読んだり、書いたり、編んだり 

てっぺんまでもうすぐ


てっぺんまでもうすぐ
渡辺やよい
\1,365
アメーバブックス
2005年

渡辺やよいの、これは「自伝小説」らしい。私小説?

けっこうきつい内容から始まる。
内田春菊の『ファザーファッカー』みたいな…

でも、最後まで読んで、読後感はわるくなかった。明るさがあった。読むなら最後まで読まないと、かえってきつい。

渡辺やよいは「あとがき」でこんなことを書いている。

▽こどものころ、私の周りの大人はみな、自信満々に生きているように見えた。そして私に、「こどもはこうあるべきである」「大人はこうあるべきである」「人はこうあるべきである」「女はこうあるべきである」と、「あるべき」生き方をぎゅうぎゅう押しつけてきた。

 おどおどしたこどもだった私は思った。
「大人になれば、私もきっとあるべき人間になるにちがいない」

 しかし。
 人生を半ば過ぎて、私が知ったことは、おどおどしたこどもはおどおどした少女になりおどおどした女になりおどおどしたおばさんになり、このままではおどおどしたおばあさんになるしかない、ということだった。

 私は未だにひとに、自信満々で「こうあるべき」などと語ることはできない。
 私は「こうかもしれない」としか、言えない。
 でも、今、私は思う。
「あるべき人生なんてどこにもない。その人のそのままあるがままの人生しかないのだ」

 そう分かるのに、40年もかかってしまった。そう思えるまで、あるべき人間になれない自分をずいぶん卑下した。自分で自分をおとしめた。

 もうやめよう。
 自分をいとおしんであげよう。
 おどおどしたおばあさんも、いて、いい。今私の子供たちに、私が言えることは、
「そのまま生きてもいいんだよ」
(pp.220-221)


(9月29日読了)

竜神七子の冒険


竜神七子の冒険
越水利江子(作)
石井勉(絵)
\1,575
小峰書店
2006年

何年か前に読んだ本だが、業務上の必要もあって久しぶりに読む。
もう一度読んでも、おもしろかった。

人物がよく描けてると思う。
主人公の七子もエエし、七子のハハ・麟子さんもエエし、かんのんのおばちゃんもエエし。

▽「なにひとつ、所有せえへんのやもの。財産もお金も家も家族も、他人がほめてくれるような事もなーんにも。失うものがないってことが、自由ってことなんよ。自由って、楽やないのよ。もしかしたら一番つらいのが自由かも…」(p.208)

(9月28日読了)

鹿鳴館の貴婦人大山捨松 日本初の女子留学生


鹿鳴館の貴婦人大山捨松 日本初の女子留学生
久野明子
\1418
中央公論社
1988年

著者の曾祖母は大山捨松。日本の女性で、最初にアメリカの大学(バッサーカレッジ)を卒業した人である。
旧姓は山川捨松。
津田梅子や永井繁子とともに、明治5(1872)年、12歳で女子留学生としてアメリカへ渡った女性だ。
帰国後は、大山巌と結婚し、鹿鳴館の花とも言われた。

アメリカのホストファミリー、ベーコン家の、歳の近かった娘・アリスと捨松は生涯の友となったいう。

曾祖母・捨松の生涯を、会津藩のサムライの娘だった時代から留学を経て、結婚し、晩年にいたるまで、発見されたアリス・ベーコン宛の手紙をもとに辿った本。

7月だったか、8月だったか、毎日新聞の日曜折り込みで「大山捨松」の連載があり、その際に、この本が引かれていた。
父がそれで興味を示し、読みたいという。
むかし文庫本で持っていたはずだが、影も形もないので、図書館で借りてしばらく父宅に置いていた。

私もついでに読む。

12歳でアメリカへ渡り、その時期に英語での生活を送った捨松は、日本語より英語のほうが上手だったそうだ。
津田梅子が生涯独身をとおし、津田英学塾(現在の津田女子大)を成したのに比べ、帰国後すぐに結婚してしまった捨松や繁は、国費留学生だったのに大した活躍をしていないと言われることもあったという。

この本を読むと、3人は終生互いに協力しあい、時代の制約(とくに女性に対する制約)のなかで、自分にできることをと努めた様子がよくわかる。自分でも学校をつくりたかった捨松は、梅子の英学塾には相当の力を傾けている。

