読んだり、書いたり、編んだり 

子どものことを子どもにきく―八年間の親子インタビューから(杉山亮)

子どものことを子どもにきく―八年間の親子インタビューから子どものことを子どもにきく
―八年間の親子インタビューから

(1996/12/09)
杉山亮

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土曜日曜と2日もあるユニバーサルミュージアムのシンポ、はたして体力がもつか?と思いながら、木曜の行商と金曜の取材をこえて、てくてくと会場のみんぱくへ行く。申込みが多くて受付を締め切ったと聞いていたとおり、会場のセミナー室はパイプ椅子も出していっぱいで、昼から日が暮れてしまうまでの数時間、座って発表を聞くだけといっても、くたくたになって帰る。

ふだんはほとんどテレビを見ないが、晩の8時からめまいの特集番組(「これで安心!めまい」アンコール放送)があったので何か参考になることがあればと久しぶりにテレビを見て、そのあと9時からテレビ欄でみつけた錯覚の番組(五感の迷宮「脳が作る錯覚の世界」)を続けて見る。

日曜は朝からまたシンポへ行くし、さてもう寝るかと思いながら、ぴらっと『子どものことを子どもにきく』を読みはじめたら、これがやはりおもしろく、するするとしまいまで読んでしまう。

ひょんなことがきっかけで、杉山さんは、下の子・たかしさんが3歳のときに駅前の喫茶店でインタビュー(喫茶店で「ところてん」が出るところがいいなあ)。

それから8年間、たかしさんに年に一度インタビューしたのを、まとめた本。おもしろいところはいろいろあったけど、とくに杉山さんが本文カットとして描いているインタビューもようや、たかしさんの発言内容のイラストのところがえらいおもしろかった(たとえば「隆の推測によれば、人間の頭の中には一生に使うものが最初から全部入っている。…」のイラスト)。

聞き書き にっぽんの漁師(塩野米松)

聞き書き にっぽんの漁師聞き書き にっぽんの漁師
(2001/10)
塩野米松

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こないだ本屋で、この本の文庫を見て、さんざん迷った挙げ句に買わなかった(買えよ)。図書館に文庫はなくて、親本のほうを借りてきて読む。表紙写真は、石川県の七尾湾で小型底引き漁をする大根常雄さん(大正15年うまれ、74歳)。

まえがきに「仕事柄、日本の各地の漁師に会い、話を聞く機会が多くあった」とある。たしかこの塩野米松という人は、『失われた手仕事の思想』とか『木のいのち木のこころ』の人よなーと、本屋で見たときにも思っていた。

塩野がかつて話を聞いてきた漁師たちは、職人たちと同じように、親や先輩につき、技を覚え、海を覚え、潮を読むことを覚え、漁具の操作や危機からの回避を身につけてきた。そんなふうに引き継がれてきた漁業が廃れ、水産物を輸出していた水産国ニッポンが、いまでは自給率50%ほどの輸入国になっている。

このまえがきを読んで、スーパーの魚介売り場を思い起こす。ノルウェーの鯖、韓国の牡蠣、中国のうなぎ、ロシアの鰊、アイスランドのシシャモ、カナダのサーモン、インドネシアの海老…私が思い出せるものだけでも、世界のあちこちからやってきている。

日本の海で何が起きているのか、漁師たちはそれをどう考えているのか、と考えた塩野は、自分が「漁師という仕事がどんな人によって、どんなふうに営まれているかさえ知らなかった」と気づく。そして、10年ほど前に各地をの漁師を訪ね、どうやって漁師になったか、その生活はどんなものかを聞き歩いた。この本には、沖縄から北海道まで13人の話がおさめられている。ひとり例外的に若い昭和40年うまれの人をのぞいて、他の人は大正~昭和10年代のうまれ。 

馬たちよ、それでも光は無垢で(古川日出男)

馬たちよ、それでも光は無垢で馬たちよ、それでも光は無垢で
(2011/07)
古川日出男

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管啓次郎の『コロンブスの犬』の文庫解説を書いているのが古川日出男だった。『ろうそくの炎がささやく言葉』を借りてきて、そこに収められている古川のテキストも読んだ。古川のものごっつい分厚い小説だという『聖家族』のことは、『ニッポンの書評』でも出てきたなあと思い出していた。

