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読んだり、書いたり、編んだり 

飛鳥、清子の母として―愛の思い出と忘れ形見を守って生きる私(井村倫子)

飛鳥、清子の母として―愛の思い出と忘れ形見を守って生きる私飛鳥、清子の母として
―愛の思い出と忘れ形見を守って生きる私

(1984/07)
井村倫子

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表紙カバーの「清子(せいこ)」の脇には"まだ見ぬ子"と入っている。『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』を遺した井村和清さんの妻・井村倫子さんによる、あれから5年後の記録。和清さんの本があまりにもユウメイなせいか、妻の倫子さんにこんな本があることは、むすびのMさんに貸してもらうまで全然知らなかった。

夫の発病から亡くなるまでは、1年半足らずのことだった。夫の死、そして生き残った自分の役割は何かと考えた倫子さんは、ひとつはふたりの娘を育てあげること、そしてもうひとつは「私の胸の奥にずっと閉じこめてきたあの苦悩の日々を、ここで見つめなおし、その意味を探ること」(p.12)と思い定め、その間のことを思い出せるかぎり、自分の日記と夫の日記とを並べたりもして、書いている。それが1章と2章。

倫子さんは沖縄の人で、和清さんは富山の人だった。ふたりの出会いを書いた3章が、倫子さんと和清さんの人となりがよくわかって、おもしろかった。新装版の『飛鳥へ、…』の本には、娘の清子さんが結婚式で読み上げたという母あてのメッセージがおさめられている。そこには「マイペースで天然で、突然突拍子もない事を言い出したりして驚かされたり、笑わせてくれたりするお母さんですが、これからも今まで通り、その面白さと明るさで私たちを和ませてください」(新装版、p.236)とあって、ああ倫子さんはこんな人なのだなあと3章を読むと分かる気がする。

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(井村和清)

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記

むすびのMさんより借りた本。若くして逝った井村和清さんが、娘の飛鳥さんへ、そしてまだ妻のお腹にいた"まだ見ぬ子"へあてて遺した手記『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』はベストセラーになり、映画になり、数年前にテレビドラマにもなったという。映画のこともテレビドラマのことも知らないが、本の存在は私もずっと前から知っていた。

5月に借りてすぐ読んで、一緒に借りた妻の井村倫子さんのを9月に入って読んで、Mさんに返したあと、図書館に新装版があったので借りてみたら、"まだ見ぬ子"だった清子さんが結婚するのを機に再版の話があって、倫子さんの文章がすこし加わり、大人になった飛鳥さんや清子さんの写真も載り、新たな本になっていた。

31歳で亡くなった和清さんが「ふたりの子供たちへ」としたためた原稿用紙の1枚目も、新装版では掲載されている。
▼心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。
 悲しいことに、私はおまえたちが大きくなるまで待っていられない。…もうあとどれだけも、私はおまえたちの傍にいてやれない。こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと胸が砕けそうだ。
 (中略)
 私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。おまえたちが倒れても、手を貸してやることもできない。だから、倒れても倒れても自分の力で起きあがりなさい。
 さようなら。
 おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。(新装版、pp.14-17)

浅田さんとのおわかれ

むすびの浅田さんが亡くなられた(訃報)。3月21日、松波の公演では、「あと50年生きる」とも言っていた浅田さん。脳梗塞で倒れられたのはその数日後だった。

浅田さんの長い長い人生の話を、もうすこし聞いてみたかった。
池田ふれあいフェスタ(2011年3月5日)
*池田ふれあいフェスタ(2011年3月5日)左から3番目のリスが浅田さん
Genre : 日記 日記

戦争は女の顔をしていない(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)

戦争は女の顔をしていない戦争は女の顔をしていない
(2008/07)
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

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「ヴ」の音、いわゆるウ濁抜きで訳したという『チェルノブイリの祈り』ではスベトラーナ・アレクシエービッチだった名が、こちらはウ濁名になっている。