戦争に対する姿勢は、夫が陸軍大将を務めたこともあり、時代を考えると、こんなものかなと思うが…

気楽に生きるための悪妻愚母ノススメ レディコミの女王が伝授する24時間だらだら活用術


気楽に生きるための悪妻愚母ノススメ レディコミの女王が伝授する24時間だらだら活用術
渡辺やよい
\1,260
インフォバーン
2004年

『ピーター・ノースの幸福』が思いのほかおもしろかったので、渡辺やよいの本をいくつかリクエスト。近所の図書館にないやつもあって、とりあえず3冊届く。

小説を読もうかなと思ったが、『東京島』に続けて読むとちょっと疲れるなと思い、先にエッセイを読む。

タイトルどおりの内容。

渡辺やよいには、現在のオットと結婚する前に、婚約までいった男がいた。

▽…いよいよ結婚しようかというときに、その婚約者がある日言った、なにげないひとことに引っかかったことがある。

 「もちろん仕事はしていいよ、でも、家事もちゃんとしてね」
 私は内心、「ちゃんとなんかできるわけねーだろっ、そもそも『していいよ』ってなによ、あんたのお許しがいるんか」と、突っこんでいたのだが、その引っかかりの原因は、お互いの両親が会談する場で、はっきりした。

 彼の方のご両親は、お父さんがお勤めでお母さんが専業主婦の方だった。だからというわけでもないのだろうが、お母さんは「息子の仕事は大事で…」と、しきりに口にし、「そちらのお仕事は、息子の世話の支障のない程度に」、婚約も「うちの息子の昇級試験が終ってから」と、いうことになったのだが、別にそのことに異議はなかったのだが、私の中にはなにか「ちょっと違うかもしれない」と、いう思いが残った。

 それは、相手のお家から辞去した帰り道、私の父親がズバリ、口にした。
 「うちの息子の仕事は仕事は、って、なんだ、そればっかり。うちの娘も仕事をしているじゃないか、やよいの仕事は大事じゃないのか」
 私の実家は、自営業で両親共働きだった。
 母も言った。
 「いい人たちだけど、ああいうご両親だと、お前が苦労しそうな気もするよ」

 私は、両親の言いぐさに、それまで売れ残りの娘に、結婚しろ結婚しろと連呼してきたくせに、ここにきて、それはないだろうー、と、思ったが、親なりに娘の幸せを第一に考えてのことだったのだろう。

 まあ、結局その人とは、結婚しなかったわけだが、今なら、私の両親の言いたいことはよくわかる。
 彼も彼の家族も、結婚したら譲歩するのが私だけだと、ごく当然のように考えていたのだ。結婚とは女性が男の生活に合わせるべきだ、そういうものだと、当然のように言ったのだ。

 じょーだんじゃない。
 その当時、私が私らしくどうにか踏みとどまって生きていられたのは、仕事があったからだ。仕事で必要とされている、それだけが私のアイデンティティーだった。それを取り上げて平然としていられるのは、私を全然理解していないということで、私を飼い殺すことなのだ。もしあのときあのまま、「なんだか違うかもしれない、でも、ま、こんなもんだろう」と、結婚したら、きっと私は息苦しさのあまり、結局逃げ出していたかもしれない。(pp.127-129)


私の見聞の範囲では、お父さんがお勤めでお母さんが専業主婦の方だからということも多少は関係あるかもしれないが、両親が共稼ぎでも、なぜか(私にとっては「なぜか」)こういう態度の人はいる。


で、こうい渡辺やよいでも、「父兄」って使うのが、ちょっと残念。こないだのマンガでも使ってた言葉。

東京島


東京島
桐野夏生
\1,470
新潮社
2008年

ちらほらと書評が出ていて、「無人島で、男ばっかりの中に、一人だけ女がいるという状況を書いた話」というくらいは知っていた。

近所の図書館では300人以上のリクエストがついている。
来年か再来年か、ほとぼりが醒めた頃にでも読むかと思っていたら、いつもの同僚さんが地元の図書館で借りた本を「返却期限までに読むんやったら」とまた貸してくれた。

先に読んだ同僚さんは「救いのない話」とも言っていたが、「荒唐無稽で、おかしい」とも言っていた。

これは、桐野夏生の、思考実験のようなものかもしれない。
いや、ほんまに荒唐無稽で、しかし、それはないやろうとちょっとツッコミたくなるようなところもあり、まあ小説やしなあ、とも思い、フシギな読後感。

青空感傷ツアー


青空感傷ツアー
柴崎友香
\1,365
河出書房新社
2004年

柴崎友香をまた読んでみる。これも、当然のことながら関西弁小説。
「音生(ねお)」という名の(ついツッコミたくなる名前やけど)、いなかの電車に乗ってたら男子高校生がうじゃうじゃと寄ってきてパンダ状態になり、電車を降りたら高校生たちが男子も女子も窓にはりついて見る…くらいのものごっつい美人と、「芽衣(めい)」という名の、自分の顔は十人並み、ちょー面食いでキレイなもん好きゆえに、キレイで美しい音生の言いなりに、ふりまわされる子と、二人の話。