なにか小説を読んでみようと思って、この7月に出た本を借りてきたのだった。3月11日以降、「福島出身の作家」と扱われるようになった古川は、3月11日に若干の揺れを京都で感じていた。阪神・淡路大震災のことは頭をよぎったが、東北のことはもちろんよぎらなかった、という。駅で新聞の号外らしきものを手にしている人を目にして、そのタイトルに東北、太平洋沖、各地で大津波と踊る文字を見る。公衆電話で実家と連絡をとり、ホテルの部屋でテレビの報道から離れられなくなる。

そこから時間は混濁したようになる。

ニュースを報じる画面にうつる同心円に触れながら、そこへ行け、同心円の内側に行けという声が古川には聞こえる。
▼人々は逐われた。町は棄てられた。犬猫も牛も、馬も。遺体すら回収作業が行なわれようとしていない。棄てられている。
 その地に立たなければならない。この衝迫はいったい何なのか。(p.26)

ぼくは旅にでた―または、行きてかえりし物語(杉山亮)

ぼくは旅にでた―または、行きてかえりし物語(杉山亮)ぼくは旅にでた
―または、行きてかえりし物語

(1993/06)
杉山亮

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『子どもにもらった愉快な時間』がめっちゃおもしろかったので、なにかほかの杉山本を読みたいナーと図書館にあったのを借りてきた。杉山さんが、保父をやめ、埼玉で「なぞなぞ工房」をひらいて暮らしをたてていくようになってからの話。

ある日の晩、妻の真紀子さんとお茶を飲もうとした杉山さん。
突然に 「罠だ」 というイメージが頭をよぎる。
自分が「罠」を連想したことを、とくと考えてみる。

▼あるといえば、どこだって罠だらけだ。
 たとえばこの家庭生活を罠だというなら、それだってまちがいではない。
 しかし、妻や子や友人と作る「小さな幸福」と呼ぶべきものの中に、自分の身も心もゆっくりと溺れるように鈍磨していく感覚は、決して悪いものではない。
 罠を避けて生きることができないなら、せめて上手な罠のかかり方をしたいよねと、うそぶける程度には、ぼくもおとなしくなっていた。(p.14)

自分が罠にかかっているのだとしたら、その罠を仕掛けているのは誰か。それもまた自分なのだと杉山さんは思いいたる。「ぼくの中のある部分が、これもぼくの中のある部分を罠にはめ、幽閉しているということだ。」

そして、杉山さんは真紀子さんにもちかける。
「あのさあ、旅にでたいんだ」

「原子力ムラ」を超えて―ポスト福島のエネルギー政策(飯田哲也、佐藤栄佐久 河野太郎)

「原子力ムラ」を超えて―ポスト福島のエネルギー政策「原子力ムラ」を超えて
―ポスト福島のエネルギー政策

(2011/07/26)
飯田哲也、佐藤栄佐久 河野太郎

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こういう本は今なら予約つきまくりかと思ったら、そうでもなく、図書館の新着棚にあったのを借りてきて読む。『原発社会からの離脱』の飯田哲也、『福島原発の真実』の元福島県知事・佐藤栄佐久、核燃料サイクルについて危険性よりも経済合理性から無意味さを追求しようとしてきた自民党の異端児・河野太郎という「原発と戦ってきた」3人による本。

"原子力ムラ"の体質、国策のもとに地域をふみにじってきた国の姿勢、それに対していかに地域が対峙してきたか、3.11以降の政府や各国の動向、さらには未来のエネルギー政策の可能性について書かれている。

かつて原子力ムラの内にいて、そこから外へ出た飯田は、日本の原子力のもっとも本質的な欠陥はつぎの2点だとあげる。

(1) 安全審査が実質的ではなく空疎であること
(2) 技術の本質が底抜けであること (p.27)

子どもにもらった愉快な時間(杉山亮)

子どもにもらった愉快な時間子どもにもらった愉快な時間
(1989/09)
杉山 亮

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昨晩は『We』行商で(ゆめかぜ基金の八幡さんの話とグループワークはすごくよかった)、今日はそのぶんちょっと仕事を早じまいして、久しぶりに「へのへのもへじ文庫」へ。借りてから長いこと返しにいけないままだった本もずっと気になっていた。しかも、りえさんからのハガキによれば、今日は「団子の日」らしい。うしし。

綾羽こども館へついてみると、入ったところでは大人と子どもがちゅくちゅくと、あるいはころころと、何か手をうごかしていた。(食べる団子ではないのか!)とちょっと思ったが、奥ではりえさんがどう見ても食べる団子をこねている。

