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市のある町の旅 人情と風土にふれる朝市行脚(児玉隆也)

市のある町の旅 人情と風土にふれる朝市行脚(児玉隆也)児玉隆也
『市のある町の旅 人情と風土にふれる朝市行脚』
サンケイ新聞出版局
1973年5月1日 1刷

児玉隆也の著作一覧に出ている本で、近所の図書館にないやつをリクエストしたら、これは鳥取県立図書館からやってきた。観光ガイド風のつくりにも見えるので、多くの図書館ではある程度の年数がすぎたら廃棄の対象になっているのかもしれない。

この本は、"DISCOVER JAPAN BOOKS"という全10巻のシリーズうちの8冊目。カラー口絵にはじまり、写真もたくさん入っている。はしがきには、"「にんげん」を見にゆく旅"と題して児玉の小文がある。「市」を歩きませんか、と。

あとがきには、こうある。
▼「民衆」とか「庶民」とか「市民」ということばを使わずに、市の人びとを書こうと思いました。
 聞き終えて、悔が残ります。
 モンペのおばあさんの家に泊めてもらって、まる一日を、同じものを食べ、同じ労働をし、同じテレビを見たうえで書きたかった、というのもそのひとつです。
 結局は生産者の側からのレポートでなく、通りすがりの旅人が、ズボンの尻を濡らしながら、おばあさんといっしょに座りこんでの聞き書きのトーンで塗りました。(p.238)

『市(いち)のある町の旅』は、北海道から九州まで、各地の「市(いち)」を訪ねた児玉の、聞き書き風の読みものになっている。本が出たのが40年前、なので取材はさらにその前のはずで、私が生まれた頃は、こんなんやったんかなーと思いながら読む。

児玉は本のなかでこんなことを書いている。
▼ぼくは、旅というものは、知らない土地の人間や人間の営みに「ぼく」や「ぼく」の暮らしを照射させ、はね返ってくる響きの中で、「ぼく」を考えてみる作業だと思っている。(p.143)

今も続く「市」がある(京都の弘法市とか輪島の朝市とか)一方で、このレポートされた「市」は今どうなってんのかなーと思うのもある。

生活くらぶ(草履づくり)

こないだスペース草へ行ったときに、まいつき第一水曜の午後に、猿澤恵子さんの「生活くらぶ」があると知り、来たいです~と手をあげて、今日は午後からスペース草へ。

草履づくり、手ぶらで来ていい、何かしたいことがあればそれでもと聞いていて、とりあえず手ぶらで行く。草履を編むところからやるんかな?と思っていたら、竹皮の草履本体が山ほどあって、それに鼻緒なりをつけるところをやるのだった。

私は裂き織りをやらせてもらい、それをグシグシと草履に縫いつけて、写真のようなのが完成。帰ってきてはだしで履くと、じつにキモチいい。

生活くらぶ(草履づくり)
Genre : 日記 日記

みえない雲(グードルン・パウゼヴァング)

みえない雲みえない雲
(2006/11)
グードルン・パウゼヴァング

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『そこに僕らは居合わせた』の巻末解説を読んで、あ、この人は『みえない雲』の人なんやと気づく。それで、タイトルだけは知っていたが読んだことのなかった本を借りてくる。この作品は、チェルノブイリの事故から20年目にドイツで映画化されている(『みえない雲』;文庫のカバー写真は映画のものと思われる)。

著者は、チェルノブイリ原発事故のニュースにふれるうち、「これが1500キロも離れた場所ではなく、ドイツのど真ん中で起こったとしたら、いったいどんなことになるのだろう?」と思い、翌1987年初めに、この作品を発表した。

フィクションではあるが、福島第一原発の事故が起きたいま、原発事故後の政府の対応や人々の言動を読んでいると、この2年あまりをなぞるようで、たまらない思いにかられるところがある。

そこに僕らは居合わせた― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶(グードルン・パウゼヴァング)

そこに僕らは居合わせた― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶そこに僕らは居合わせた
― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

(2012/07/18)
グードルン・パウゼヴァング

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古本屋で先日みかけて、図書館にあるかなと帰って調べたら、あったので借りてきた。

1928年うまれの著者自身の体験や、見聞きしたエピソードで綴られる「ナチス・ドイツ下の記憶」。1945年4月30日、ヒトラー死亡のニュースをラジオで聞いた著者は、絶望のあまり涙を流したという。当時17歳だった著者には、ヒトラーがいない生活や世の中など想像できなかったからだ。

「忘れないための物語」という巻末の文章のさいごに、著者はこう書く。
▼まもなく時代の証人はいなくなるでしょう。あの時代の恥ずべき行為が忘れ去られることがないよう、私はこの書を世に送り出します。人間を踏みにじる政治は、もう二度と行なわれてはなりません。それはドイツでも、他のどんな国でも同じです。(p.232)

収録されている20の物語は、ナチス・ドイツ下で、10代の子どもたちがどんなことを見聞きしてきたか、大人を見て思ったこと、自分自身の言動への悔い、あるいは孫世代から問われて引き出された証言を含む。そうした物語を読みながら、これはドイツだけの話ではないと思う。

片づけたい女たち(永井愛)

片づけたい女たち片づけたい女たち
(2013/01)
永井愛

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永井愛、こんどは何?と思って借りてきた。表題の芝居台本と、その英訳台本が収録されている。この表紙の絵、どっかで見たような…と思ったら、荒井良二だった。

ある朝の仕事前、ベランダで、ひょろひょろと伸びはじめたゴーヤの脇に座って読む。ツンコ、おチョビ、バツミという、50代の女3人を想定して書いたと、永井愛があとがきに書いている。3人は高校時代の親友。

ある日、ツンコの家(それはデザイナーズ・マンションと思われるしゃれた空間)をおチョビとバツミが訪れてみたら、「あらゆる所に物が散乱し、あるいは積み上げられ、もはや部屋と呼べるほどの秩序はない」というすさまじい状況になっていた。芝居は全編、そのぐっちゃぐちゃのツンコの部屋を3人が片づけていく。

手を動かし、ゴミの分別を確認し、それぞれの置き場を決めて、物を片づけながら、3人の口は動く動く。散乱した物から、ツンコの生活が、あるいは、おチョビやバツミの生活が、みえてきたりする。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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