読んだり、書いたり、編んだり 

『We』168号ができました

この夏の暑い暑い暑いなかフラフラになりながらテープ起こしをして、汗を拭きふき特集記事をまとめた『We』168号ができました! 秋の夜長に、ゆっくりじっくりお読みください。ご注文もお待ちしています(web注文は、ウチからお送りしています)。

西川さんの新連載「遊びをせんとや生まれけむ」、また気まぐれ連載「こんな生き方あってもいいなぁ」の第1回に書いていただいた葵さんの「「性的マイノリティ」ってひとくくりにされたくない」がオススメです。

特集:生きていくために必要なものを要求する
特集は、7月下旬に開催した「Weフォーラム2010 in よこはま」の報告です。
we168.jpg【Weフォーラム報告】
 ベーシックインカムでつながれるか、変えられるか
  白崎一裕さん、稲葉剛さん
  竹信三恵子さん、西川正さん

【Weフォーラム報告】 うてつあきこさん
 明日から楽になるために─活動女からの提案

【Weフォーラム報告】 
 共修の家庭科、15年が過ぎて
Genre : 日記 日記

この2ヶ月あまりの間にコメントいただいたみなさまへ

■この2ヶ月あまりの間にコメントいただいたみなさまへ■
まったくウッカリしておりまして、コメントの承認をこの2ヶ月忘れておりました。先ほど気づいて、承認→表示しました。えろえろコメントが多すぎるので承認制にしたのですが、すっかり忘れていましてどうもすみませんでした。(2010.9.23)

ソケリッサ

ソケリッサ昨晩は、ダンス公演ソケリッサを見にいった。

むすびのおじさんたちと一緒に見に行こう!というのがあったので、昼過ぎに仕事を切り上げ、久しぶりにむすび事務所へうかがう。そこで1時間ほどまったりしてから、ココルームへ移動しておむすびで腹ごしらえをして、会場の精華小劇場(元、精華小学校だった建物)へどやどやと向かう。

おじさんたちや、マネージャーの石橋さんと、あれこれとしゃべるのが楽しい。開場時間よりも早くついて、校庭の隅のベンチでまたおしゃべりする。時間がゆるーく流れる。仕事のせわしなさから、しばし解放される。
Genre : 日記 日記

構造的差別のソシオグラフィ 社会を書く/差別を解く(三浦耕吉郎=編)

構造的差別のソシオグラフィ 社会を書く/差別を解く構造的差別のソシオグラフィ
社会を書く/差別を解く

(2006/03)
三浦耕吉郎=編

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伊丹・中村地区のレファレンスを頼んだら、『生きられた法の社会学』と一緒に出てきた本。この中に、金菱の「「不法占拠」の系譜学」と、編者でもある三浦の「「不法占拠」を生きる人びと」が入っている。いずれも中村地区のことを書いたもの。

ちょうど渋谷の宮下公園の行政代執行が新聞で報じられたのを読んだりして(3紙ほど見た)、ここのところがキモなのかもと思えた(宮下公園がどんなところかは行ったこともなくて全然知らないけど、以前から時々こんなサイトを見ていた)。

▼行政によってしばしばおこなわれる強制排除などの手法は、「不法」という名のもとに「やむをえない」ものとして広範な支持を集めてきた。たとえば、近年日本各地で繰りひろげられるホームレス(「不法占拠」)に対する強制退去がそれである。その一方で、今や公園は、ペットなどのための空間(たとえばドッグラン)として整備されているところもでてきている。公園という公共空間の利用目的にふさわしくないという点から、人間の排除が躊躇なくおこなわれていく。このように法律的な「正しさ」から、「不法なるもの」をひとくくりにして人々を排除することが当たり前のこととされる。(金菱、pp.138-139)

ここにまず疑問をさしはさんでみたい、だから、「不法占拠」そのものがどんなかたちで立ち現れてくるのか、「不法占拠」の構築プロセスを丹念に記述する。そうすることで、「正しくない」とされているもの、行政の排除もやむなしという判断の根拠になっている「不法占拠」を脱構築できるのではないかと金菱は書く。

「法律=(唯一)正しい」という近代社会の「奇妙な」むすびつきを一度絶ちきることで、法とは異なる水準の「正しさ」の可能性を探ってみたい(p.139)、というのである。

それは、たぶん「公共性って、何?」という問いにも結びついている。たとえば宮下公園の場合、公園で守られるべきだという公共性は何なのだろう?東京ではもっと詳しい報道があるのかもしれないが、大阪では小さい記事が載るくらいでよくわからない。

ボーダー&レス(藤代泉)

ボーダー&レスボーダー&レス
(2009/11/07)
藤代 泉

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良く言えば拘泥しない、悪く言えばいい加減な僕=江口理倫(えぐちまさとも)と、会社で同期になった在日三世=趙成佑(チョソンウ)の話を軸にした物語。淡々とおもしろかった。