なぜか二人が、あちこちと旅をする。
会社を辞める手続きをして東京から大阪に戻った芽衣と音生の二人が、 トルコ→四国→石垣島とうろうろとする。

なにか、おかしみがある。

(9月26日読了)

謎の会社、世界を変える。  エニグモの挑戦


謎の会社、世界を変える。  エニグモの挑戦
須田将啓
田中禎人
\1,680
ミシマ社
2008年

ミシマ社、という、社のロゴ(?)が、まるで笑いじわのできた人の顔みたいな会社が、おもしろそうだというのは、ちらりほらりと聞いていた。
http://www.mishimasha.com/

読んだことがあるのは内田樹の『街場の中国論』、そのうち読もうと思っていたのが鳥越俊太郎としりあがり壽の『本当は知らなかった日本のこと』。

で、最近は『Re:s』という雑誌の巻頭でミシマ社の特集があったりもしたらしい。
この「りす」という雑誌も、なんかおもしろそうなのである。
http://www.re-s.jp/

で、ミシマ社で、あっという間に6刷だというこの本を借りてみた。
エニグモ、という会社ができるまでと、できてから作ってきたものについて書いてある。

ソーシャル・シェアリング・サービス「シェアモ」ってのと、口コミ広告を組織したような「プレスブログ」ってのが、おもしろいと思った。
「シェアモ」は、松井孝典が書いていた「レンタルの思想」に通じるものかも。

▽シェアモの大きなテーマは「日本人の善意への挑戦」である。
 似たサービスとしてはオークションや物々交換があるが、「誰かの所有物」と「みんなの共有物」というように、モノに対する捉え方がシェアモと大きく違う。オークションや物々交換は「所有」のサービスである。所有という考え方を続ける限り、結局、一つのモノを持てる人は一人で、取引が成立しなかった人は使うことすらできない。「みんなの共有物」であれば、順番を待てば、誰でも使うことができる。使いたいときに使いたい人が使えばよい。(p.232)

図書館の本も、そんなモノだろうか。
ちょっと違うか?

虹色ほたる 永遠の夏休み


虹色ほたる 永遠の夏休み
川口雅幸
\1,575
アルファポリス
2007年

手話サークルの人から借りた本。
話の運びは、もひとつ…と思ったし(かなり無理を感じる部分がある)、登場人物の造形もステレオタイプが勝ってる気がしたが、ところどころ、とくにタイトルにもなっている蛍が飛ぶシーンなどは、文字からイメージがふくらむようで、わるくなかった。

この本、アルファポリスの「ドリームブッククラブ」という、読者支援により書籍出版化を目指すサイト発らしい。
著者のサイトを探して見てみたら、なにかの推薦図書になったとかで、9刷だそうだ。

9刷なら、修正されているだろうとは思うが、私が借りた1刷にはよくある誤字が。

184ページの3行目、

▽若干小六のオレが

ここは、意味からして「弱冠」だろう。ひじょうによくある誤字だが、ごていねいにルビが振ってあるから、編集段階で誰も気づかずにスルーされたのだろう。

もう一つ、ケータイ持たずの私には詳しく分からないが、携帯電話の留守録というのは、電話本体に録音されているものなのか?

というのも、物語の冒頭で、主人公ユウタが交通事故死した父の形見として持っている、古い型の携帯電話がでてきて、

▽実はこのケータイには、お父さんの声がたくさん録音されているのだ。
 何れもオレが借りた時に、お父さんがオレ宛てに伝言したもの。
 そう、これは世界に一つだけしかない、お父さんのメッセージ入り携帯電話。
 形見であり、オレの大切な宝物だ。(p.14)

という語りが入る。

昔のケータイのことも今のケータイのことも詳しくは知らないが、留守電というのは、どこかのセンターに録音されて、それを聞きにいくのではないのか? 電話本体に録音されるのか?

