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読んだり、書いたり、編んだり 

ライファーズ 罪に向きあう(坂上香)

ライファーズ  罪に向きあうライファーズ 罪に向きあう
(2012/08/21)
坂上香

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アリゾナ州ツーソン、というと大昔に父が滞在していたところだ。私は行ったことがないけれど、大きなサボテンがうつった赤茶色の土地の写真を見たことがある。そのツーソンにある、犯罪者や薬物依存者の更正施設アミティを、著者の坂上香さんが初めて訪れたのは1995年。以来、なんどもアミティを訪れながら、償いと回復をめぐる旅を坂上さんは続けてきた。

▼人は自らが受けた傷を越えて、いかに成長することができるか。犯した罪に、いかに向きあうことができるのか。暴力に満ちた世界を、いかに変えられるのか。TCのアプローチはこれらの問いに、いかに応えることができるか。(p.40)
※TCとは、Therapeutic Community、治療共同体、回復共同体と訳されている

アミティ代表者のナヤは、この課題をアミティという新たな旅路に託した。1981年のことだ。この『ライファーズ』は、旅路の記録でもある。

ジャムの空壜(佐川光晴)

ジャムの空壜ジャムの空壜
(2001/09)
佐川光晴

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7月から週に一度、佐川光晴が新聞コラムを書いている。何か作品を読んだことがあるような気もするが、しかと思い出せず、それはさておき、コラムはなかなかおもしろくて(他の曜日の執筆者もおもしろく)、夕刊を読むたのしみのひとつ。

佐川のこないだのコラムのタイトルは「不妊症と私と妻」というものだった。調べたところ、精子減少症が判明して、「なんとも心もとない気持ち」になり、「自分の存在が希薄になったような感覚がしばらく続いた」という。「ついには、ぶどうの「種無し」という表記にまで敏感になるしまつ」で、「やりきれない思い」だった、とある。

だが、人工授精という操作を始めてみれば、大変なのは妻の方だった。まだ読んでいないが、ちかごろ出た『ヒキタさん!ご懐妊ですよ』にも、不妊治療を始めてみれば、原因は自分なのに健康な妻の方が大変だ、という話が書いてあるらしい(と、書評で読んだ)。

コラムを読み進むと、佐川はみずからの経験もふまえて、男性の不妊をテーマにした小説を書いたのがあるそうで、それが、この『ジャムの空壜』だった。へええ、もう10年以上も前に、男性不妊をテーマにした小説があったのかと、図書館で借りてきて読んでみた。

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代(児玉真美)

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代アシュリー事件
―メディカル・コントロールと
新・優生思想の時代

(2011/10)
児玉真美

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河北新報の連載が本になった『生きている 「植物状態」を超えて』を読み、その後にこの『アシュリー事件』を読み、そこへiPS細胞のノーベル賞があって、あたまがぐるぐるしていた。

技術バンザイ路線でほんまに大丈夫なんかと思ったり、「再生」医療と脳死臓器移植はそんなに遠くない気がしたり、そしてまた、もし母が生きてたら喜んだんやろうかと思ったり。

アシュリー事件とは、「日本で言うところの重症心身障害児に対して、子宮と乳房芽を外科手術で摘出し、身長の伸びを抑えるためのホルモン大量療法が行われた」というものだった。この"療法"を受けたのは、6歳の女児。その両親が、娘のQOLを高めるためにと希望しておこなわれた。つまり「生理痛がなくて、発達しきった大きな乳房からくる不快がなくて、常に横になっているのによりふさわしく、移動もさせてもらいやすい、小さくて軽い体の方が、アシュリーは肉体的にはるかに快適でしょう」(p.42)と。

著者の児玉さんは、このニュースを最初に聞いたとき、強烈な違和感があったという。インターネット上ではすでに論争は激化していて、肯定する声が思いのほか多く、しかし児玉さんには「これをOKだと主張する人たちの言うことが、いくら読んでみても、私にはどうしても分からな」(p.8)かった。

シンボルスカ詩集(ヴィスワヴァ・シンボルスカ、つかだみちこ編訳)

