読んだり、書いたり、編んだり 

6月に読みおわった本

6月に、てっぺんから最後まで読んだ本(と、見た映画)のリスト。ほかに読みきれなかった本が何冊か。今月みた映画は、うちでDVD…ではなくて、ぜんぶ「外」。

今年はどうしようかと延び延びになっていたが、やっとゴーヤの苗を植えた。早くから植えられていたヨソのゴーヤはぐんぐん伸びて、もう実がなっていたりするのを見かけるも、例年より遅くなってしまったウチのゴーヤは、やっと蔓が伸びはじめたところ。これまでは西向きの窓全面を覆うように網を張っていたが、今夏はちょっと網の張り方を変えてみることにした…うまくいけば、ゴーヤの葉陰で読書?

関東や九州など、局地的にものすごい雨や停電が起きるほどの落雷、雹が積もるようなことになっているようだが(こういうのは「梅雨」の雨とちゃうなと思う)、ウチのあたりはあまり降らず、どんよりした空模様の日もお湿り程度。例年、梅雨の終わる頃には、どーっと雨の日があったりするが、今年はどうなのだろう。

この季節の空模様に似て、気持ちの浮き沈みがあったり、もやもやが晴れない日、めんどくさくていらいらする日がやや多かった印象の残る1ヵ月が、終わる。

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西加奈子と地元の本屋(大阪の本屋発行委員会)

西加奈子と地元の本屋西加奈子と地元の本屋
(2014/06/13)
大阪の本屋発行委員会

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大阪の書店員有志によるプロジェクト「大阪の本屋発行委員会」がつくった小冊子。ちょっと前に、こんなんができたと知って、近所の本屋にあるかとすぐ見にいったときにはなかったけど、数日後に行ったらあった!税込み380円という買いやすい値段だったこともあり、買ってみる。

メインは、西加奈子×津村記久子の対談。私は西加奈子の本はそんなに読んでないけど、津村記久子の本はかなり読んでるので、この二人のしゃべりを読んでみたかったのだ。「具体的に地名があるほど、大阪弁で書かなかったりする。逆に、大阪っぽいけれど設定が細かく決まってないものほど、大阪弁で書いたりする。」(p.9)と津村は語り、「自分を上から見てるような感じ。『舞台』の主人公は、カッコ悪い自分を上から見て笑うということに救われる。それはすごく大阪的ですよね。」」(p.9)と西は語る。

二人が、「すべての場所はローカル」ということを語りあうところは、なるほどなーと思った。「すごく近しいことを書く方が、実は世界中に広がるんじゃないか。(p.12)と西が言い、「もしかしたら、「ここにおるから、こんなにしんどいんやけどな」みたいな感覚は、日本の他の街の誰かや、どこかの国の人でも下地と共通して思っていることかもしれない。だから、それを突き詰めることは全然無駄じゃない。」(p.14)と津村が言う。

どこかその物語のミクロなところ、ドメスティックなところに「感じる」ものがあるからこそ、徹底してローカルな小説ほど、翻訳しても読まれるのかもしれない。

ヒロシマとフクシマのあいだ―ジェンダーの視点から(加納実紀代)

ヒロシマとフクシマのあいだ―ジェンダーの視点からヒロシマとフクシマのあいだ
―ジェンダーの視点から

(2013/03)
加納実紀代

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知人がこの本のブックガイドを書いたと聞き、近所の図書館にないのでリクエストしてみたが、購入されることはなく、ヨソからの相貸で届く。途中、どうもよく分からないところがあって、ぎりぎりまで延長して借りた。

▼フクシマ以後、原発導入の経緯や、大衆社会との関連で〈核〉について検証したものは、それこそ奔流のように刊行されている。そこに本書を付け加える意義が少しでもあるとすれば、それはジェンダーの視点にこだわっていることだろう。(p.18)

著者の加納は、5歳のとき、広島で被爆した。「被爆国がなぜ原発大国になったのか?」、「ヒロシマはなぜフクシマを止められなかったのか?」との問いが著者には堪えたという。急遽取り組んだ〈核〉を軸にした戦後史の検証がこの本の第一部「ヒロシマとフクシマのあいだ」に、反核運動と女性、わけても母性について著者がこれまで書いてきたものが第二部「反核運動と女性」におさめられている。

過去の文章を集めてあるので、似た内容があちこちで繰り返し出てきたりもして、内容だけでいえば三分の一くらいのページ数でまとめられると思うが、念を押すように何度も出てくるのを繰り返し読むことで分かってくることがあるような気もした。

99%ありがとう ALSにも奪えないもの(藤田正裕)

99%ありがとう ALSにも奪えないもの99%ありがとう ALSにも奪えないもの
(2013/11/21)
藤田正裕

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オレは動いてないけど、
100%生きてるのを
忘れんな。
 (p.174)

著者は、私より10歳年下の人で、2010年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。30代に入ったばかりでの発症。この本が出たのは昨年秋で、プロフィールには「現在は、顔と左手の人差し指しか動かない」とある。著者は、「自分の体の動きをひとつひとつ、3年かけてゆっくりと取り上げられるのを見てきた」(p.152)。母の病気の進行も速かったけど、「3年」にALSの進行の速さを実感した。