この本は、アレクシエーヴィチ自身がもっとも大切に感じている本だという。
訳者あとがきによると、ソ連では第二次大戦で百万人を超える女性が従軍し、その女性たちは他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員でもあった。だが、戦争が終わって、従軍した女性たちは、「男の中で何をしてきたやら」と侮辱されもし、自らの戦争経験を隠さなければならなかった。

女たちの戦争は知られないままになっていた。アレクシエーヴィチは、その女たちのものがたり、戦争の物語を書こうとした。1978年から女性たちを訪ねはじめ、20年以上をかけて話を聞いてまわっている。

執筆日誌の「はじめてのメモ」には、回顧についてこう書かれている。
▼回顧とは、おきたことを、そしてあとかたもなく消えた現実を冷静に語り直すということではなく、時間を戻して、過去を新たに産み直すこと。語る人たちは、同時に創造し、自分の人生を「書いて」いる。「書き加え」たり「書き直し」たりもする。そこを注意しなければならない。(p.15)

祖国への愛に燃え、自分たちも何か貢献したいと徴兵司令部へ乗り込んで従軍を希望し、前線へと向かった女性たち。私たちだって役に立ちたい、役に立てるというその思いの強さは、日本にもあったのだろうと思う。

闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から(清水康之、湯浅誠)

闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から
(2010/03/11)
清水康之、湯浅誠

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『We』173号でインタビューを掲載した藤藪さんは、和歌山県の白浜で自殺志願者の救助と保護、自立に向けた支援の活動を続けている。この本の清水康之さんは、ライフリンクというNPOで自殺対策支援の活動をしている。"自殺"という事象をこの人はどんな風に語るんやろうと借りてきて読んでみた。

清水さん、湯浅さんは、ちょうど同じころに「内閣府参与」として政権に入った、という経験をもっている人だった。清水さんは自殺問題で、湯浅さんは貧困問題で、それぞれワンストップサービス実施などに動き、そのなかで「当事者視点の欠如」を感じたというところ、どこがどう足りないかのたとえ話が、わかりやすかった。

▼清水 …当事者の立場に立ってかかわる人が必要です。自殺対策のことで言えば、自殺に追い込まれようとしている人たち、あるいは困窮状態に陥っている人たちは、闇夜の海で溺れているような人です。何とか岸にたどり着きたいと思って泳ぐけれども、暗いので岸がどこにあるのかわからない。泳いでも泳いでも岸にたどりつかないので、ものすごく疲れてしまっている。そこへ支援しましょうと浮き輪を浮かべたり、ボートを漕いで救出に行ったりしても、暗い夜なのですから、浮き輪がどこにあるかを照らさないと、溺れている人は浮き輪の存在もわからない。ボートを漕いでせっかく行っても、ボートの上でじっと黙ったままで、「いや、ボートを出しているけど、人が来ないんです」と言ったところで、来るわけがない。(p.44)
Genre : 日記 日記

女ともだち(角田光代、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美、井上荒野)

女ともだち女ともだち
(2010/03/18)
角田光代、栗田有起、唯野未歩子、
川上弘美、井上荒野

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たしか昔、中沢けいに、こんなタイトルの小説があったよなーと思う。この本は、5人による短編集。5人のうち、唯野未歩子の作品を読むのは初めて。あとの4人は何か読んだことがある。

さらさらさら~と読めて、読んでるときはそれなりにおもしろく、でも読み終わって本を閉じたら、えーとどんな話やったっけ、とするすると忘れてしまう。そんな作品集だった。

束ねるタイトルが「女ともだち」というだけあって、どの短編も女性が複数出てきた。「女ともだち」といって思い浮かべる人との間柄は、たぶん思い浮かべる人それぞれの距離感があるんやなあと思う。

再インストール

『We』の次号入稿を目前にして、昨日の昼、自分のパソコンが起動しなくなった。えらいこっちゃ!
Genre : 日記 日記

第10回 日本ろう者太鼓同好会伊丹公演(9/18)

