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読んだり、書いたり、編んだり 

グッジョブかぁちゃん レディコミ女王の育児奮闘日記


グッジョブかぁちゃん レディコミ女王の育児奮闘日記
渡辺やよい
\1,000
徳間書店
2006年

こないだ読んだ『ピーター・ノースの祝福』の渡辺やよいのマンガを借りてきた。
内田春菊とはまた違う意味で、スゴかった。どっちかというと、中田雅喜の『ももいろ日記』風。

絵柄はもひとつ私の好みではなかった。
「父兄」と出てくるのもなー、ちょっとなー。

やはり、小説を読んでみたい。
しかし近所の図書館には『ピーター・ノースの祝福』以外に渡辺やよいの小説がないので、他市からの相互貸借待ち。

コトの本質


コトの本質
松井孝典
\1,575
講談社
2006年

松井孝典が、いかにして松井孝典になったか、が語られた本。
中学、高校を、松井孝典の同級生として過ごしてきたパキラハウスの佐藤雄一が、「インタビュアーからのまえおき」を巻頭に書いている。

▽何がわからないのかわからないという困惑から、彼のこれまでの著書をくりかえし読むうちになんと二年あまりが過ぎてしまいました。「松井君をインタビューして、自分とはどこが違う人間なのかを答えなさい」という問いをおのれに課し、最初の五分で違いは明らかになったのですが、全体像がどうにもとらえられない。彼をつかまえる視点が見つけられないのです。

わざと「私はなぜ一流なのか」というスカッとするほどに傲慢な設問を立てて、彼の言葉の山を整理してみたり、漱石の「自己本位」の流れをひいた「エゴイスト」というコンセプトで見直したり、人生システムとして見た「松井システム」とは何かを模索したりしては放擲していました。放擲したままでは、時間を割いてくれた松井さんにあいすまない。ウジウジと行きつもどりつしているうちに、彼の話の中に出てくる「見る」という言葉、「見える」という言葉がなんとなくひっかかってきました。

そして「ものを見る」と「ことが見える」というふたつのいいまわしがあることに気づいたとき、ああ、そうだったのかとわかりました。あの言葉とこの言葉がつながり、ここの話とあそこの話との関係がわかってきて、自分の問いに対する答案の展望が開けました。しかし、素材である松井さんの言葉は何も変わっていません。変わったけれども何も変わらない。何も変わらないけれど、頭が軽くなるほど変わった。何が変わったかといえば、原稿の切り張りをザクザク進めていく際に、確信があるかないかだけの差なのです。

松井さんの感動、喜びの根源についての言葉を集めて構成したのが第一章となっています。松井さんという人間を理解する入り口がここに示されています。そのような松井さんができあがったプロセスを第二章で、社会の中で生きている関わりを第三章で、考えることのプロフェッショナルとはどういうものなのかが第四章でまとめてあります。(pp.5-6)


松井の語りが、構成されて、示されている。
その意味では、この本は「松井孝典著」ということになっているが、ちょっと違う。

自分は一流だ、それ以外の学者との違いはここなのだ、というような話は、人によっては傲慢さを感じてうんざりするであろうが、その“傲慢な感じ”も含めて、けっこうおもしろかった。

たしかに、この人の発想には、別の次元へ跳躍するような、突き抜け感がある。

きょうのできごと


きょうのできごと
柴崎友香
\473
河出文庫
2004年

関西弁小説。
もう、めっちゃ関西弁の小説。


映画にもなったらしく、その映画の撮影にからんだ「きょうのできごとのつづきのできごと」というのが巻末に入っている。小説の世界と、映画撮影というこの世の世界と、だけど映画の世界という虚構の世界と、そのへんがごちゃっとなって、不思議なテキスト。