いままでできたことが、奪われていく。著者は、何度か死にそうになり、人工呼吸器をつけ、気管切開をし、胃瘻をつけた。広告プランナーとして、週1の出社と在宅勤務で仕事を続けている。ALS患者として発信しようという意欲が強いのは、仕事柄もあるのだと思う。

▼これは「本」というより、僕の人生の短い「日記」。
 ALS前と後の、ある日、ある出来事、ある思いを、 
 なるべく素直に記してある。(p.6)

訣別 橋下維新を破った男(竹山修身)

訣別 橋下維新を破った男訣別 橋下維新を破った男
(2014/03/20)
竹山修身

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「ブックマーク」読者さんからの紹介で、現職の堺市長が書いた『訣別 橋下維新を破った男』を読んでみた。自分ではなかなかこういうタイトルの本は手に取らないが、読んでよかった。

かつては大阪府庁で橋下徹に仕え、堺市長選に初めて出たときは、泡沫候補と言われながら橋下徹の応援を受けて当選、しかし2期目は「大阪都構想」に堺が巻き込まれる必要はないと「堺はひとつ」を掲げ、維新の会の候補を破って当選したのが著者。

維新の会がいろいろ言うことは「雰囲気」もんのことが多くて、私はいまだに大阪都構想がどういうものかよく分からずにいたが、堺市という具体的な基礎自治体の話を例に、維新の会の側が主張していることと著者の側が主張していることとの違いが書かれているので、自分の住んでいる自治体の場合はどうか…と考えてみるにもよかった。

「是々非々でやっていく」という政治の世界のこともちょっと分かった気がしたし、基礎自治体がなにをやっていくかという点でもおもしろかった。

都構想のことだけではなく、この本は政治というか選挙というか、そのへんの応援や支援、主張の異同のことなどが、「イメージ」によってねじまがりやすい具体例も示していて、報道機関までもが事実誤認を伝えてしまったりしたことを知ると、こわいなーと思う。

なんでそんなことするの?(松田青子 作、ひろせべに 画)

なんでそんなことするの?なんでそんなことするの?
(2014/03/19)
松田青子 作、ひろせべに 画

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『スタッキング可能』の著者・松田青子の本は、翻訳の『はじまりのはじまりのはじまりのおわり』をしばらく前に読んだが、これはご本人が書いた作。本文もおもしろかったけど、絵もおもしろかった。

学校で、同級生から「変だよ」「おかしいよ」などと言われるトキオ。トラのぬいぐるみを学校へ持ってくるのは変だとか、それは女の子のものだから持ってるのはおかしいとか。家で待ってるミケは、そんなトキオが学校から帰ってくると「たのしくなさそうだね」と見てとる。ぼくも学校へ連れていってよ、遠くから見てるからとミケにせがまれて、トキオはうんという。

次の日、トキオにいやなことを言って、いやなことをしようとした同級生を、ミケがぱくっと食べてしまった。ミケは、ひどいことを言ったりやったりされても、がまんしたり平気なふりしたりするようなのはいやなんだ!とトキオに言うのだ。それから、トキオにひどいことを言ったり、トラにちょっかいを出したりする同級生には、おかしなことが起きるようになった。

さくらんぼ(1995.6.23)

1995年6月23日、19年前に、母がスケッチしていたさくらんぼ。病気は徐々に進行していて、リハビリ代わりに絵手紙を描いたりしていた。この頃は、震えた字ではあるが、まだ読める。このあと、母の字は、どんどん判じ物のようになっていった。
さくらんぼ(1995.6.23)
母が死んでから10年後、この絵もふくめて、絵はがきを6枚つくった。
Genre : 日記 日記

伴侶の偏差値(深沢潮)

伴侶の偏差値伴侶の偏差値
(2014/03/20)
深沢潮

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『ハンサラン 愛する人びと』がおもしろかったので、同じ著者の最新作を読んでみる。短編なのかと思ったら、最後までイッキの長編だった。

主人公は、35歳の真紀。タイトルにある「偏差値」というのは、受験を控えた者がその上下で一喜一憂するのに似て、真紀が誰彼と自分を引き比べて、上だとか下だとか、自分のほうがいいとかわるいとか、全方位的にやたら気にするところが、微に入り細を穿って描かれているのを、よくあらわしていると思った。

その比べっこも、どんどん状況が変わっていくなかで、何度かどんでん返しがある。小説中では、3・11の大震災以後、ぱたぱたと駒を裏返すように、真紀の目にはいいように見えていた物事や、あんなふうにはなりたくないと思っていた事柄の、別の面が描かれる。

背守り 子どもの魔よけ(株式会社LIXIL)

背守り 子どもの魔よけ背守り 子どもの魔よけ
(2014/03/11)
株式会社LIXIL

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大阪のLIXILギャラリーで3月から5月までやっていた「背守り 子どもの魔よけ展」にあわせて刊行された、LIXILブックレット。会期中に展示を3度見にいって、このブックレットに掲載されている背守りなどの実物をじっくり見た(ブックレット掲載の写真は、石内都による)。

