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読んだり、書いたり、編んだり 

ふたり旅―生きてきた証しとして(津村節子)

ふたり旅―生きてきた証しとしてふたり旅―生きてきた証しとして
(2008/07/25)
津村節子

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吉村昭を何冊か読んだところで、50年ともに暮らした津村節子のほうを読んでみたくなって、吉村没後にまとめられた本を借りてみた。福井にうまれ、両親を早くに亡くした津村がいちばん長く共に暮らしたのは夫の吉村昭だった。

▼夫との五十年の歳月を"ふたり旅"と言うならば、思い出はみな遠く去ってしまい、胸にあるのはかれが病いに侵されてからのことのみであった。しかし「ふたり旅」を書きながら、楽しいことも、嬉しいこともあったのだなあという感慨を抱いた。(p.253、あとがき)

タイトルから、吉村昭との「ふたり旅」のことがメインなのかと思ったが、もとは『津村節子自選作品集』(岩波)の巻末に掲載した"私の文学的歩み"の後を書き継いでまとめたものだそうで、津村自身の生い立ちから、吉村昭との出会い、家庭のこと、家族のこと、そして自身の創作のこと、吉村の文学のことなど、いろいろ書かれている。

ぼくの沖縄〈復帰後〉史(新城和博)

ぼくの沖縄〈復帰後〉史(新城和博)ぼくの沖縄〈復帰後〉史
(2014/02)
新城和博

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著者は1963年うまれ(ということは、『みぞれふる空』のサーちゃんと同い年だ)、アメリカ統治下の沖縄で育ち、1972年5月15日の日本復帰を小学生で迎えた。

復帰から40年の節目にあわせ、沖縄タイムスの文化面で隔週連載された「沖縄復帰後史 我らが時代のフォークロア」をまとめたものがこの本で、著者は〈復帰後〉の40年にあった出来事の中から沖縄タイムスの担当者に「お題」を与えられて、自分の記憶から蘇る場面を描いたという。

1970年代、1980年代、1990年代、2000年代以降という区切りのなかで取り上げられたできごとについて書かれているのは、著者の個人的な体験だが、それは「誰かの物語と重なるかもしれない」(p.6)ものなのだろうと思えた。

▼数え年四〇の間に沖縄で起こった事を挙げればきりがない。 (略) 沖縄戦を体験していない世代の僕でも、復帰から四〇年も経てば、ひとつの歴史として沖縄を思い返すことができるかもしれない。戦後史ならぬ、「沖縄〈復帰後〉史」とでも名付けてみよう。(pp.5-6)

みぞれふる空 脊髄小脳変性症と家族の2000日(米本浩二)

みぞれふる空 脊髄小脳変性症と家族の2000日みぞれふる空
脊髄小脳変性症と家族の2000日

(2013/04/22)
米本浩二

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『難病カルテ』の参考文献リストにあがっていた中で読んでみたいと思った本が図書館にあったので、早速借りてきて読んでみる。著者の妻・サーちゃんは、40代半ばで自身の異変を察知した。新聞記者である夫が、妻の病気、その介護と、思春期の娘たちのことを書いた。

もとは、毎日新聞の福岡都市圏版などに連載されたものが、加筆されて本になっている。闘病記の類は自費出版されるものも多く、正直なところ読むに堪えないことがある。著者が新聞記者で、もとが新聞連載なのだからあたりまえといえばそうだが、読む人を意識した文章で、そこが個人的なことを書きながらも読んだ人に通じるものになっていると思った。

著者の妻・サーちゃんは脊髄小脳変性症と診断された。著者も引いているが、『1リットルの涙』の木藤亜也さんも同じ病気だった。私の母も同病で、それだけに、身体の異変に気づいたサーちゃんが、否応なく進行していく病気によって暮らしを変えていかざるをえない状況は、母もこんなふうに感じていたのかもしれへんなーと思いながら読んだ。