20代前半のこういう感じ、なんかわかるなーと思いながら読んだ。同じ行為がどうして場所が違えばNGになるのか。ある言動の「正しさ感」と、そのうっとうしさ。ある行為の「正しい感」のすごさ。確かで正しすぎてびっくりする。

チョ君が呼びづらいからか、会社の人が「チョウ君」と呼んでも「チョウセイユウ」と呼んでも、何と呼ばれても返事をしていたソンウを「なりすけ」と呼ぶようになった僕を、ソンウは理倫を音読みして「りーりん」と呼ぶようになった。

なりすけとりーりんは2人とも喫煙マンで、喫煙室でだらだらと過ごすうち、だんだん仲良くなる。社内メールを、五七五七七で交わしてみたり、登場人物どうしの会話とか、そこはかとないおかしみがある。

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声(林達雄)

エイズとの闘い 世界を変えた人々の声エイズとの闘い
世界を変えた人々の声

(2005/06/03)
林 達雄

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『人間の条件 そんなものない』で立岩さんが紹介していた本。この小さなブックレットは、エイズが「単なる病気ではなく、人間としての尊厳を脅かす問題」(p.16)であることを伝え、世界のルールが、治療によって助かる子どもと治療を受けられずに死んでいく子どもとを分けていること、そのルールを変えていくために、世界の人々が声をあげ、声を集め、ついにルールを変えたことをおしえてくれる。

「知的所有権」の保護、つまりは、誰かが思いついた「作り方」をマネしたらあかんというきまりがあるために、せっかく開発されたエイズ治療のための新薬が高くて買えない状態になっていた。開発したアメリカ合衆やヨーロッパの会社が「知的所有権」をふりかざすので、作る設備があったとしても、ヨソの国では作れない状態になっていた。

「知的所有権」保護の路線は、もう世界のなかで決まってしまって、力にものを言わせてるアメリカに、日本まで尻馬に乗って、もうこれは、なんぼ「命にかかわること」であっても、どうにもならへんと思われていた。いったん作られてしまったルールをひっくり返すのは無理やろう、と。

人々の声が、ルールを変えた。
▼ルールを変えること、世界の政治のあり方を変えることが、現実の人の生存に結びついた。アフリカにも希望を与え、沈黙を吹き飛ばした。(p.57)

バラ色の怪物(笹生陽子)

バラ色の怪物バラ色の怪物
(2007/07/14)
笹生 陽子

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こないだ『ぼくらのサイテーの夏』と一緒に借りてきた本。こっちは中学生の話。ココロもカラダもめきめきと大きくなり、なにかとバランスがわるく、ぐちゃぐちゃとしている頃。同級生とあわなくなるところも出てくるし、親を気遣い、しかし親のちょっとした一言に荒れたりする。そんな中学生を書いた物語。

作者の笹生陽子は、中学校をこんな風に書く。
▼…中学校というのは、じつに摩訶不思議な空間だ。いや、どんな個性も生きざまも義務教育の名のもとに受け入れざるをえない、といったほうが正しいかもしれない。(p.132)

読み終わってみると、表紙のふたりは、主人公の遠藤(眼帯)と、隣のクラスの吉川ミチル(蛍光ピンクのベリーショート頭)だった。

あばれはっちゃく(山中恒)

あばれはっちゃくあばれはっちゃく
(1996/07)
山中 恒

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山中恒のこの古い作品を読んでみようと思ったのは、こないだ本屋で、中島京子の『ハブテトル ハブテトラン』文庫になっているのを見かけて(やはり直木賞をとると、旧作がどんどこ文庫化されるみたいである)、その解説を山中恒が書いていたのがきっかけ。

その立ち読みした解説の中で、山中恒は、自分の『あばれはっちゃく』が大人の文庫になったときに、解説を中島京子さんに書いてもらって、うわー、自分の作品をこんな風に読む人がいるのかと思った、みたいなことを書いていた。

その大人の文庫は角川文庫らしかった。図書館にはこのバージョンは所蔵がなかったので、本屋をいくつかのぞいてみたが、斎藤美奈子が同じ角川文庫の『おれがあいつであいつがおれで』に解説を書いているのを見つけたきりだった。なので、中島京子は『あばれはっちゃく』をどう読んだんかな~と思いながら、古い読みものを借りてみたのだった。

小学生だった私が愛読した本の筆頭ともいえるのが山中恒で、私は山中恒の「読みもの」を図書館の「や」の棚で片っ端から借りて読んでいた頃もあった。

かんぴょう(ひきたま&ドゥンドゥンサラサ)

a_kanpyou.jpg昨晩は尼崎の「どるめん」へ、ひきたまさん&高野正明さんのライブに行った。

こないだいただいた「うつろな夢」の一曲から始まって、
ラストは「ナナ」の歌!
ニキ・ド・サンファルのナナ作品が大好きというひきたまさんがつくった歌。「わたしのニキ」上映会をやるときがあれば、歌ってもらいたい!

