読んだり、書いたり、編んだり 

東京に原発を!(広瀬隆)

東京に原発を!東京に原発を!
(1986/08/20)
広瀬隆

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1981年にJICC出版局(なつかしい名や)から出た『東京に原発を!』を、チェルノブイリ事故後に、大幅に加筆修正して文庫として出た本。こういう本は今なら図書館で貸出中かと思ったら、とくに予約もなくてすぐ借りられた。

第2章の「大事故の恐怖」では、スリーマイル島の大事故とチェルノブイリの大事故を、日本に置き換え、「原子力資料情報室の科学者が大事故を想定し、その経過を報告している」内容を図解し、順次その状況を追ってみたという図が載っている。

ここで想定されている事故は、「過去に発生した原子炉の欠陥・故障・事故のデータを細かく分析し、現実に起こり得ることのうち、特に起こりやすい現象を追跡して緻密に計算されている」(p.88、下線は原文では傍点)ものである。

後出し情報がずるずると出てくるなかで、東京電力福島第一原発の事故の経過を重ねながらこれを見ると、ぞくぞくする。「原子力発電所は…」という欄の経過は、この間に津波によって電源にとどめを刺されブラックアウトとなったことが加わるのだと思うと、時計の針はもっと早くまわったのだろう。「行政者は…」と、その刻々と進行する事態のなかで、まるで中曽根の顔をしたおっさんが"対応"してる欄で、住民にむけ「大事故ではありません、冷静にして下さい」と発表がなされているとき、原発はすでに水素爆発を起こし、大量の放射能をまき散らしている。

こうして想定された大事故は「日本では大地震と共に訪れる」と、その少しあとにくっきりと小見出しがある。
▼すべての安全装置は、それを作動させる電気系統が切断された瞬間、無意味なものに変る。あるいは、水を注入するためのパイプやシャワーが折れることによって、原子炉の暴走は食いとめようがなくなる。(pp.103-104)

知的・発達障害のある人の支援と犯罪ノート―司法・刑事における適正な手続きの保障とそのための支援(大石剛一郎編著)

知的・発達障害のある人の支援と犯罪ノート―司法・刑事における適正な手続きの保障とそのための支援(大石剛一郎編著)▼大石剛一郎編著『知的・発達障害のある人の支援と犯罪ノート―司法・刑事における適正な手続きの保障とそのための支援』Sプランニング

米田光晴さん(『We』172号で掲載)も出てくる『もう施設には帰らない』を読んでいた前後にリクエストしていたのが、やっと届く(でも相貸ではなくて、近所の図書館で購入になった)。編著者の大石剛一郎さんは、『シカゴの夜から六本木の朝まで』で、野沢和弘さん、堀江まゆみさんとしゃべってた人。

この本の「おわりに」で、大石さんはこんなことを書いている。
▼もしも、肉体的あるいは精神的な特徴のために、その社会で生きていくうえで何らかの「支援」が必要な人がいて、その人を社会から排除せず、その社会の中で人間としての尊厳・自由・平等が認められるべきであるとしたら、その「支援」は社会的に保障されるべきでしょう。…略…
さて、そこで、障害のある人への支援については、最大限の努力がなされていると言えるでしょうか。十分でない部分による不都合は社会の皆で分かち合おうとしているでしょうか。そうなっていないとしたら、それは何を意味するのでしょうか。 
本書がそんなことを考える礎になれば、と思います。(pp.163-164)

巻頭の、大石さんが「自分の問題意識を全部吐きだした」という"「なにが問題か」メモ"を読むだけでも、どう考えたらええんやろうなーと、ぐるぐるする。たとえば、"「弱い」ことは「悪い」ことなのか"という問い。

知の広場―図書館と自由(アントネッラ・アンニョリ)

知の広場――図書館と自由知の広場―図書館と自由
(2011/05/11)
アントネッラ・アンニョリ

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みすずのメルマガで新刊案内を見て、読みたいな~、でもみすずの本はこの頃図書館に入らへんしな~、相貸かな~と思いつつ、リクエスト。そしたら、思ったよりずっと早く本がきた。しおり紐の跡もくっきり、たぶん一番で。

▼私たちは人に出会い、経験を共有し、文化活動を企画したい─これが広場のある町での生活であり、公共図書館の目的であり、この本がもつ意義なのです。(p.7)

▼図書館とは、単に本やCDや映画を借りる場所であるだけでなく、居心地が良く、友達に会ったり、アペリティフを飲んだりするためにやって来る場所でもあるべきなのです。(p.11)

図書館はどんな場であることができるか? どんな場所になりうるか? 