ラモーナとおとうさん(ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵)

ラモーナとおとうさんラモーナとおとうさん
(2001/12)
ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵

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『ゆうかんな女の子ラモーナ』の次の巻はこれらしい。

▼クリスマスと、自分の誕生日の次に、ラモーナがすきな日は、おとうさんの給料日です。その日は、何かいいことがあります。おかあさんも、お医者さんのところへパートタイムで働きに行っていますが、おかあさんの給料日は、ラモーナが一年生のとき建てまししたへやの月賦がはらえるというだけです。(p.6)

おとうさんの給料日、ラモーナは、クリスマスに人からもらいたいプレゼントのリストを書きながら、ウキウキしている。今日は金曜日だし、映画につれていってもらえるかもしれない、あるいはおとうさんがお土産を買ってきてくれるかもしれない、晩ごはんはホッパーバーガーかもね!

帰ってきたおとうさんは、ラモーナと姉のビーザスに「クマさんガム」(小学校では今これがおおはやり)を渡すと、おかあさんとひそひそ声で話しはじめた。

おかあさんの扉1~3(伊藤理佐)

おかあさんの扉 おかあさんの扉2 おかあさんの扉3

元同僚さん(子持ち)から「笑えるでー」と貸してもらったマンガ。伊藤理佐が40歳で出産して、それからの子育て話を描いたもの。笑った笑った。ぶふふーと笑いながら読んだ。子どもが生まれてからのネタは、たまに週刊文春の1コママンガ(「おんなの窓」)で読んだりもしていたが、オレンジページのこんな連載もあったのか!

娘・あーちゃん(仮名)が、うまれて、1歳をむかえ、2巻では2歳になり、3巻では3歳児。妹は(いま下の子が2歳)、こんな風なコドモの相手をしているのかなあと想像もしながら読んだ。

夫(吉田戦車)が「オットの人」と表現されているのもおもしろかった。このマンガには、合間に「おとうさんの扉」と題して、吉田戦車のコラムがはさまっていて、例えばこんなことが書いてある。

▼伊藤理佐が描く「オットの人」はどれくらい自分か、と考えると、本人的には40%ぐらいではないかと感じている。
 伊藤は70%ぐらいに思っているかもしれないが、どちらにしろ「これはフィクションのおれだ」と思わないと読んでいられない気分になることがある。マンガとしてはおもしろいが、自分なんか見たくない、という暗い気持ちがちらりと顔を出す。(1巻、p.17)

関東大震災(吉村昭)

関東大震災関東大震災
(2004/08)
吉村昭

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『史実を歩く』『私の好きな悪い癖』を読んで、まずこの記録小説を読んでみようと買ってきた。これが書かれたのは昭和47年~48年(1972年~73年)で、ほぼ40年前のことである。

「あとがき」に吉村はこう記す。
▼私の両親は、東京で関東大震災に遭い、幼児から両親の体験談になじんだ。殊に私は、両親の口からもれる人心の混乱に戦慄した。そうした災害時の人間に対する恐怖感が、私に筆をとらせた最大の動機である。(後略) (p.346)

9月1日の発災から5日間は報道機関が壊滅に近く(1社がようやく5日の夕刊発行に漕ぎつけている)、情報を得る手段がほとんど失われたなかで、流言の伝わるすさまじい速さの記述に怖気がした。

▼その速度はきわめて早く、九月二日午前中には横浜市内をおおった流言が、その日のうちに東京市内から千葉、群馬、栃木、茨城の関東一円の各県に及び、翌三日には早くも福島県にまで達している。交通機関をはじめ電信、電話が壊滅していることから考えると、それは口から口に伝わったものだがその速度は驚異的な早さであった。(p.172)

関東大震災というと、本所被服廠跡の火災とそこで亡くなった人数の凄さ、そして大杉栄と伊藤野枝が麹町の憲兵分隊で殺されたこともあって、私のなかでは「東京」という印象が非常に強かったのだが、震源は相模湾で、地震の被害が大きかったのはむしろ横浜なのだった。

