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わたし“前例”をつくります─気管切開をした声楽家の挑戦(青野浩美)

わたし“前例”をつくります─気管切開をした声楽家の挑戦わたし“前例”をつくります
─気管切開をした声楽家の挑戦

(2012/04/25)
青野浩美

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医療にかぎらないが、"前例がない"というのは、ときに「やる気ない」というだけちゃうんかと思うことがある。あるいは知らんだけとちゃうかと思う。病気の診断にしても、治療の選択にしても、予後がどうとかにしても、それなりの臨床例の積み重ねがあるのだとは思う。でも、やったことがないことは、わからへん。見たことがないものは、ないのと同じ。

医療の"前例"に照らすと、同居人が11年前にやった病気は「悪性」だった。「悪性のような良性」「良性のような悪性」と、どっちやねん、なんやねんと思うことばにふりまわされた数ヶ月。最終的に担当医たちは、自分たち自身が線を引き直す経験だった、というようなことを言っていた。

"前例"がなかった臨床例、それが青野さんの喉の穴。
命をつなぐため、青野さんは数年前に気管切開をした。喉に穴を開けたら、歌うどころか、話すことだって難しいと言われている。それが医療の常識だった。

喉に穴が開いて、それでも青野さんは歌っている。そこに至るまでには、タイトルにあるように「わたし"前例"をつくります!」という思いと、それに向けて可能性を探った日々があった。

重い障害を生きるということ(高谷清)

重い障害を生きるということ重い障害を生きるということ
(2011/10/21)
高谷清

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著者の高谷さんは、「はじめに」でこう書いている。
▼本書を執筆しようと思ったのは、多くの方に「重症心身障害」の状態で人生を生き、生活している人たちのことについて知っていただきたいのと、「ほんとうに、生きているのが幸せなのだろうか」という自分自身の問いでもあることに答えたいと思ったことからである。

 それは、人が「生きるということ」について、またひとの「生きる喜び」、人の「生きがい」などについて考えていくことになる。それは、人間というのはどのような存在なのか、どのような生きものなのかということ、さらに社会の在りようにも広がっていくと思うのである。(pp.ii-iii)

この本を読んで1週間ほどして、6歳未満の子の脳死臓器提供があった。ニュースではその子は「低酸素脳症による重い脳障害」と書かれていたが、どういうやりとりがあって、どういう説明と納得があって、「脳死」「臓器提供」になったのかを知りたい、と思う。

気になるのは、「尊い決断」と書かれていること。臓器提供が"尊い"と言われてしまうのは、まるで"尊厳"死と同じやと思う。それを選んだものは尊ばれ、選ばないものは尊ばれないのだとしたら? 

高谷さんが書いてゆく「心身に重い障害のある人たち」の存在のこと。身体や記憶と並んで、「意識」について書かれたところ。「意識」とは、医学においては「外からの刺激に対する反応」として捉えていることを示したうえで、高谷さんは問いかける。

「反応」がなければ「意識」はないか?
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在93号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第72回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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