もう一冊なんか読んでみよかな。

美しい庭のように老いる 私の憧れの老女たち


美しい庭のように老いる 私の憧れの老女たち
宮迫千鶴
\1,785
筑摩書房
2001年

宮迫千鶴の本で印象深くおぼえているのは『超少女へ』。ほかに読んだことがあるのは『ママハハ物語』や『ハイブリッドな子供たち』、『サボテン家族論』など、家族モノ。

宮迫がことしの6月に60歳で亡くなったのは、びっくりした。病気だったにしても、60は早い。母が59で死んだのとほとんど同じで、早すぎると思ってしまう。

この本は、表紙がキレイで、ずっと気になっていた。
ちょっと調べものもあって、ついでにするすると読む。

表紙の絵は、宮迫自身の描いた絵だ。


タマーロの『心のおもむくままに』に出てくるオルガの言葉が引かれている。

▽過ちをおかすのは自然なことだが、それを理解せずに逝ってしまったら、人生も無意味になってしまう。
(p.56)

祖母の話、ばあちゃんたちの話が、印象に残る。
年を取るのがこわくなくなってきたのという話も。

夏の初めと夏の終わりに、新聞折り込みには、「アンチエイジング」と称して、“とても○○歳には見えない”という使用者の顔をばばーんと並べた、ナントカ液やらナントカ石鹸やらの広告がごっちゃり入っていた。

そういう広告を見るたびに、いかに若く見えるかということや、○○年前とほとんど変わらないというのが強調されるのは、何なんやろうなーと思っていた。

老けるのがこわいのか?
老いは先延ばしすべきことなのか?
シミやシワの集積よりも、そんなのがないつるっつるの肌がよいものなのか?

この本を読んでいて、そんな広告のことがふと頭をよぎった。

終末のフール


終末のフール
伊坂幸太郎
\1,470
集英社
2006年

よく本を貸してくれる同僚さんが、伊坂幸太郎がけっこうすきだと言うので、そのうち読んでみようと思っていた。こないだ『終末のフール』がおもしろかったと聞き、さあ今度こそと借りてきた。

「8年後に小惑星が衝突する、そして地球が滅ぶ」と発表されてから5年、「あと3年」を生きる人たちを描いた連作集。

発表直後は、われ先にと安全な場所を求めて移住しようとする人たち、食糧を買い占めようとする人たちがあふれ、どうせ先はないと人を殴り殺してみる者があり、暴力や略奪によって社会の秩序はほとんどなくなったかのようだったが、そうした混乱状態もやや落ち着き小康を保っているかにみえるという仙台が舞台。

「小惑星の衝突→地球滅亡」という設定は、荒唐無稽な気もするが、「あと3年」をはかなんで死のうとする者があり、妊娠がわかって産むかどうかを迷う夫婦があり、接近する小惑星が見られるなんてと衝突当日が晴れた夜であってほしいと願う天文オタクがあり、妹の仇を打とうとする兄たちがあり…限られたものになった時間をどう生きるのか、生きられるのか、不思議な設定ながら、次々と読む。

読んでいて、暴力をふるうのは男だというのが前提になっているなあと思ったのがここ。

▽「…僕の両親がさ、突然、バットで殴り殺されたんだ」
 [中略]
 「犯人の男は死んだのか?」まず真っ先に脳裏に浮かんだのは、そのことだった。(p.198)


 「犯人は死んだのか?」ではなくて、「犯人の男は死んだのか?」
 そうか、「男」ということになっているのか、と思いながら読んだ。


連作になっていることは、途中からわかってきた。だから、最後まで読んでから、もう一度、てっぺんから途中まで読んだ。ああ、ここで出てきたこの人が、こっちのこの人か、と少しずつ分かってくる。

伊坂幸太郎の本は、なにか棚にあれば…というのでは借りられそうになく(複本も含めほとんどの本が貸出中で、リクエストもちらほらついている)もう一冊リクエストしてあるので、それを次は読んでみるかな。