難病カルテ―患者たちのいま(蒔田備憲)

難病カルテ―患者たちのいま難病カルテ―患者たちのいま
(2014/03/06)
蒔田備憲

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毎日新聞の佐賀版で2011年から1年9ヵ月、毎週1人の患者を書いた連載をもとに、追加取材などを加えて本になったもの。連載されていたときには、web版で何度か読んだ。母がいわゆる「難病」になり、私自身もかつては慢性疾患と診断されて、この病気と生きていくのだなーと思っていたので、病気モノの本のなかでも、難病モノは見つけたらわりと読む。ひとごととは思えない。

なぜ難病患者を取材したのか、ということを著者はこう書いている。
▼筆者として最も意識したのは、病気を抱えている人がどのような暮らしをしているのか、患者としての生き方がいかに多様であるかを伝えることだった。そのことが「難病」という分かりづらく複雑な現状について、近づくきっかけにつながりうる、と考えたからだ。(p.7)

本になったのを手にして、まず目次を見て、母と同病の方のページを読んだ。佐賀の方がお2人、「被災地の難病患者たち」のお2人が同病だった。それぞれの方の「生活のなかにある病気」に、母のことを断片的に思い出す。

大きい1年生と小さな2年生(古田足日さく、中山正美え)

大きい1年生と小さな2年生大きい1年生と小さな2年生
(1970/03/01)
古田足日さく、中山正美え

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古田足日が亡くなったと知って、この『大きい1年生と小さな2年生』が読みたくなり、近所の図書館にあったのを借りてきた。私が子どもの頃に読んだのは、水玉もようの偕成社文庫だったけど、この単行本は1970年が初版で、私が借りたのは2004年の186刷だった。『おしいれのぼうけん』はもっと刷り数いってるのかも。

さし絵もなつかしい(とくに、ホタルブクロをどっさり抱えたまさやの顔が)。私は1年生になったとき、クラスでいちばん後ろに並ぶ背丈だった。大きい1年生のまさやに、それでちょっと共感したおぼえがある。小さな2年生のあきよは、なんだかラモーナのようだった。3年生にも、週番の5年生にもむしゃぶりついていく。

しっかりしなさいとばかり言われるまさやは、あきよちゃんみたいになればいいんだとあきよをよくよく気をつけて見る。「しっかりする」ということは、5年生の週番とでもケンカすることなのかなあ、泣かないことなのかなあ。よく涙が出てきてしまうまさやは、あきよの行動を見て考える。

ゆうかんな女の子ラモーナ(ベバリイ・クリアリー作、アラン・ティーグリーン絵)

ゆうかんな女の子ラモーナゆうかんな女の子ラモーナ
(2013/10/08)
ベバリイ・クリアリー作
アラン・ティーグリーン絵

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表紙カバーのレンガの壁を蹴っているらしきラモーナのイラストに、何かをそそられて借りてくる。他にも「ラモーナ」の本があるのは知っていたので、ラモーナのシリーズかと思ったら、これはもともと「ゆかいなヘンリーくん」シリーズというもので、主人公はヘンリーくんらしいが、シリーズ後半の7冊ではこのラモーナが主人公!

お姉ちゃんが公園で男の子たちに名前でからかわれたとき、ラモーナは前へ出てお説教してやった。おまけに、親指を耳につっこんで、あとの指を振りながら、舌を出してやった。

私の好きな悪い癖(吉村昭)

私の好きな悪い癖私の好きな悪い癖
(2003/11/14)
吉村昭

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『史実を歩く』とあわせて図書館で借りてきて、『史実を歩く』に続けて読んだ。

