28)

そして著者は、「〈もの〉としての表現だけでなく、その背後にある〈こと〉としての表現も捉えるような考え方」(p.29)と、「表現者という一人の人間の〈生〉と、表現された作品の両方を、なるべく同時に捉えるような考え方」(p.30)とに基づいて書き進めていきたい、と記す。

自己表現と〈癒し〉の普遍的な関係性を考えたいという著者は、心病む人たちのための理論や療法を作りあげたいわけではない。そのためには、個々人の深層を掘り進めていく作業に徹するよりほかにないのではないか、という。

いちばん長い夜に(乃南アサ)

いちばん長い夜にいちばん長い夜に
(2013/01/31)
乃南アサ

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刑務所[あそこ]で知りあった、前科[マエ]持ちの二人・小森谷芭子と江口綾香のシリーズ、『いつか陽のあたる場所で』『すれ違う背中を』に続く完結編。「ブックマーク」81号で紹介してくれた人がいて、あー、また次のが出てるんやと知った。

この完結編では、3月11日の震災をはさみ──作者の乃南アサ自身が取材のため仙台にいたときに大震災に遭遇した経験が、綾香の出身地の仙台を訪ねてそこで震災に遭った芭子の話として書きこまれている(作者の取材が3月11日だったのは、もうほんとうにたまたまその日しかなかったのらしい)。

大学生のときに服役し、刑務所から出てきたときには身内と絶縁されていた芭子は、出所当初は世間の目に怯えながらひきこもって暮らしていた。ひとまわり年上の、結婚や出産の経験もある綾香にたすけられ教えられて、一つひとつ暮らしをたてていく技術や知恵を身につけ、仕事をみつけ、倹約して貯金もし、少しずつ将来のことを考えられるようになってきた。

そこに起こった大震災。芭子は、たまたま行きの新幹線で隣り合わせ、震災後に避難した仙台のホテルで偶然再会した南君と、タクシーを3台乗り継いで東京へ帰ってくることができた。

レズビアン的結婚生活(東小雪+増原裕子、マンガ:すぎやまえみこ)

レズビアン的結婚生活レズビアン的結婚生活
(2014/01/17)
東小雪+増原裕子
マンガ:すぎやまえみこ

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『ふたりのママからきみたちへ』と同じふたりによる本(マンガはすぎやまえみこ、本文構成は早川ひろみ)。「結婚式がすべてじゃないけど したい人ができないのは やっぱりなんかちがうと思う」(p.12)ふたりの話がこの本には書かれている。

▼ただフツーに結婚式を挙げたかっただけなのに、レズビアンの前にはいくつもの壁がありました。(p.5)

ふたりが女性同士で結婚式をしたいと東京ディズニーリゾートへ問合せの電話をしたとき、当初の対応は「どちらかが異性に見える服装で」「園内にも出ていただくプログラムですので一般のお客様への影響を考えますと…」という、言外に同性同士の結婚式の「悪影響」をにおわせるものだった(表紙カバーのマンガはその場面)。

「法律がなくても結婚式はできますよね?アメリカのディズニーはできるって聞きましたが」と話をし、アメリカ本社と相談した東京ディズニーリゾートからは「おふたりが希望されていたウエディングドレス同士で結婚式を挙げていただけます」と回答がきた。

結婚式を挙げるまでのいくつかの事件、これで一緒にやっていけるのかという悩み、もっとさかのぼってふたりが出会うまで、高校生のときには同性愛の話ができる友達がいた小雪の話と、女の子が好きなんて絶対言っちゃだめだ、誰にも言えないとひとりつらい思いをして大人になったひろこの話、親や家族の話などが書かれている。

牛を屠る(佐川光晴)

牛を屠る牛を屠る
(2014/07/09)
佐川光晴

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本屋をうろうろしていて、この新刊文庫を見かけ、読みたくて買った。もとの単行本は解放出版社から出てるそうだが(「シリーズ向う岸からの世界史」の一冊だという)、文庫版オリジナル対談が入っていたせいもある。

北大を卒業後に小さな出版社に勤め、そこで「社長並びに編集長とケンカをやらかして」(p.15)一年で失職した著者は、それからふた月ほど山谷から工事現場に出て働いた。

▼技術も経験も求められない下働きをくりかえす日々はつらかった。同じ肉体労働をするにしても、おいそれとは身につけられない仕事の中で鍛えられたかった。(pp.14-15)

ハローワークで、「希望する職種」を編集者から屠殺場の作業員に変更したいと申し出た著者は、そこで埼玉県内の、通勤にも便利であろう大宮で求人があると知り、翌日には面接をうけにいった。

▼なんのためにここで働くのかと問われれば、それは生活の糧を得るためであり、屠殺場意外に行き場を思いつかなかったから、ここに来たのです。
 そんな回答で入社が認められるとも思えなかったが、せめて正直に堪えることで誠意を示すしかない。そう決めたものの、不安は消えなかった。(p.17)

未来のだるまちゃんへ(かこさとし)

未来のだるまちゃんへ未来のだるまちゃんへ
(2014/06/25)
かこさとし

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単行本はめったに買わないのだが、図書館に入るのはまだしばらく先だろうし、いまは図書カードが潤沢にあるし、何度か本屋でチラ見したあげく、やはり買って読む。年明けに読んだか『絵本への道―遊びの世界から科学の絵本へ』がよかったので、かこさんが「未来のだるまちゃんへ」何を伝えようとしているのかが読みたかった。