シンボルスカ詩集シンボルスカ詩集
(1999/12)
ヴィスワヴァ・シンボルスカ、つかだみちこ編訳

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石内都の写真集『ひろしま』の栞で知った詩人・シンボルスカ。その名を、こないだ管啓次郎さんのブログで見かけて、図書館に詩集があるかと所蔵検索をしてみたら、この『シンボルスカ詩集』『終わりと始まり』、そのほかに、シンボルスカの詩も収録されているアンソロジーが2冊あった。

『ひろしま』の栞に掲げられていた「世紀の没落」が入っていたので、『シンボルスカ詩集』を借りてきた。初期の作品から1999年の最新作まで、シンボルスカの詩作のあらましがわかる。

私の印象にのこった、たとえばこんな一節。

「たとえ私が丘の上にいたとしても/薔薇のように花を咲かせることはない/薔薇は薔薇として花を咲かせ/それ以外のなにものでもありはしない/そうではないか」(p.22「試み」)

いのち 生命科学に言葉はあるか(最相葉月)

いのち 生命科学に言葉はあるかいのち
生命科学に言葉はあるか

(2005/10/20)
最相葉月

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iPS細胞のことが、ノーベル賞で、わーーっとなって、手放しで絶賛という雰囲気をものすごく感じ、もやもや~と違和感のようなものが、胸でうずまいていた。たしか『福祉労働』でiPS細胞のことが書いてあったなーと、また読んでみたりした。

何からたどりついたか忘れてしまったが、最相葉月のこの本も、わーーーっとなってる時に何かでみつけて、借りてきて読んでみた。本としては2005年に出ているが、メインの「対話」はほぼ10年前、2002年の春から約1年、とあるPR誌に掲載されたもの。その記事を「対談形式に書き改め、現状をふまえて大幅に改訂を行った」とある。

クローン羊のドリー誕生(1997年ネイチャー誌で公表)、ES細胞の培養・増殖、そしてEG細胞の培養に成功したニュース(いずれも1998年)をうけて、日本では科学技術会議生命倫理委員会の下部におかれたクローン小委員会がクローン技術の人への応用と規制について審議しており、最相葉月はその傍聴を続けていた。

日本政府の方針は、「クローン人間については厳しい罰則のある法律のもとで禁止するけれども、それ以外のヒト胚研究は医療目的であれば今後どんどん開いていこう、ということなのだ」(p.20)。その後、いわゆるクローン法案が2000年に国会を通り、「同じヒト胚なのに、クローン人間は法律、クローン胚は法律に基づく指針、ES細胞は行政指針、不妊治療は日本産婦人科学会の会告、と規制のレベルがバラバラといういびつな状況」(p.22)は決定的となった。ヒトゲノムの解読プロジェクトも進められていた。

最相は、「病気を治すための研究を推進するのが何が悪いのか、医学目的ならよいではないか、と考えるのはあまりにナイーブすぎる」(p.24)と書いている。iPS細胞でわーーっとなってることに対して、私は似たようなことを感じる。

クローバー・レイン(大崎梢)

クローバー・レインクローバー・レイン
(2012/06/07)
大崎梢

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「ブックマーク」読者のiさんからおしえてもらった『クローバー・レイン』『プリティが多すぎる』。そもそも私が大崎梢の作品を知ったのは、このiさんからだった。それで『あかずきん』シリーズを読み、その後の本も見かけたら読んできた。

『クローバー…』はだいぶ予約待ちで、すぐ借りられた『プリティ…』を読み、その舞台となった老舗出版社・千石社は『クローバー…』も一緒やと聞いていたので、どんなんやろうと思っていた。その『クローバー…』が「休み」の日に届き、図書館から帰っていそいそ読む。昼寝をするつもりだったのが、寝ずに読んでしまい、最後まで読んでから、またてっぺんに戻って二周読み。

二読めは、この冒頭で原稿ボツを言われた作家さんが、最後のところで語ってる人かと気づき、家永さんが小説を書く思いをしみじみ読み、主人公の編集者・工藤や同僚の営業マン・若王子のやりとりを反芻した。そして、本を手にして読む人たち、たとえば冬実さん、なおちゃん、よっちー…それぞれにとっての「本というもの」との関わりに共感するところが多くあった。

ある日、工藤が偶然出会った家永の長編小説の原稿。それはどこか他社のためのものではなく、行き先が決まっていないものだった。読ませてもらった工藤は、ぜひ本にしたいと申し出るが、家永は、君のところではムリだろう、忘れてくれと言うのだ。