ひきたまさんの「カリンバ」、高野さんの「カホン」「ビリンバウ」や「でんでん太鼓」…高野さんは他にもいろんなものをシャカシャカじゃかじゃかと振っていて、「むすび」とのコラボ公演の時とはまた違う音が聞けて、わくわくと楽しく、おもしろかった。

もーやんの絵本『カニ ツンツン』(文は金関寿夫)に曲をつけたという「カニ ツンツン」の歌は昨日は聞けなかったので、「カニ ツンツン」が入っている「かんぴょう」というCDを買って帰ってきた。もうひとつ、絵本『きょだいな きょだいな』に曲をつけた「きょだいな きょだいな」も入っていた。

子どもの涙 ある在日朝鮮人の読書遍歴(徐京植)

子どもの涙―ある在日朝鮮人の読書遍歴子どもの涙
ある在日朝鮮人の読書遍歴

(1997/12)
徐京植

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「中村のイヤギ」を見たあとだからか、図書館でぶらぶらしていて、久しぶりにこの文庫本をみつけた。10年以上前、私はこの文庫が出た頃に買って読んでいる。

子どもの頃から、外で遊ぶことよりも、本を読むほうが好きだったという徐少年の読書遍歴をまた読んでみて、これを徐さんは40代の初めに書かれたのだということに気づいた。これは「ヴィタ・リブラリア」、書物の思い出を手がかりに少年時代を振り返ったもの。

前に読んだときには本の話ばかりに目がいってた気がするが、このたび読みなおして、徐さんが書きとめている母や父の姿、周囲の朝鮮人たちの言動、またそれに対する徐少年の思いが、本の話と同じかそれ以上に印象深く思えた。

ぼくらのサイテーの夏(笹生陽子)

ぼくらのサイテーの夏ぼくらのサイテーの夏
(1996/06)
笹生 陽子

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昨日は、祝日にも開けることになったという2駅隣の図書館へ久しぶりに行った。『小人たちの新しい家』を2時間半ほどかけて読んだあと、この館にあるはずと調べていった本をあっちの書架こっちの書架でみてまわり、そうしているうちに『楽園のつくりかた』を思い出して、あの人の本を何か読みたいな~と、書架を探して『ぼくらのサイテーの夏』『バラ色の怪物』を借りてきた。

ぼくらとは、ぼく・桃井と隣のクラスの栗田。「階段落ち」ゲームで怪我をしたぼくは、一緒にやっていたやつらとともに危険なことをしたと反省文を書かされ、「4週間のプールそうじの刑」を言い渡される。みんな不満そうだったので、プールそうじは自分がなんとかすると言ってしまったぼくに、栗田が「おれ、やってもいいですよ」と言い、なぜか夏のプールそうじの刑は桃栗コンビでやることになったのだ。

よくわからないが、栗田のところは「カテイホウカイ」「ハハイエデ」「デッカイヤシキニ、ネズミウジャウジャ」の噂があり、その噂をぼくに聞かせるカバちゃんの態度を見ていると、自分のうちだって似たりよったりな気がするぼくは、いっそうガードをかたくするのだった。

小人たちの新しい家(メアリー・ノートン)

小人たちの新しい家小人たちの新しい家
(1983/01)
メアリー・ノートン

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ノートンの小人シリーズは4巻から21年後、1982年に第5巻が出た。その翌年にすぐ訳本が出ている。1~4巻の訳者だった林容吉さん(メアリー・ポピンズの訳者でもある)は亡くなり、5巻の訳者は猪熊葉子さん。サトクリフやゴッデン、ピアスほか、数々の作品を訳している人である。

4巻の最後で、アリエッティたちは、いったん帰り着いたポットさんの模型の村を出ることを決めていたのだった。父ポッドは「じぶんの足でちゃんと歩いてくってこと、やすらかな気持ちでいられるってことが、たいせつなんだ」と娘に言い聞かせた。

プラター夫婦につかまえられ、閉じ込められた屋根裏部屋から気球に乗って帰ってきた"わが家"ではあったけれど、そこには何かが足りなかった、とアリエッティはふりかえる。

▼…それにしても何かが足りませんでした──それはたぶんこの家があまりにもきちんとととのいすぎていて、そのためどこかとじこめられているような感じがするからでしょうか。何でも即席にやることが借り暮らしの小人たちにとっては生活の息吹きというものでした。ここでは努力する必要もありませんでした。すべてが「与えられて」いるのです。親切ではあるものの、趣味のちがう人によってととのえられていたのです。(pp.50-51)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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