読んだり、書いたり、編んだり 

長期脳死 娘、有里と生きた1年9ヶ月(中村暁美)

長期脳死 娘、有里と生きた1年9ヶ月長期脳死
娘、有里と生きた1年9ヶ月

(2009/11/07)
中村暁美

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『脳死・臓器移植 Q&A50』にメッセージを寄せられていた中村暁美さんの本。2歳8ヶ月で突然起こった痙攣の重積によって「脳死状態」を告げられた娘の有里さんは、それから1年9ヶ月を生きた。発病まで、そして「長期脳死」といわれる姿になってから看取りのあいだのことが率直に書かれている。

それまで脳死になんの関心もありませんでした、と中村さんは書いている。「脳死とは、3~4日のうちに心臓が停止してしまう、限りなく死に近いものだというような」(p.v)知識しかなく、有里さんが「脳死」状態となったときには、近いうちに娘との永遠の別れがきてしまうという絶望と恐怖心しかなかったと。

けれど、「脳死」と言われた娘の心臓は自力で動きつづけ、あたたかい体、成長する体があった。「生きる姿を変えただけ」で、ひとつの命を輝かせて生きた有里さんとの、かけがえのない時間。

脳死・臓器移植 Q&A50 ドナーの立場で“いのち”を考える(臓器移植法を問い直す市民ネットワーク)

脳死・臓器移植 Q&A50 ドナーの立場で“いのち”を考える脳死・臓器移植 Q&A50
ドナーの立場で“いのち”を考える

(2011/10/14)
臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

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6月14日、改正臓器移植法にもとづいて、6歳未満の子が脳死と判定され、両親の決断によって臓器提供がおこなわれた。そのことが、ずっと、もやもやとしている。ご両親の決断が「尊い」と報道されていることにも違和感がのこる。ある選択が世の中で「尊い」と言われるこわさ。

賞賛の裏には、それを選ばないのは何事ぞというプレッシャーがたぶんある。「尊厳死」という言葉にも、同じものを感じる。"尊厳"という字面はいかにもよさげにみえるし、尊厳ある死だと推進派は言うようだけれど、「尊厳ないような存在は死ね」と私には読めてしまう。「尊厳ある生」がおぼつかないところで、死の尊厳がうたわれる不思議。

この本を読んで、脳死・臓器移植はやっぱりどう考えても「いのち」を比べてる、選んででると思い、「死」という言葉を使っているものの、「死んでない」と思った。知れば知るほど、脳死・臓器移植のことを自分はほとんど分かってなかったと思えてならなかった。

肝臓が機能しなければ肝不全、腎臓が機能しなければ腎不全といわれ、肝死とか腎死とはいわないのに、なぜ脳の機能不全は脳死というのか? 「われ思うゆえにわれあり」というデカルト式の人間観が、脳=人間といった見方をさせているのか。

50のQ&Aは丁寧に書かれていて、人間の「死」について、「脳死」について、子どもの「脳死」について、脳死判定のこと、重症の脳不全患者への救命治療のこと、臓器摘出と移植に関すること、臓器移植法のことなど、わかりやすく、説得力があった。

優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言(優生手術に対する謝罪を求める会)

優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言優生保護法が犯した罪
―子どもをもつことを奪われた人々の証言

(2003/09)
優生手術に対する謝罪を求める会

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米津知子さんが「あとがき」を書いていて、それで借りてきて読んだ本。4月に見た映画「もういいかい~ハンセン病と三つの法律」の内容とも重なる。

この本は「子どもをもつことを奪われた人々の証言」と、そうしたいのちの抹殺の背景にある優生思想、優生保護法のこと、さらには、諸外国の例に目をむけ、過去におこなわれた優生政策に対する謝罪と反省のもようが記されている。

「第一部 声にできなかった想い」には、「もういいかい」でも語られていた強制断種術や妊娠中絶の話、女性障害者の子宮摘出の話が、ご本人や、施設職員など近くで見聞きした人の声としておさめられている。

「私の身体を返してほしい」という想い、「補償はいらない、ただ謝ってほしい」という想い、「私も赤ちゃんを産みたい!」という断ち切れぬ想い、「決して許せない」想い。

女たちの21世紀 特集=女性・障害・運動―新たな優生思想に立ち向かうために(アジア女性資料センター)

「女たちの21世紀」No.52 【特集】女性・障害・運動―新たな優生思想に立ち向かうために『女たちの21世紀』No.52
特集=女性・障害・運動
―新たな優生思想に立ち向かうために
(2007年11月)
アジア女性資料センター

http://ajwrc.org/jp/modules/myalbum/photo.php?lid=2

米津知子さんの「命の選択?」を聞きにいくまえに、米津さんの文章も入ってる5年前の雑誌を借りてきて読む。出た頃にもあらまし読んだけど、5年経ってまた読んでみると、そのあいだに出会った人やできごと、自分があらたに知ったこと、そんなのがいろいろと浮かぶ。米津さんが書いているのは「性と生殖の権利を私たちの手に DPI世界会議での交流から」