北は北海道から西は広島まで、聾者の和太鼓9団体が一堂に集う公演。
私も行きます~
当日券はまだあるそうです
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第10回 日本ろう者太鼓同好会伊丹公演
明日へ響け 強く 高く そして感動を
第10回 日本ろう者太鼓同好会伊丹公演
2011年9月18日(日)
 開場12:30~ 
 開演12:50~
 (16:00終演予定)

会場:いたみホール
 (大ホール)
 アクセス

チケット(当日券):
 大人1500円、
 小人(3歳~高校生)700円

プログラム

 ※クリックでチラシpdfへ→



出演団体:
 伊丹市聴力障害者協会 伊丹ろう者太鼓同好会 楽鼓(兵庫県)
 ろう和太鼓同好会 龍和夢(東京都)
 豊中ろう和太鼓クラブ 鼓響(大阪府)
 上州ろう太鼓 心響(群馬県)
 吹田市聴言障害者協会 吹田ろうあ太鼓 和龍耳(大阪府)
 広島市中途失聴・難聴者協会文化部 和太鼓 天手鼓舞(広島県)
 釧路聴力障害者協会 蝦夷太鼓(北海道)
 社団法人 東京聴覚障害者連盟文化部 
 大江戸助六流 東京ろう者和太鼓倶楽部 鼓友会(東京都)
 播州ろう者龍姫集団 鼓鼓呂(兵庫県)
(協力団体)
 甲州ろうあ太鼓(山梨県)
Genre : 日記 日記

WANTED!!かい人21面相(赤染晶子)

WANTED!!かい人21面相WANTED!!かい人21面相
(2011/08)
赤染晶子

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この人の本は、まえに『うつつ・うつら』を読んだ。なんだかおかしな話だったなあという印象が残っている。去年は「乙女の密告」という作で、芥川賞をとりはった(受賞作は、『文藝春秋』に載ったのを図書館で読んだ)。

久しぶりに図書館の「新着一覧」をぱらぱらとみていたら、この人の新しい本があったので借りてみた。タイトルは、児童読みもの系か?と思えるが、いちおう大人用のラベルで913(小説)がついている。

表題作は、もちろんグリコ・森永事件の「かい人21面相」あるいは「キツネ目の男」を下敷きにしている。といっても、高村薫の『レディ・ジョーカー』みたいな小説ではない。赤染晶子の書く話は、事件から数年たって高校2年生になっている「わたし」と同級生の「楓」を中心にすすむ。

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか(想田和弘)

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのかなぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか
(2011/07/15)
想田和弘

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『精神病とモザイク』の著者の新しい本。新しい映画「Peace」の話を中心に書かれている。結局私はこの人の映画をまだどれも見てないけど、8月末に上映会で見た「中村のイヤギ」のこととか、他の映像表現のことを考えたりしつつ読む。

こないだの「中村のイヤギ」上映後の座談会のなかでは、字幕の話が出た。映画のラストでうたうカン・ムニョルさんの歌に訳をつけないのかという話と、映画全編に(聞こえない/聞こえにくい人用の)日本語字幕をつけないのかという話と、二つあった。カン・ムニョルさんの歌詞の「分からなさ」については、『We』169号でも張さんに話を聞いたように、その分からなさを大切にしたいという思いがあった。

この本で、想田は「映像と言葉」として、「Peace」に出てくる植月さんの話を書いている。
映像としては「植月さんは黄色いヘルメットを被りゲートルを巻いた、寿司を美味しそうに食べるユーモアのセンスのあるおじさんで、歩くときには足を引き摺るようにしていて、言葉はちょっと聞き取るのが難しい」(p.137)という人だ。
▼しかし、彼の状況を説明するために、「知的障害」とか「発話に何らかの障害」とか「足に障害」と表現した瞬間に、植月さんは既成の「障害者」というイメージに押し込められてしまう危険がある。言葉=理解の枠組み=我々の思考回路そのものだからだ。…
 逆に言うと、映像にはそのような言葉の呪縛、つまり固定観念を乗り越えられる可能性がある。…ドキュメンタリー映像は、うまくすれば、現実を理解する枠組みそのものを溶解させ、更新するための契機になり得る。(p.137)

想田は、映像にナレーションやテロップを重ねることで、その映像を見る構え、思考の枠といったものを先に差し出してしまうのではないか、だからそれを避けたいと言っているのだと思う。

「分かる」とは、言語ではっきりと理解することなのか?ということも考える。自分の分かる言語で、自分の分かるように?