アンのゆりかご―村岡花子の生涯(村岡恵理)

アンのゆりかご―村岡花子の生涯アンのゆりかご
―村岡花子の生涯

(2011/08/28)
村岡恵理

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京都で念入りに本屋をうろついたときに、読みたくなって買った本(図書館にはあるやろなーと思っていたが、文庫はなかった)。何年か前に単行本が出たのは知っていたが、読みそびれたまま、もう文庫になっていて、それも一年前だった。

村岡花子が「赤毛のアン」の訳者、ということはもちろん知っていた。私が最初に読んだ『赤毛のアン』も、村岡花子の訳だった。いま、本棚には当の『赤毛のアン』が見当たらないが、私が初めて読んだのは、講談社から出ていたハードカバー(箱入り)のアンシリーズで、本文は二段組み、挿絵は鈴木義治のもの。この箱入りの本を3巻まで(『アンの青春』『アンの愛情』まで)親に与えられ、あとの巻は図書館で借りて読んだ。

アンがらみでは、『赤毛のアンの手作り絵本』という鎌倉書房のシリーズ3冊(これは3年続けて、誕生日に与えられた記憶がある)は、アンの物語以上に熟読し、いろいろ作ったりもした本だった。※今この本は白泉社版が手に入るらしい

アンの物語は知っているが、訳者のことは、ほとんど全く知らなかった。孫が書いたこの評伝で、アンを日本に紹介した訳者・村岡花子にぐっと興味をもった。明治の女性たちの伝記や評伝は、いっときずいぶん読んだ。いまに名を残している女性の多くは、教育を受けられたとか、経済的に豊かであったとか、よほど変人の親がいたとか、当時にあってはよほどぶっとんだ何かがある。

村岡花子の場合には、娘をミッション・スクールの給費生にした父親がいた。「はなは自分の勉強のことだけを考えればいいんだ」(p.29)と言い聞かせた父は、クリスチャンで、社会主義者の活動にも加わっていたという。

明治半ばうまれの女性が、ミッション・スクールで学び、英米文学と出会い、翻訳家として身を立てるようになる。その生涯のなかで、アンの物語との出会いは、戦時下に日本を離れた母校のカナダ人宣教師が、友情の証にと花子に贈った一冊の本だった。

きょうのわたしはソワソワワクワク (ジェイミー・リー・カーティス /作、ローラ・コーネル/絵、坂上香/訳)

きょうのわたしはソワソワワクワク

ジェイミー・リー・カーティス /作
ローラ・コーネル/絵
坂上香/訳

映画「ライファーズ」はまだ見たことがないけれど、こないだ『ライファーズ 罪に向きあう』を読み、そこから『アミティ「脱暴力」への挑戦』を読んで、坂上香さんが訳したというこの絵本『きょうのわたしはソワソワワクワク』が気になり、図書館で探して読む。

原著のタイトルは、"Today I Feel Silly & Other Moods That Make My Day"

巨岩と花びら―舟越保武画文集

巨岩と花びら―舟越保武画文集巨岩と花びら
―舟越保武画文集

(1998/12)
舟越保武

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こないだ読んだ『舟越保武全随筆集』は、表紙カバーの作品写真と、口絵にご本人が犬といる写真があったほかは、作品の図版などがなくて、どっかでこの人の彫刻やデッサンを見られへんかなと思っていた。

近所の図書館には、全随筆集にも収められている『巨岩と花びら』くらいしか所蔵がなく、とりあえずそれを借りてみる(ほんとはこれを先に読むつもりだったのが、予約したら書庫ありの本が「所在不明で捜索中」と連絡がきて、先に相貸で届いた全随筆集を読んだのだった)。

届いた文庫は「舟越保武画文集」とあるように、彫刻やデッサンの図版がいろいろ入っていた。舟越が「もっとも気に入っているデッサン」だというキリストの顔(フィクサチーフをかけすぎたやつ)も掲載されていたし、「この像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている」というダミアン神父の像とデッサンも掲載されていた。

たぶんこの本の文章は、こないだの全随筆集で読んでいるはずだが、字詰めが違い(全随筆集に比べるとゆったり)、図版も入っていて、せっかくなのでもう一度読んだ。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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