「背守り」とは、背に縫い目のない子どもの着物は背後から魔が忍び込むと思われていて、それを封じるために背中に縫い取りや刺繍、ちょっと綿を入れた押し絵などをつけたもの。子どもが幼いうちに亡くなることも多かった時代に、健やかな成長を願ったもので、「背守り」のほかに、金沢のお寺に奉納されたものがいっぱいあるという「百徳着物」、お守り袋や迷子札など、子どもを守ろうとする心のこもった衣類が展示されていた。

長寿の人がいるうちや、子どもの育ちがいいうちから端布をわけてもらって(=たくさんの徳をもらえるように)、集めた端布をつなぎあわせて着物にしたという「百徳」もよかった。

就活のまえに―良い仕事、良い職場とは?(中沢孝夫)

就活のまえに―良い仕事、良い職場とは?就活のまえに―良い仕事、良い職場とは?
(2010/01)
中沢孝夫

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前半分は悪くない気がしたが、後半は「え?」「は?」と思うところがあり、ビミョ~な読後感。

大切なのは「こいつといっしょに働きたい」と思われることだとか、職場は不変ではなくて「よく変える」のも「悪くする」のもそこで働く人たちの意思が重要だとか、ともに働く仲間からの信頼や評価をかちえるのは短期間ではできないとか、相手先にとって必要な新しい仕事を次々と考え出すことが最重要なことのひとつだとか、やってみて初めて自分にも「こんな仕事ができる」と発見することが多いとか、そういうあたりは、それなりに分かるし、そうやろうなと私も思う。

でも、学生時代の経験としてアルバイトそのものは良い悪いはないが、「飲食店やファーストフード店といった誰でもできる一般的なバイトの経験を[就職面接で]長々と話しても、相手が感心したりすることはありませんし、あまり意味もありません」(p.67)といったところは、そうだろうか、と思う。「誰でもできる」というところに、ひっかかる。

ヒューマンライツ誌6月号で、社納葉子さんが「ファストフード店の厨房で見えてきたこと」を書いている。社納さんが5年勤めたパート仕事で知ったこと、学んだことのなかで"「マニュアル仕事」という固定観念"がまずあげられている。

ラモーナとおかあさん(ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵)

ラモーナとおかあさんラモーナとおかあさん
(2001/12)
ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵

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『ラモーナとおとうさん』に続き、『ラモーナとおかあさん』。前作で失業中だったおとうさんは、マーケットの仕事を見つけた。

ラモーナは「7歳半」、なんだか中途半端な年齢で、もうあかちゃんじゃないけど、ビーザスみたいな若いおとなでもない。おかあさんにミシンを使わせてもらうも、なかなかうまくいかず、おかあさんは「何かもっとやさしいものを縫ったらどうなの」と言うけど、「だって、あたし、むずかしいことをやりたいんだもん」!!!

そんな7歳半のラモーナは、まわりの言動から(だれも、あたしのこと、すきじゃないんだ)と思ってしまったり、あれこれ気がかりがあったり、かとおもうと、うれしくてはちきれそうだったり、こうしたらきっとおもしろいとわくわくしたり、実際にやってみたり(それで失敗したり)。気持ちがふくらんだりしぼんだりするのが少々激しいのは、ラモーナの想像力がゆたかだということか。

とくにおもしろかったのは「一大髪の毛論争」。思春期にはいった姉のビーザスが、髪の毛を家で切ってもらうんじゃなくて、美容師さんに切ってもらいたいと言いだして、クラスでこんなのあたしだけ、そんなことないでしょう、そのもじゃもじゃ頭はどうするのと、ビーザスとおかあさんが言いあう。

産めないから、もらっちゃった!(うさぎママ)

産めないから、もらっちゃった!(うさぎママ)産めないから、もらっちゃった!
(2012/10/26)
うさぎママ

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この本のことは、『支援 vol.3』(特集:逃れがたきもの、「家族」)のブックガイドで知った。こないだ図書館に入ってるのを見つけて借りてきた。表紙イラストから、なんとなく中はマンガかな~と思ったりしたが、中は縦書きの文章だった。もとは、著者がブログに書いたものを加筆・再構成して本になったものだそうだ。

『赤毛のアン』が大好きで、大嫌いだったという著者は、特別養子縁組(※)でもらった子を「アン」、夫を「マシュー」、一家を「メイプル家」として、アンシリーズを思わせる章タイトルや小見出しをつけて書いている。

「子どもをもらう」ということは、たぶん昔は(少なくとも私の祖母の若かった頃は)そんなに特別なことではなかったのだろう。母方の祖母(生きていたらもう百歳を越える)は、結婚してからなかなか(6年くらい)子どもができず、「もらい子」をしようとしていたときに、ひょっこり「子どもができた」という話を、孫にときどきしていた。そういうわけもあって、祖母は当時としては晩産といっていい年齢で子どもをもった。

この本は、うさぎママが主語の内容がほとんどだが、うさぎママと話すかたちでアンの思いも入っていて(アンからの手紙も1ページある)、その中でも〈養子に出すという選択肢〉のところが、よかった。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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