巻頭の座談会「障害者運動と女性運動―30年の交差」は、大事なことがいっぱい話されてるなと思った。話しているのは堤愛子、堀内万起子、大橋由香子、定塚才恵子、丹羽雅代の5人。

大橋「母よ!殺すな」というのが障害者の側の主張。それに対してウーマンリブは、なぜ「母」だけに非難の対象がくるのかを問題化した。
  結局、直接向き合う相手は母になっちゃう。「殺す側」も母。女性が経済条項の削除に反対したのに対して、「中絶を認めろとは、胎児が障害者だったら手を下す権利も含めて認めるのか」と。たしか女性運動は、最初に掲げてたスローガンをおろして、「産める社会を、産みたい社会を」に変えたんだよね。(p.5)

"産む産まないは女の自由"という女性運動が掲げたスローガンに対して、障害者の側からは、"女の自由の中には、障害者を抹殺する自由も入っているのか?"という問いが投げられ、そこから"本当に「選んだ」と言えるほどの自由なのか?"という問いもたてられた。

ふがいない僕は空を見た(窪美澄)

ふがいない僕は空を見たふがいない僕は空を見た
(2010/07)
窪美澄

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「女による女のためのR-18文学賞」の大賞をとった人やとおしえてもらって、借りてきた。この賞をとった人の本は、ぱらぱらと読んできている(豊島ミホ、日向蓬、渡辺やよい、吉川トリコ…など)。

この本は、大賞受賞作の「ミクマリ」を巻頭におき、そこからつながる連作になっている。妊娠・出産、子育てや女性の健康をテーマとするフリーライターという著者の仕事柄もあるのか、「ミクマリ」に出てくる高校生・斉藤卓巳は助産院の息子で、助産師であるその母も書きこまれている。そこがよかった。

四十九日のレシピ(伊吹有喜)

四十九日のレシピ四十九日のレシピ
(2011/11/02)
伊吹有喜

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妻の乙美を亡くした良平のもとへ、イモこと井本がやってきた。そこへ、やはり傷心の、良平の娘・百合子が帰ってくる。

イモは乙美がボランティアに通っていた施設にいた。そして乙美から「自分が死んだら、四十九日あたりまで家の片づけなどこまごましたことの面倒をみてほしい」「自分の四十九日には明るくて楽しい大宴会をしてほしい」と頼まれていたと言い、乙美の机から「暮らしのレシピ」と書かれた冊子をとりだした。

イモがいたのはダルクハウスのような互助施設、アルコールやセックスなどの依存から抜け出そうとする女の子のための「リボンハウス」だった。乙美はそこでいったい何を教えてたんだ?という良平に、イモは「暮らしのレシピ」カードのことを語った。

きりこについて(西加奈子)

きりこについてきりこについて
(2011/10/25)
西加奈子

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きりこは、ぶすである。

巻頭からこの一文で、ちょっとびっくりする。「ぶす」とわざわざ太字である。以後、ずっとずっと本のなかは太字の「ぶす」が続く。

ぶす」のきりこ。ラムセス2世という猫。セックスが好きな自分の欲望に忠実に生きるちせちゃん。話は大きくこの三者ですすんでいく。

自分が自分であること、ただそこに在ることを、つかんでいこうとするきりこ。

▼…そもそも、自分は自分として生まれてきたというのに、誰かになりすまして生きる、などということをきりこは理解出来なかった。
 誰かの基準に寄り添うことなく、誰かの真似をするでもない。ただ自分がみんなにとってはぶすであるという事実、そしてそれによって、自分のきらきらした少女時代は失われたという現実を受け止めたきりこは、自分を見ないでいよう、と決意した。自分が自分である限り、現実に苦しめられるのであれば、その原因である自分を、見なければいい。
 きりこを苦しめているのは、きりこの見た目だけ、それはただの「容れ物」に過ぎないのだが、思春期のきりこには、そこまで慮る余裕はなかった。(pp.110-111)

ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家 (クラウス・コルドン)

ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家ケストナー
―ナチスに抵抗し続けた作家

(1999/12)
クラウス・コルドン

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ナチスの時代の焚書でケストナーの本も焼かれたという話から、こんな本を見つけて借りてきた。人物伝記のシリーズの一冊で、原著のことは十分わからないが、訳の言葉づかいや脚注の付け方からしても、子どもが読むことを想定して編集されている。

ケストナーといえば、『ふたりのロッテ』『エーミールと探偵たち』『飛ぶ教室』『点子ちゃんとアントン』、、、。『ふたりのロッテ』に書かれている親の離婚についてのコメント―両親が別れたために不幸な子どもはたくさんいるが、両親が別れないために不幸な子どもも同じくらいたくさんいるのだ、という言葉は、物語以上に私には印象深く残っている。

その児童文学の著者としての顔は、ケストナーの顔のひとつだった。ケストナーは、演劇評論家であり、詩人であり、脚本家だった。児童文学も書いたが、小説を書き、エッセイを書いた。時評家でもあり、売れっ子編集者だったこともある。

