お母さんは、ここにいるよ 脳障害児・夏帆と過ごす日々から(河田真智子)
『お母さんは、ここにいるよ 脳障害児・夏帆と過ごす日々から』を知ったのは、中畝さんの本が出てすぐの頃に、河田真智子さんがブログに「友人夫婦が書いた本。おもしろい。」と書き込みをされていたのがきっかけ。
そのブログから河田さんのホームページへ飛んでみると、写真展の案内とともに本が紹介されていた。
案内ハガキの写真は、本の表紙にも使われているもので、ショウウィンドー(服を売る店のよう)の前に車イスに座った娘の夏帆さんがいて、ガラスの向こうでニコニコと河田さんが手を振っている。
中畝さんを「友人夫婦」というのだから、河田さんは中畝さんのお友だちで、中畝さんたちにも通じる、このセンスがええなぁと思い、図書館で借りてきた。
河田真智子さんは写真家で、19で島と出会い、島をテーマに撮ってきた人。
中畝さんの本に、「障害児を預けて働いている女の人、なかなかいないでしょう。そういうことを世間も許さないし。」という常雄さんのことばがあるが、河田さんもそういう意味のことを「自分の人生をあきらめない」というページに記している。
▼自分の人生をあきらめない
「仕事か結婚か?」
「子どもを産んだら女は家庭に入れ」
という時代を経て
「障害児の母親が仕事をするなんて!」
という周囲の冷たい視線を浴びながら、そして今
「障害児の母親が自分のライフワークをもつ!」
時代になってきた。
女はいつも選択を強いられ
そしていつも戦っている
私自身
“島”というライフワークをもち
十九年間、障害児の母親である私と
島旅作家であり、カメラマンである私の間を
行ったり来たりしていた
障害児の母親だから
この子のために
自分の人生をあきらめたと後悔したら
懸命に生きる子どもに対して
失礼だと思う
(pp.100-101)
こんな言葉のあいだに、島の写真、夏帆さんの写真、旅の写真がある。
40-41ページにある「佐渡島・ドンデン山」の写真がすごーくイイ。
子どもと親の距離感について書かれた、こんな文章もある。
▼子どもたちのなかに紛れ込む
自分の子どもが
なかなかみつけられない
子どもと親は
本来はそんな距離感がいい
(p.39)
巻末に近い138ページに書かれた「写真を撮る喜び」も心に残る。
そのブログから河田さんのホームページへ飛んでみると、写真展の案内とともに本が紹介されていた。
案内ハガキの写真は、本の表紙にも使われているもので、ショウウィンドー(服を売る店のよう)の前に車イスに座った娘の夏帆さんがいて、ガラスの向こうでニコニコと河田さんが手を振っている。
中畝さんを「友人夫婦」というのだから、河田さんは中畝さんのお友だちで、中畝さんたちにも通じる、このセンスがええなぁと思い、図書館で借りてきた。
河田真智子さんは写真家で、19で島と出会い、島をテーマに撮ってきた人。
中畝さんの本に、「障害児を預けて働いている女の人、なかなかいないでしょう。そういうことを世間も許さないし。」という常雄さんのことばがあるが、河田さんもそういう意味のことを「自分の人生をあきらめない」というページに記している。
▼自分の人生をあきらめない
「仕事か結婚か?」
「子どもを産んだら女は家庭に入れ」
という時代を経て
「障害児の母親が仕事をするなんて!」
という周囲の冷たい視線を浴びながら、そして今
「障害児の母親が自分のライフワークをもつ!」
時代になってきた。
女はいつも選択を強いられ
そしていつも戦っている
私自身
“島”というライフワークをもち
十九年間、障害児の母親である私と
島旅作家であり、カメラマンである私の間を
行ったり来たりしていた
障害児の母親だから
この子のために
自分の人生をあきらめたと後悔したら
懸命に生きる子どもに対して
失礼だと思う
(pp.100-101)
こんな言葉のあいだに、島の写真、夏帆さんの写真、旅の写真がある。
40-41ページにある「佐渡島・ドンデン山」の写真がすごーくイイ。
子どもと親の距離感について書かれた、こんな文章もある。
▼子どもたちのなかに紛れ込む
自分の子どもが
なかなかみつけられない
子どもと親は
本来はそんな距離感がいい
(p.39)
巻末に近い138ページに書かれた「写真を撮る喜び」も心に残る。
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