本を借り、CDを借り、リクエストし、それを受け取りにくる。あるいは、本を読んだり、新聞や雑誌を読んだり、音楽を聴いたりする。はたまた、辞書を引いたり、調べものをしたり、調べきれないことは、カウンターの人に尋ねたりする。そして、話をしていると「シーーッ」といわれたり、間違った使い方をしていないかジロジロと監視されたりする。人によっては、仕事が終わって帰ってくる時間にはもう閉まってるとか、そもそも何をするところかわからないとか、全然行かないところ。ごく一部の人だけが、足繁く通い、山のように本や資料を借りるところ。…  今までは、多くの場合こういう場所だった。

図書館が、パブリック・スペースだというならば、そこが「屋根のある広場」のような場になるようにと、著者はこの本でいろいろなアイデアと経験を披露する。パブリック(公共)のスペース(空間)とは、"役所が建設して、公務員やそれに準ずる人が勤めているところ"ではないのだ。役所の上役がひょろりとやってきたら、さっと立ち上がってペコペコするような場ではないのだ。

日本の魔法瓶(「日本の魔法瓶」編集委員会編)

司修の『本の魔法』を読んでみたいなーと、まだ図書館にはないやろと思いつつ検索してみると、ヒット!? と思ったら、検索結果には全然違う本が出てきた。魔法瓶?ああ、たしかに"本の魔法"の文字列が入ってる。

▼「日本の魔法瓶」編集委員会編
『日本の魔法瓶』全国魔法瓶工業組合、1983年

こんぴゅう太の検索はときどき不思議なものを引っ張り出してくれるナーと思い、自分でこの本に行き当たることはまずないし、これも何かの縁かなと、せっかくなので予約して借りてみた。全国魔法瓶工業組合の、創立30周年記念誌だった。もう30年ぐらい前の本。

魔法瓶は、大阪生まれだった!

日本最初の「魔法瓶」(この命名もうまい)製造はどこの誰かというのは諸説あるそうだが、大阪生まれなのは確からしい。魔法瓶が大阪の工業の花形となるには、魔法瓶にとって重要なガラス工業がそもそも大阪で盛んだったということもあずかっている。
▼ガラス製品の生産高は常に大阪が第一位を占め、ことに大正2年には、板ガラスを除けば大阪の生産高は全国の70%を占めた。(p.5)

おんなたちの町工場(小関智弘)

おんなたちの町工場おんなたちの町工場
(2001/04)
小関智弘

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この本のもとになった町工場への取材は、いまから20年ぐらい前。1991年から1993年のあいだ、雑誌『母の友』に連載されたものが1994年に本になり、それがいまから10年前に文庫になっている。

「出たがる人」だけは避けて、紹介して下さる方があればその方を信頼して、小関さんはほうぼうの工場をたずね、そこで働く女性たちに会い、話を聞いている。

▼東京は生産の町である。情報の町とか文化の町でもあるけれど、ほんとうは生産の町である。消費どころか浪費の町にさえ見えるけれど、それは東京の一面でしかない。わたしが住みそして働く大田区には、八千数百の工場がある。東京全体では九万四千の工場がある。だから、工場で働く女性だって、決して少なくはない。…(略)

 ずっと、町工場のことを書いてきた。こんどはきっと、町工場の女性たちのことを書こうと思う。町工場が男だけのものではないことを、女性たちもまた作業服姿で大手を振って歩ける東京をとりもどすためにも、書こうと思う。まだ逢ってはいない女性たちへの思いが、このところずっと募っている。(pp.11-12)

1990年にこう書いて、その翌年から小関さんの連載は始まった。

浪華の古本屋 ぎっこんばったん(さかもと けんいち)

浪華の古本屋 ぎっこんばったん浪華の古本屋 ぎっこんばったん
(2010/07/07)
絵と文・さかもと けんいち

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図書館に予約した本2冊が、棚にあった館でピックアップされて動いているようなので、木曜の昼ごはんの後にひとっ走り本を返しにいったら、回送中の本はまだ届いてなかった。夕方には届くはずだが、5時までにもう一度来るのもちょっと仕事の合間にめんどくさかったので、明日は休館やし(うちの近所の図書館は月は開いて、金が休み)、じゃあ別の本を借りたろと棚をうろうろ。