よくよくのぞきこむと、ちゅくちゅく、ころころと手をうごかしているのは、羊毛をたばねたりまるめたりして石けん水をかけ、フェルト化させているのだった。やりますやりますと、早速ころころとやる玉づくりと、ちゅくちゅくとやる平べったいフェルトづくりの手ほどきをうけ、ころころと手のなかで、ちゅくちゅくと指先で、フェルト化していく羊毛をいじりまくる。

途中で、ほんまの団子をおやつに食べたあと、本を読んでもらう組に入らず、遅れて来てまだやってないから羊毛さわるほうをやる!という子と、まず玉をつくる手ほどきを見よう見まねでやっていると、おやつの前にさんざんやったヤロという子らが数人また加わってきて、きゃーきゃーと手を出す。

羊毛の袋に足をつっこんでみたり、石けん水をふりかけまくってぐにょぐにょとこねまくっていたり、そんな数人にまじって、私もころころ、くちゅくちゅとまたやって、フェルトの玉を4つと平べったいのを1つつくった。むかしむかし、保育園の砂場で泥団子をつくったときのことを思い出すかんじ。

あーたのしかったと羊毛あそびもおわり、本を借りて帰る。杉山亮さんの本がいくつかあって、そのなかから、『子どもにもらった愉快な時間』と、もう1冊。たしか『子育てを遊ぼう!おとうさん』の人。

帰ってきて読みはじめたら、これがあちこちでげらげらと笑える本で、たまらなくおもしろかった。ぐっはっはーともう涙が出るほど笑いまくって読んだ。

赤ノッポ青ノッポ (武井武雄)

赤ノッポ青ノッポ

へのへのもへじ文庫で借りた武井武雄の『赤ノッポ青ノッポ』。金曜に開けはる文庫の日になかなか行けず、借りっぱなしになっていた。

1894年、明治27年うまれの武井武雄が40歳のときの仕事だという「赤ノッポ青ノッポ」。

この本は、1934年、昭和9年の4月から6月にかけて、東京朝日新聞・大阪朝日新聞で"こども漫畫"として掲載された「赤ノッポ青ノッポ」の小学生の巻の新聞切り抜きが、ひとつの欠もなく和田誠のもとにあって(それは親戚のお姉さんから和田誠にくれたものだという)、この切り抜きを複写したものが原稿になってできたもの。当時のカタカナ表記が、ひらがな表記に変えられている(表紙のみ、カタカナ表記のまま掲載されている)。

巻頭には、連載予告も収録されている。

DAMICA こしだミカ展「えほんといれもん2」@海月文庫(~10/24)

こつこつコテコテ展に続き、海月文庫「こしだミカ展 えほんといれもん2」。同時開催「勝手に架空社展」。「休み」の日ではあるが、朝のうちメールを書いたりなんやかやとひとしきりやって、昼からぶらぶらと海月へ。

入り口には、ライブ一反木綿の現場。巻いた反物をひろげつつ、絵が描いてある。中へ入ったら、DMのおさかなによく似た人がいて、その人がこしだミカさんだった。

おもての一反木綿みたいな、布に描いた絵(どこかのお蔵から出てきたという絹に描いた『みんなおはよう』の原画とか)、紙に描いた絵(『いたちのてがみ』の原画とか)、陶器の皿やオブジェなどが展示されていて、えらいおもしろかった。とくに、やたらおっさん顔のさかなやら、レンコンマンやら、風呂あがりにフーとかハーとかいうてるようなおっさんが。

こしだミカ展 えほんといれもん2
Genre : 日記 日記

珍日本紀行(都築響一)

珍日本紀行

都築響一の『演歌よ今夜も有難う』のあと、都築づいて図書館の本を検索していて、あーそうそう『珍日本紀行』と思って、予約した。

届いた本を見て、ぎょっとした。
デカい。重い。


私の頭にはたまに本屋でみるちくま文庫の並びのなかに『珍日本紀行』があったという記憶があって、文庫になってるような本の親本がこんなに巨大なもんだとは思わなかった。さすがに持って帰るのにひるみ、何日かは図書館内で閲覧し、それから借りて帰った。(帰ってから調べると、ちくま文庫では西日本編と東日本編の分冊になっていた。)

借りて帰って気づいたが、値段もすごかった。税込みで9800円

「後記」で都築はこう書いている。

明日から横浜:柚木ミサトさんの「あかいつぶつぶの絵」展(10/19~23、あざみ野)