ダーリンは外国人with BABY トニー&さおりの爆笑子育てルポ


ダーリンは外国人with BABY トニー&さおりの爆笑子育てルポ
小栗左多里
トニー・ラズロ
\1,050
メディアファクトリー
2008年

『ダーリンは外国人』の2人に子どもができた!という巻が出たのは知っていたが、なかなか借りられず。棚にあるのをみつけて借りてきた。

妊娠後期に「甘いもの中毒」になった話や、授乳中の食事に油断していて乳腺炎になりかけた話、子どもの育て方をめぐってのけんかの話など、へ~と思い、ほお~と感じ、おもしろかった。

トニーのように、オットが家にいる時間がかなり長め(マンガを読む限りそのように見える)で、こんなんかー、よくある「オットは朝早く家を出て、帰るのは深夜」みたいな家庭では、どうなるんやろうなーと思う。

こないだよんだ『ぽっかぽか』では、昼間は子どもと二人っきりで、心細いという母親たちが描かれていたが。

(9月18日読了)

セックスレスキュー


セックスレスキュー
大橋希
\1,470
新潮社
2006年

しばらく前に、この本が文庫化されたのがどこかの新聞で短評で紹介されていたのを見て、読んでみようかなと図書館で親本を借りてきた。

キム・ミョンガンの「[せい]相談所」での性の奉仕隊をめぐって、[せい]相談所を訪れる女性たち、そして奉仕隊員の男性たちを取材した本。

夫とのセックスレスに悩む女性たち。体調を崩し、イライラし、眠れなくなり、精神医療をうける人も少なくないという。

キム・ミョンガンの相談所では、セックスがずっとなくて悩み、苦しむ女性たちに、リハビリとして「セックスの相手」を紹介し、利用をすすめる。

その相手が「性の奉仕隊」である。

それは不倫ではないのか?浮気ではないのか?売春と何がちがうのか?

キムがおそらく数え切れないほど向けられてきたそんな疑問を、著者自身も頭の隅にちらりともって、キムのカウンセリングに立ち会わせてもらい、女性たち、そして奉仕隊の男性たちに取材を重ねていく。

この本は、奉仕隊はいいものだ!という本でもないし、奉仕隊なんて信じられない!という本でもない。

キムの相談所を訪れ、奉仕隊を利用し、あるいは利用しなかった女性たち、奉仕隊に志願し、面接などを経て隊員となり、実際に奉仕をおこなってきた男性たち、その両者の話にキムの話をまじえて浮かびあがってくるのは、「セックスとは何だろうか」ということだ。


キム・ミョンガンといえば、私が高校の一年か二年のときに、誰が企画してよんできたのか、学校で講演会があった。たしか人権講演会か何か、年に一度か二度、誰かの話を聞くようなやつで。
具体的な話はあまりおぼえていないが、キム・ミョンガンという名前をしっかりおぼえるほどのインパクトがあった。

(9月17日読了)

ピーター・ノースの祝福


ピーター・ノースの祝福
渡辺やよい
\1,680
幻冬舎
2008年

図書館の新刊リストのなかで、予約がほとんどついてなくて(すごい本になると200人や300人の待ちがあるため)、ちょっと読んでみようかなと思った本。

「ひきこもりから脱出するため、介護士になろうとする木村雄大。しかし実習はうまくいかず、家の中で飢え死にしかけているところに、なぜか実習で一緒になったケアセンターの女性がやってきて…。切なく愛しい連作小説。」

というのが紹介だった。

表題作を含む4編すべてが書き下ろしだという。すごいパワーだ。

読み終わってから、よくよく表紙をみると、キノコがにょきにょきと見えたものは、どう見てもちんちんがにょきにょきなのだった。

世の中の一端が、わかった気になるような、ああこういうことってあるのだろうなと思った小説。「百年の梅干」に出てきた、AV(あだるとびでお)のレビューを書く仕事をしている女性は、母との関係がえらいことになっていて、心の準備をしてから出るために、仕事用とは別に母からかかってくる用の電話があったりする。
この、世間様をふりかざすような母親のほうを、この著者になにか書いてみてもらいたいとも思う。