前に読んだ『介助者たちは、どう生きていくのか』が棚にあったので、もういっぺん読もうと手に取り、さてもう1冊を何にしようかとうろうろ。浪華の古本屋、というのが目に入って、手に取ってぱらぱら。カバー袖の著者の写真の顔がええなあと思い、中のイラストもおもしろそうで、この本を借りてきた(絵はぜんぶ、著者の坂本さんが描いたものだという)。

「古本屋をやっているが、その実、古本讀[よみ]屋を続けている。つまり読書人なのである」(p.27)という著者の坂本さん。長く営む青空書房には、「本は生きてます 大切に」と貼りだしてあるそうだ。

うたと紙芝居のティータイム(6/26、大阪・堺)

「紙芝居劇むすび」の「うたと紙芝居のティータイム」が、大阪・堺のパンと喫茶 松波であります。私も行きます。
※むすびのおっちゃんたちには、7/31のWeフォーラムの分科会にも来ていただきますが、6/26は違う演目です!
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うたと紙芝居のティータイム
アフリカの楽器カリンバなど不思議な音と魅力を放つシンガーソングライター「ひきたま」と、ゆる系おっちゃんたちが繰りひろげる紙芝居+劇ワールドがパン屋さんで合体!

おいしいおやつとお茶つきで、のんびりした昼下がりに…

日時:2011年6月26日(日) 14:00~(開場は30分前)
場所:パンと喫茶 松波 堺市堺区中之町西1-1-7 西野ビル1F
阪堺電車「宿院」と「寺地町」の間、美々卯の向かい側(チン電沿い)
TICKET:¥2300(おいしいおやつとドリンク付き)
(中学生以下、障害者の方、介助者の方は¥1300)
※おやつ・ドリンクのいらない小さいお子さんは無料

TOKYO 0円ハウス 0円生活(坂口恭平)

TOKYO 0円ハウス 0円生活TOKYO
0円ハウス
0円生活

(2011/05/07)
坂口恭平

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鎌仲ひとみさんの講演をテープ起こしをしていた最後のほうで「坂口恭平さんてすごくおもしろい」という話があって、図書館にあった『TOKYO 0円ハウス 0円生活』を早速借りてきて読んでみたら、めちゃくちゃおもしろかった。おもしろすぎて、読み終わるのがモッタイナイと思いつつ、借りてきたその日のうちに読んでしまう。

「家」って何やろうな~というのは、この文庫本で解説を書いてる赤瀬川原平のニラハウスやらタンポポハウスやら、そんなんで、ちょっとゆるいのを見ていた気がしたが、この本に出てくる「0円ハウス」とそれを自分で建てた鈴木さんの話と生き方が、軽々としていて、賢明で、ふりかえって、ゴミのような紙やら何やらで埋もれた「家」で住んでる自分の生活って何やろなと思う。

わたしの遠足日記(片山健)

わたしの遠足日記わたしの遠足日記
(1994/04)
片山健

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こないだ「へのへのもへじ文庫」へ行ったときに借りてきた本。その晩のうちに読んでしまった。「遠足」という響きがこころをつかむ。これが「旅」だったら、だいぶ印象が違うだろう。巻頭で、片山健もこう書いている。

▼どうも私にとって旅というと、出会いとか、人生とか、重さとか、後ろ姿とか、山頭火とか、ホラ、もう今にも時雨れていきそうで、ダメなのだ。
 その点、遠足という言葉は素晴らしい。
 何というハツラツとした、待ち遠しい、ワクワクするような響きであろうか。(pp.9-10)

モンキー岡田さんの本でも、おべんとうのご飯やおかずさんたちが行くのは「遠足」で、旅ではないのだった。遠足、とカレンダーにマルつけて、うきうきとして、てるてる坊主をつくってつるすような、そんな気分になる。

それに、片山健といえば『どんどんどんどん』だとか、なんじゃこりゃあというオモロイのがある。あの人よなあ、と思う。文庫について、本棚でこの本を見たときから気になって、借りてきた。絵もいっぱい入ってる。

内部被曝の脅威─原爆から劣化ウラン弾まで(肥田舜太郎、鎌仲ひとみ)