『We』編集部のある、横浜・あざみ野のスペースナナ内ギャラリーにて「あかいつぶつぶ展」開催です。柚木ミサトさんの「あかつぶ」のイラストを使った「まもろう」缶バッジ、私もリュックにつけてます。

あかつぶ缶バッジ、あかつぶポストカードなど、あかつぶグッズも販売するそうです。横浜・関東方面のかた、ぜひおいでください。スペースナナで『We』も売ってますので、あわせてごらんください!(ちょっと立ち読み
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柚木ミサトさんの「あかいつぶつぶの絵」展

会期:10月19日(水)~10月23日(日)
会場:ギャラリーナナ

(※東急田園都市線、横浜市営地下鉄「あざみ野」駅・西口より徒歩6分)アクセス地図
営業時間:11時~18時 (10/21金・10/22土はイベント開催のため10時半~18時)

柚木ミサトさん「あかいつぶつぶの絵」この赤いつぶつぶは、放射能を表しています。

可愛らしくてキャッチーなのに、恐ろしい現実を分りやすく私たちに伝えてくれる「あかいつぶつぶの絵」

この絵を見て、ハッと今の私たちが置かれている現状に気づいた人は多く、様々なパンフレットやチラシに利用され人から人へ、少しずつ放射能被害の深刻さを伝えるツールとして、拡散され続けています。
柚木ミサトさん「あかいつぶつぶの絵」今やいわば放射能汚染から子ども達を守るシンボル的存在です。

柚木さんの愛らしいイラストに秘められたメッセージを、是非この機会に見て、感じてください。


「あかいつぶつぶの絵」

作者・柚木ミサトさんのブログ
「1日1絵」

【同時開催】

コロンブスの犬(管啓次郎)

コロンブスの犬コロンブスの犬
(2011/10/05)
管啓次郎

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こないだ大きい本屋でうろうろした挙げ句に、ハシゴした小さい本屋でもあったので買った文庫本(河出文庫はちょっと大きい本屋へ行かないと、置いてないことが多い)。

▼旅行という経験のすべては、〈同化することのできないもの〉を見いだしつづけることにある。理解できないふるまい、食べることのできない料理、音楽のようにしか聞こえないことば、拒絶された共同体を。拒絶を、よろこびとともにうけとめる。(p.135)

大小80のパラグラフに切り出されたものは、20代半ばだった管がブラジルを旅しながら書き溜めたノート、ブラジルから友人たちに出した便り、帰国後に書いた報告の作文など。

「詩集は旅行中の読書にはもっともふさわしい、なぜならそれは終わらないから。」
「共同体から離れ孤独のうちに流浪してきた存在だけが、みずからを言語併用者、〈通訳〉とすることができる。」
「ただともだちの話のあるいくつかは心に残り、他のいくつかは忘れてしまうように」

そんなあれこれを、ぱらぱらと読んでいるうちに「管啓次郎はこんな風にブラジルにいた」のかと、親しい友達の話を聞いてる気分になってくる。そんな話のなかに、自分に楔が打ち込まれるような何かが、ぽろっとあったりする。

一瞬と永遠と(萩尾望都)

一瞬と永遠と一瞬と永遠と
(2011/06)
萩尾望都

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萩尾望都の本はマンガ以外では『思い出を切りぬくとき』を前に読んだ。『ガラスの家族』をオススメしてくれた元同僚さんは、私はこれはちょっと…と言ってたけど、読んでみたくて借りてきた。収録されているのは、もう30年あまり前の文章から最近のものまで、本の解説やエッセイ。

小学校5・6年のときの担任・高尾先生のことを書いた「先生の住所録」がよかった。鎌倉に行ったとき、突然、小学校のときに高尾先生から受けた授業を思い出して、先生に手紙を書く。返事をいただいた萩尾望都は、お会いしたいと思いながら、両親との間にこだわりがあって、なかなか九州には帰らなかった。そして、いつか先生に会いにいこうと思いながら出した年賀状の返礼が奥様から届いて、先生が亡くなられたことを知る。

もと同級生と一緒に先生のお宅を訪れて、大学ノートを二冊貼り合わせてつくってある、使い込んだ古い先生の住所録を見せてもらう。その晩は実家に泊まって、「こんなことでもなければ私はまだ家に帰ることはなかったのだなと思うと、最後まで先生にお世話をかけてしまった気がした」という萩尾。ニコニコしたお仏壇の写真のお顔を思い出して泣けてくる。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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