著者は大学在学中に漫画家としてデビューし、「レディコミの女王」の異名をとった人でもあるらしい。

他にもいくつか小説があるようなので(図書館に入ってない“官能小説”もかなりあるようだ)別のを読んでみようと思う。

出版社からの紹介はこんな。

「誰だってさびしくて、よこしまだ。年齢も組み合わせもバラバラな4組の男女に起こる、驚きと悲しみと微かな希望。長いブランクを経て、元レディコミの女王が描く、切なく愛しい傑作連作。」

健康の味


健康の味
南伸坊
\1,680
白水社
2008年

南伸坊が、健康雑誌『壮快』に連載していたのを、加筆修正してまとめた本。

「ねじり体操」が気になる。
伸坊イラストでぜひ図解をしてほしかった。

▽我々は、自分を電化製品みたいに、新品の機械みたいに考えてたかもしれない。それで年をとって、性能が落ちてくると、ガタがきただの、ポンコツだの、セコハンだのといってたのかもしれない。
 じゃあ、新品にとりかえよう! と考えるのは、しかし自分をやめてしまうってことになっちゃいます。
 脳ミソも血管も、お肌も、足の裏も腋の下も、全とっかえ! ってことは、それ誰が言ってるのか? ってことになるわけで、要するに死んじゃいましょうってことですね。
 なんでも新品、それが健康状態って、言葉でいえば、ちょっと変だとわかることです。中古をうまく、使いこなす。中古のよさをじっくり味わう。中古を愛する、ほんとはそんな風な考え方のほうがカラダについて考えるには、ふさわしいんではないか?
 あらゆる人体は、多かれ少なかれ中古なんですからね。(p.123)


「たしかに、未使用、未開封の生きてる人体っていうのはありえない」わけだ。

その街の今は


その街の今は
柴崎友香
\1,260
新潮社
2006年

この人は、こんなに大阪弁ばりばり全開の小説を書く人なのかあ、と発見。しかも、この人の小説を読むのはたぶん初めてだ。

田辺聖子の表現とも違う、大阪弁。

こまかい色々が、「この、今」にものすごく近いところからとってあるので(ちょっとした事件や事故のこと、ニュースの話題など)、今読むぶんには、ほぼリアルタイムで実感して読めるが、十年後、二十年後になったら、読むのがむずかしくなるかもしれんなーと思った。

宮本常一 旅する民俗学者


宮本常一 旅する民俗学者
佐野眞一(責任編集)
\1,575
河出書房新社(KAWADE道の手帖)
2005年

単行本や著作集に未収録の宮本テキストが数編。
そのほか、さまざまな人が宮本にまつわる話を書いたエッセイや、対談なども入っている。

あちこちをぱらりぱらりと読んでいたのを、てっぺんの方からしまいまで読んでみた。

「名倉談義」探訪記 のエッセイを寄せている賀曽利隆が、宮本が子供を抱いている写真(おそらく賀曽利の子供)に添えて、こう書いている。


▽昭和52年6月、赤ん坊連れで世界に旅立ったが、出発直前に宮本先生のお宅を訪ねた。そのとき先生は「世界中、どこでも子供は育っている。旅していく中で子供を育てていけばいいのだよ」といって下さったが、そのお言葉が赤ん坊連れの旅の大いなる心の支えになった。(p.100)


これを読んで、夫の転勤についてこの数年の間にもなんども転居している妹が、こどもができたこともあってか、「落ち着きたい」と言ったのを思い出す。

『ぽっかぽか』の田所一家も、結婚して、こどもができて、マイホームを建てて、それで「帰る場所ができた」と思ったりする感覚の話である。

そういう感覚もわかる。

一方で「どこでも子供は育っている」というコトバに引かれる自分もいる。

(9月15日読了)

われわれはどこへ行くのか?


われわれはどこへ行くのか?
松井孝典
\735
ちくまプリマー新書
2007年

これも再読。
レンタルの思想は、もうちょっと知りたい。

(9月15日読了)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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