内部被曝の脅威─原爆から劣化ウラン弾まで内部被曝の脅威
─原爆から劣化ウラン弾まで

(2005/06/06)
肥田舜太郎、鎌仲ひとみ

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鎌仲さんの講演のテープ起こしを引き受けたこともあり、こないだの『ドキュメンタリーの力』『使える9条』に続き、鎌仲さんが出てくる本を借りてきて読んでみる。

▼「微量な放射線なら大丈夫」という神話への挑戦が、まさに本書の神髄である。(肥田舜太郎、p.89)

鎌仲さんの映画はまだ見てないけれど、肥田舜太郎さんは「ヒバクシャ─世界の終わりに」に登場する医師で、広島で自らも被爆し、広島や長崎の被爆者の治療にもう60年以上たずさわってきた人。広島で被爆直後から救援にあたるなかで、直爆を受けた人のみならず、原爆投下後に肉親や知り合いを探して広島市内をさまよい歩いた人たちが、同じような放射線障害の症状を発し、亡くなっていくのを目の当たりにして、肥田さんは「内部被曝」ということを知っていくのである。

内部被曝とは、体内にとりこんでしまった放射性物質から長時間にわたり放射線を浴びること。このメカニズムについては、十分な研究がない。だが、「研究がない」のは「影響がない」ことと同じではない(このことは、プルトニウムの毒性についてゴフマンが指摘していたのと同じ理屈でいえるだろう)。

この本は、内部被曝の脅威を伝えると同時に、「被曝」が過去の話ではなくて(広島、長崎や第五福竜丸で終わったことではなくて)、現在進行形であること、世界のさまざまな場所で、たとえ原水爆は使われなくとも「被曝者」がうみだされていることを伝える。

日本人のこころII 新しく芽ばえるものを期待して(鶴見俊輔編)

日本人のこころII 新しく芽ばえるものを期待して日本人のこころII
新しく芽ばえるものを期待して

(2001/02/23)
鶴見俊輔編

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この本のことは、5月の終わりに『We』172号の発送やらなんやらで横浜へ行ったとき、『ひげおば』の常雄さんからおしえてもらった。私が前の『We』171号の「乱読大魔王日記」で、清水眞砂子の日常を散策するシリーズの2冊を書いたこともあって、鶴見俊輔との対談に清水さんが出ててね、こんなんであんなんでと聞いたのだった。私のほうは、鶴見俊輔といえば京都のSUREが出している『ちいさな理想』という本がよかったですよーと話した。

それで、大阪に帰ってしばらくしてから借りてきて読んだ。鶴見俊輔と4人が語った記録がおさめられているなかで、まず真ん中の清水眞砂子との対話から読みはじめ、続いて西成彦との対話を読み、本の最初にもどって大岡信との対話を読んで、さいごに瀬戸内寂聴との対話を読んだ。

編者の鶴見が1922年うまれ、清水が1941年うまれ、西が1955年うまれ、大岡が1931年うまれ、瀬戸内が1922年うまれである。対話の場がもたれたのは、1998年から2000年。

核分裂を発見した人―リーゼ・マイトナーの生涯(シャルロッテ・ケルナー)

核分裂を発見した人―リーゼ・マイトナーの生涯核分裂を発見した人
―リーゼ・マイトナーの生涯

(1990/08)
シャルロッテ・ケルナー

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原子力という「エネルギー」は、核分裂によってうみだされる。原子は、"これ以上分けられないもの"だと、私も理科で昔習った気がするが(中学の理科だとやはりそういう説明になるのか)、前の世紀の変わり目の頃、物質の最終単位だという原子論に疑いが生じていた。リーゼ・マイトナーは、ボルツマンの講義のなかで、この話を聞く。

原子は、原子核(陽子と中性子の集合)とその周りをまわっている電子とで成り立っていて、電気的には中性である。自然界に存在する最も重い元素であるウラン(原子番号92=陽子の数が92)には、中性子の数の違いによって、ウラン235(中性子が143)と、ウラン238(中性子が146)とがあり、このウラン235が核分裂反応を起こすことが、オットー・ハーンとフリッツ・シュトラウスマンによって発見された。1938年のことである。

リーゼ・マイトナーは、そのウランの核分裂について、最初の理論的な説明と物理学的な解釈を成し遂げた人で、「ドイツのキュリー夫人」ともよばれた。この本は、物理学を愛し、女性が科学の世界に進むことも大学に入ることも許されなかった時代に勉強を続け、研究を続けてきたリーゼ・マイトナーの生涯を描く。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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