固定電話の留守録なら、私もわかる。今はデジタル式の録音になっている機種がほとんどだろうが、昔は、小さなカセットテープが入っていた。

祖母が死んだときも、母が死んだときも、いろいろな声が残ったその録音テープを、私は処分できず、そのテープがセットされていた電話機本体がつぶれてなくなった今も、引き出しに入ったままだ。

もう二度と聞けないだろうけれど、捨てられない。

ただ、ケータイの留守録がそんなものなのかは、私にはわからない。

配達あかずきん


配達あかずきん
大崎梢
\1,575
東京創元社
2006年

『平台がおまちかね』を読んだら、こっちの本屋の話もまた読みたくなって、図書館で借りてきた。本屋の大変さもわかりつつ、本屋で働いてみたくなる小説。

謎解きがわかっていても、もう一度読んでおもしろい。

野球の国のアリス


野球の国のアリス
北村薫
\2,100
講談社
2008年

同僚さんから借りた本。本の造りが凝っていて、ページの角がまるく削ってあるところなど、辞書のような感じ。

“かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド” というシリーズの一冊。いずれも書き下ろしなのだそうだ。

野球が好きで好きで、小1の頃からボールを握ってきたアリス。少年野球チームのピッチャーだったけれど、中学からさきは、女だと見通しがくらい--高校になったら野球部員になったって、女は公式試合のベンチにも入れない。

小学校を卒業したアリスが、ある日、鏡の向こうの国へ行って…
時間が少しずれていて、空間の向きが逆さのその国で、アリスは「これが最後になるのだろう。一生で最後だろう」と思って、投げる。

『鏡の国のアリス』を、もう一度読んでみようかなと思った。
それと、この書き下ろしのシリーズも。

家郷の訓


家郷の訓
宮本常一
\630
岩波文庫
1984年

タイトルは、かきょうのおしえ、とよむ。
久しぶりに古本屋らしい古本屋で、古い岩波文庫を買う。今のような白い紙のカバーがかかったものではなく、青い帯が巻かれていて、もとはハトロン紙がかけてあったであろう時代のもの。といっても、これは文庫では1984年が初版で、私が買ったのは同じ年に出た2刷のものだった。

今売っている文庫は630円らしいが、この84年のものは奥付に400円とあり、私は古本屋で250円で買った。

『家郷の訓』は何度か読んでいる。白いカバーがかかった文庫も一度は(もしかしたら二度くらい)買ったはずだが、本棚に見当たらないので、また読みたくて買った。

青い帯にはこうある。

▽故郷の暮しの中に,子どものしつけのありようを描いた出色の生活誌.子ども・民俗・教育を考える人への贈り物.


もとは、第二次大戦中に書かれ、出版された(1943年)本で、戦中のこともあちらこちらに書き留められている。(この戦中に書かれたことの印象は、以前読んだときにはほとんどなかった。)

「私の家」から書き起こされた『家郷の訓』は、「よき村人」の章で閉じられる。
その「よき村人」のなかには、幸福ということについて、このように書かれている。

▽本来幸福とは単に産を成し名を成すことではなかった。祖先の祭祀をあつくし、祖先の意志を帯(たい)し、村民一同が同様の生活と感情に生きて、孤独を感じないことである。われわれの周囲には生活と感情とを一にする多くの仲間がいるということの自覚は、その者をして何よりも心安からしめたのである。そして喜びを分ち、楽しみを共にする大勢のあることによって、その生活感情は豊かになった。悲しみの中にも心安さを持ち、苦しみの中にも絶望を感ぜしめなかったのは集団の生活のお陰であった。村の規約や多くの不文律的な慣習は一見村の生活を甚しく窮屈なものに思わせはするが、これに対して窮屈を感ぜず頑なまでに長く守られたのはいわゆる頑迷や固陋からばかりではなかった。怡々(いい)としてこれが守り得られるものがそこにはあった。それがこの感情的紐帯である。(p.193)


仲間がいること、共に遊び、仕事をするツレがいることは、「子供仲間」の章や「若者組と娘仲間」の章にも書かれている。むしろ、子供の仕事が多くあり、また若者や娘たちの担う仕事が多くあったため、一人ではなかなかできるものではない辛気な仕事を仲間とともに、退屈せずにやりとげたのだということだろう。
子供たちが学校へ行くようになったことのほかに、子供の仕事がめっきり減ったために、子供同士の紐帯が解けてきたと宮本は記している。


宮本常一をよむと、亡き恩師を思い出す。
先生が言っていたのは、こういうことだったのだろうかと、いまさら思い出し、なつかしく思う。

フルタイムライフ


フルタイムライフ
柴崎友香
\1,470
マガジンハウス
2005年

心斎橋近くのビルにある包装機器会社に事務職として勤めることになった喜多川春子の一年を書いた小説。OL小説で関西弁だと、田辺聖子を思い浮かべる。
この小説も読んでいて、ドラマ「芋たこなんきん」で藤山直美が金物屋で事務員をやっていたのがふと浮かんだ。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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