敗戦のときに19歳だったかこさんは、こう書く。
▼19歳というのは、当時の数え年で言ったら20歳ですから、もう大人です。
 子どもではありません。当時の大人は、私を含め、開戦にも敗戦にも責任があります。
 軍人を志した同級生たちは、みんな、死んでしまった、自分はその生き残り…というより「死に残り」でした。死に残りの自分は、これから何の償いもせず、出来ずに、おめおめと生きていくのか。そう思うと、自分が本当にだらしなく、はずかしい大人であり、必要のない人間に思えました。
 それでも生きるなら、その先の人生をどうして過ごすのか。だから必死で考えました。(pp.11-12)

何をすれば少しでも償いができるのか、せめて人間らしい意義あることがしたい、「大人ではなく、せめて子どもたちのためにお役に立てないだろうか。せめて自分のような後悔をしない人生を送るよう、伝えておきたい」(p.12)というのが、この本。

花ならば赤く(有吉佐和子)

花ならば赤く花ならば赤く
(2014/07/18)
有吉佐和子

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有吉佐和子の文庫本は、5月にhappy birthday to meで一冊買い(『仮縫』)、この没後30年の復刊がおもしろかったので、もう一冊買って読み(『処女連祷』)、こないだ『音のない世界と音のある世界をつなぐ』を探した本屋で、単行本未収録の「50年前の長編」を文庫化したばかりというこの本を買った。

昔むかし、『週刊明星』に連載されていたそうで、単行本にならなかった理由は今となってはハッキリしないらしい。巻末で娘の玉青は、ある編集者の「忙しくて単行本にするひまがなかったのではないか」との推測とともに、実際に次から次へと作品を発表し、くわえて人生の大事が続いたその頃の母親の数年に言及している。

これは20歳の晴子のお仕事小説であり、恋愛小説でもあった。それを当時30歳だった有吉佐和子が書いている。

知人から、夫がこれから始める事業を手伝ってくれないかと声がかかって、短大を出たばかりの小河内晴子は、口紅を製造販売する小さな会社に入る。いるのは老人と、おっさんが数人、若い科学者がひとり。

▼どうせ此の中では事務も雑用程度だろう。それが不満とは思えなかった。何より、晴子はこんな大人たちの中に一人で混りこむことに、ある新しい魅力を感じていた。どの人たちも、晴子がこれまでに見たこともない「変な」ところがある。(p.19)

音のない世界と音のある世界をつなぐ―ユニバーサルデザインで世界をかえたい!(松森果林)

音のない世界と音のある世界をつなぐ―ユニバーサルデザインで世界をかえたい!音のない世界と音のある世界をつなぐ
―ユニバーサルデザインで世界をかえたい!

(2014/06/21)
松森果林

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こないだ読んだ『誰でも手話リンガル』の著者の新刊。岩波ジュニア新書をおいてる本屋がかなり少なく、何軒かまわってやっと入手。図書館にも入るだろうが、読んでみたくて買った。

「私の特性、そして強みは聞こえないことです」(p.iii)という著者は、小4で右耳が突然聞こえなくなり、その後、左耳の聴力も少しずつ失って、今はほとんど聞こえない中途失聴の人。「聞こえる世界」と「聞こえない世界」と、その間の「聞こえにくい世界」を実体験してきたからこそ、それがどんなことなのか、想像ではなく、自分の言葉で語ることができる。

「耳が聞こえない(聞こえにくい)」ことは、外見からは分かりにくい。だからこの本では、ユニバーサルデザインを考えるときに抜け落ちがちな「聞こえない・聞こえにくい」側の視点で、それがどんな世界なのかが述べられている。同時に著者は「世の中には外見でわかる障害だけでなく、様々な特性や個性を持った人たちが存在することを知ってほしい」(p.vi)という。それぞれの人にとって「バリア」になるものが違うことを、著者は「いろんな人」とのつきあいの中で身をもって知り、そのこともこの本で伝えようとしている。

誠実な詐欺師(トーベ・ヤンソン、冨原眞弓=訳)

誠実な詐欺師誠実な詐欺師
(2006/07)
トーベ・ヤンソン、冨原眞弓=訳

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前々から、何度かこの文庫を借りてみるも、話にうまく入れないかんじで、ちょろっと読んだだけで返したり、積んだまま返したりで、読みきることがなかった。文庫の裏表紙には「ポスト・ムーミンの作品の中でもNo.1の傑作として名高い長編」と書いてあるが、やはり名作でもノれるときとノれないときがある。

それでも『少女ソフィアの夏』『彫刻家の娘』と読んだヤンソンの自伝ぽい物語がおもしろかったので、これもまた借りてみた。

こないだちょっと遠方へ出かけるときに、この文庫本を入れて出て(軽いし)、それで乗り換えの待ち時間のときなどに読みはじめてみた。最初の数ページは、どれが人名でどれが地名なのか分からないところがあって、しばらくページを行きつ戻りつしていたが、カトリ・クリング25歳と、弟のマッツ15歳が、海辺の村ヴェステルビィで暮らしている、というのがまず分かってきた。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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