「エッセイは、小説を書く私の素顔である」(p.240)という著者が、日常見聞きすることがらの中から「書くに足る」と感じた対象を書いたもので、こちらも、作品の舞台裏のような部分が大きかった。幼い頃の日暮里での暮らし、自身の小説作法から、取材の旅、そして心に残る人のことなどが書かれている。

吉村昭の小説作品をひとつも読んでいない私は、以前から気になっていた『関東大震災』を買ってきて読んだ。この『私の好きな悪い癖』の「史実を究める」という章のなかでも、「『関東大震災』の証言者たち」として、かの大震災を生きのびた方たちの話を聞いたときのことが書きとめられている。

彫刻家の娘(トーベ・ヤンソン)

彫刻家の娘彫刻家の娘
(1991/11/12)
トーベ・ヤンソン

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『少女ソフィアの夏』がおもしろかったので、似た装幀の『彫刻家の娘』を借りてくる。"彫刻家"とは、トーベ・ヤンソンの父のヴィクトル・ヤンソンのこと。なので、自伝みたいなやつかなーと思ったら、『少女ソフィアの夏』みたいに、子ども時代の思い出を核にふくらませた「お話」になっていた。

子ども時代に見た夢うつつの世界や、その中にひたっていたお話の世界の続きが書かれているようでもあった。とくに「チュールのペチコート」「雪」「飛ぶこと」がおもしろかった。心が飛びたつようだった。自分がすっかり忘れている何かをちらっと思い出すようだった。

ヤンソンさんは、空想をふくらませてその世界で遊べる子どもだったのだろうなと思った。そういう子ども時代の根っこがあって、物語の世界をつくりだしていけるのだろう。

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの(堀川惠子)

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの
(2009/11/24)
堀川惠子

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死刑判決に拍手と歓声?
2009年4月、光市母子殺害事件の、高裁での差し戻し判決。広島の元同僚から聞いた、判決当日のようすを聞いて、著者はことばをうしなった。

▼判決当日、広島高等裁判所のまわりには、判決を待ちかねる報道陣のテントや中継車が所狭しと並び、傍聴券をえられなかった市民たち数百人が敷地内に残っていた。せめて判決を聞いてから帰ろうということであった。死刑判決であれば、主文は最後に言い渡されるから、午前10時過ぎには結論が分かるのだ。
 法廷では主文が後回しになった。記者たちが判決を生中継で伝えるため、お決まりのスタイルで法廷からダッシュで玄関先へ飛び出してきた。「主文は後回しです、死刑判決が濃厚です!」と興奮のまま大きな声で繰り返した時のことだった。まわりにいた市民たちから、拍手と歓声があがったというのだ。(p.7)

著者は、裁判が進むなかで、具体的な争点や死刑と無期を分ける法律的な論争などがまったく聞こえてこないまま、世論が日ごとに被告人に対する"死刑コール"の様相を濃くしていくことに気持ち悪さを感じてもいた。

永山則夫が書簡に記した"生きた言葉"
永山則夫は膨大な書簡を遺している。1970年代後半から、手紙を書く際にカーボンで複写を取ったり、別の便箋に控えを取ったりしていた自分が出した手紙と、受け取った手紙をあわせ、その数は1万5千通をこえる。「永山は、二つの言葉を使い分けて生きていた。社会を糾弾するための、"たたかう言葉"、そして、自分自身の本音を語る"生きた言葉"である」(p.18)。その"生きた言葉"を、著者は多くの書簡の中にみる。

▼永山の「本音」と「心情」が交錯する書簡は貴重な材料である。それら膨大な書簡からたどることのできた関係者の証言や、永山事件にかかわった元裁判官たちの証言は、これまでの永山則夫像を覆し、永山裁判の隠された真実を明らかにするものとなるだろう。(p.22)

この本は、永山書簡とその周辺の人びとの取材を通して、死刑の基準のように言われてきた「永山基準」が、どういう経緯で判決として書かれたか、またその後の運用のなかで当初の意図とはずれたかたちで普及してしまったことを明らかにしている。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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