『エッチのまわりにあるもの―保健室の社会学―』の著者・すぎむらさん 「からだのこと、性のこと、思春期のこどもたちにどう伝える?!」(10/7、大阪・箕面)

エッチのまわりにあるもの―保健室の社会学―大阪・箕面のらいとぴあ21で、今年度も連続セミナー企画が始まります。行商の秋! 昨年に続き、セミナー会場へ『We』フェミックスの本を背負っていきます~

☆講師は『エッチのまわりにあるもの』の著者すぎむらなおみさん!
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“これ知っトコ!”らいとぴあ21連続セミナー企画
 《今年のテーマは“こども”》 第1回
からだのこと、性のこと、
思春期のこどもたちにどう伝える?!

 ↓クリックでチラシ拡大
からだのこと、性のこと、思春期のこどもたちにどう伝える?!日時:2011年10月7日(金)
  18:30~20:30(開場 18:00)
場所:らいとぴあ21 3F視聴覚室
    交通アクセス
参加費:無料
一時保育:あり(1週間まえまでに要申し込み)

講師:すぎむらなおみさん…1965年生まれ。大阪教育大学教育学部卒業後、高等学校で養護教諭として勤務。著書に保健室で起こるこどもたちとの様々なやりとりから生まれた『エッチのまわりにあるもの―保健室の社会学―』(解放出版社、2011年)がある。

主催・問い合わせ:らいとぴあ21 (TEL:072-722-7400)
          
「こどもに性のこと、からだのこと、どうやって伝えればいいんやろう??」
「性のこと聞かれた時、どうやって答えたらいいの?」
「どんな言葉を使ったらいいの?」
「こともたちはTVやインターネットで間違った情報を知ってるけど、どうやってそれを伝えたらいいの?」
Genre : 日記 日記

原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて(宮台真司、飯田哲也)

原発社会からの離脱―自然エネルギーと共同体自治に向けて原発社会からの離脱
―自然エネルギーと共同体自治に向けて

(2011/06/17)
宮台真司、飯田哲也

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『We』編集長・稲邑さんがオススメだというので図書館で借りてきた。「地域生活支援のあり方を、当事者・行政・事業者・市民で考えるフォーラム」へ出かけるときに持って出て、行き帰りであらかた読んでしまう。

フォーラムでは、登壇者のひとり、役所の障害福祉課長さんが、市の総合福祉計画を「市民みんなが関係者」の話にしていけるように…というようなことを言っていた。障害のある当事者とか、その身内とか、そういう「一部の関係者」の話ではなくて、みんなの問題だという話が印象に残った。

それがあったせいか、この本の最後のところで、「誰もが関心を持てる問題から始まって、そこから道筋をたどっていく」という戦略の話は、参考になるような気がした。この本の切り口は「原発社会からの離脱」だけれど、「誰もがそのひとらしく、そのひとが望む生活ができる街」を切り口にしても、通じるものがあると思った。

著者のふたりは、1959年うまれ。ほぼ同じ頃に「いままでのやり方でいいのか?」と思い、「やってられるか」とぃう感じになったところに共通点がある。

3.11後、「原発をやめられない社会をどうするか」、ふたりが語っている。「今さらやめられない」という空気が漂うこの〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉について、その悪さを意識できない限りは、技術的にこれが可能だとか政策的にこうもできるといった「合理性」を議論したところで、稔りがないという。

だから、ふたりは、〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉を脱し、これから目指すべきは「共同体自治」、"任せる政治"ではなく”引き受ける政治”への転換だという。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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