ナチス政権下で、ケストナーは書くことを禁じられ、二度までもゲシュタポに逮捕されながら、生きのびた。多くの友人たちが亡命するなかで、ケストナーは「時代の目撃者であるために」ドイツにとどまり続けた。ペンネームを使って、映画の脚本を書き、発表できない作品を書いた。

しかし、ナチスに奪われた人生の12年、34歳からの46歳まで失われた創作の時間は大きい。そして、ケストナーの当時の言動を知るにつけ、自分だったら…と思う。

「新しい家族」のつくりかた(芹沢俊介)

「新しい家族」のつくりかた「新しい家族」のつくりかた
(2003/10/22)
芹沢俊介

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『We』177号で、映画「隣る人」の監督・刀川さんが読んだという本。芹沢が1990年代の終わりから2000年代の初めに書いた文章が編まれている。

「12歳の性と死」、長崎の「幼児誘拐殺人事件」をはじめ、さまざまな事件と、そこからうかがえる子ども、家族の姿が書かれてゆく。10年ほど前の事件の記憶をたどりながら、〈いい子〉のこと、〈母〉という存在のこと、〈教育〉の縛りと、ありのままの存在ということ、ありのままで受けとめられる/受けとめることを考えたりした。

芹沢が、かつて〈いい子〉であったという人から聞いた話が書きとめられている。
▼自分が[知らない子どもを殺すという残酷なイメージの]空想に終始し、実際に子どもをあやめずにすんだのは、ものごころのつきはじめた少年期の入り口で出会った年上の女性に、注意も説教もされずに、存分に自分のまるごとを受けとめられた記憶があったからだ。
 たった半日の交流にすぎなかったのだが、肯定されたことの幸福感にはじめて満たされたのだった。殺さなかったのは、その人への信頼を通しての自己肯定感の記憶に支えられたことによる…(pp.24-25)

『現代思想』2012年4月号 特集=教育のリアル 競争・格差・就活

『現代思想』2012年4月号 特集=教育のリアル 競争・格差・就活『現代思想』2012年4月号
特集=教育のリアル 競争・格差・就活

(2012/03/26)


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『世界』の4月号と一緒に、『現代思想』の4月号も借りてくる。大学の図書館を使えた頃は、ちょくちょく読んでいたが、久しぶりに見ても相変わらず字が小さい。全部はとても読めんなーという感じ。

特集のなかでは、目次に"教育現場のリアル"と書かれた3本、「センセー、もう話し合うのをやめて、多数決で決めて下さい!」(岡崎勝)という長いタイトルの文章と、「教育疲労の正体」(谷川篤)と、「教育現場にかかる『みえない雲』」(赤田圭亮)をとくに読んだ。

岡崎さんと谷川さんは小学校の先生で、赤田さんは横浜の中学校の先生。岡崎さんと赤田さんが編者をつとめた『日本の教育はどうなるか―教育改革の失策を問う』という本があるらしいので、こんど読んでみたい。

『世界』2012年4月号 特集=悲しもう…東日本大震災・原発災害1年

『世界』2012年4月号『世界』2012年4月号
特集=悲しもう…
東日本大震災・原発災害1年

(2012/03/08)


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新しい雑誌もときどき読むが、図書館で借りてきた古雑誌をうろうろ読むのもわるくない。あっという間にニュースのトップから消えていったことなんかが、紙の束の中にじっと残っているかんじ。

この号は、アワプラの白石草さんの寄稿があるらしいというので、借りてみた。特集は「悲しもう…東日本大震災・原発災害1年」。白石さんのは、「ルポ なぜ避難が認められないのか」という、福島市渡利地区のことを書いたものだった。

福島の県庁所在地である福島市、その中でも渡利地区の放射線量がかなり高いことは、渡利から土湯温泉(比較的線量が低い)へ子どもたちを一時的に避難させようという「わたり土湯ぽかぽかプロジェクト」(現在は「ふくしまぽかぽかプロジェクト」として続行)をつうじて、私も聞き知っていた。

原発から60キロ離れており、多くの住民は事故の影響を直接受けるとは思っていなかったという渡利地区の汚染は、チェルノブイリ原発事故後25年以上経った今も人の立ち入りが原則禁止という「特別規制ゾーン」と同等レベル。

援助職援助論―援助職が「私」を語るということ(吉岡隆・編)

援助職援助論―援助職が「私」を語るということ援助職援助論
―援助職が「私」を語るということ

(2009/09)
吉岡隆・編

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漢字が6つ並ぶタイトルにちょっと引くが、大嶋栄子さん(『その後の不自由』の人)や村田由夫さん(むかし『We』でインタビュー)のお名前があるのを見て、借りてきた本。

サブタイトルは、"援助職が「私」を語るということ"
編者の吉岡隆さんの話をはじめ、援助職をやってる10人が語る「私の話」に揺さぶられる。

「できない」とは言えないと思っていた、という話。
一生懸命に関わったのに、無力感におそわれた、という話。
自分の力でこの人たちは救われるという思い込みを打ち砕かれた、という話。
援助職は強く正しい存在でなければならないという偏見が自分自身にあった、という話。
自分の当事者性に気づいて自分がはっきりと変わった、という話。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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