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読んだり、書いたり、編んだり 

いのちを産む お産の現場から未来を探る


いのちを産む お産の現場から未来を探る
大野明子(文・構成)
宮崎雅子(写真)
\2,730
学研
2008年

産婦人科医ひとりと、助産師数名で運営されている「お産の家 明日香医院」は、自然なお産と母乳育児をやろうとしている小さい診療所。

1日3時間の散歩を、というのが明日香医院の方針。
それがどういう意味をもつのか、この本を読んでいると、わかってくる。

サブタイトルに「お産の現場から未来を探る」とあるように、妊婦さんやその家族や出産前後の写真に挟まれて、疲弊していく産科医療について書かれている。

写真がいい。
そして、産科をはじめとする医療のいまのことが、よくわかる。
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いのちの恩返し がんと向き合った「いのちの授業」の日々


いのちの恩返し がんと向き合った「いのちの授業」の日々
山田泉
\1,680
高文研
2008年

山ちゃんの「いのちの授業」本、2冊目。
昨年暮れの『We』に載った、菅井さんによるインタビューから始まって、しまいは上野創さんとの対談。

上野創さんといえば、『がんと向き合って』の人。晶文社から出ていた本は、いま朝日文庫にも入っているらしい。
また読んでみようと思う…晶文社の本をむかし買ったけど、手放したか、どっかのダンボールに入ったままか、本棚に見当たらず。

上野さんとの対談のなかの「最高の管理職、この人について行こう!」を読んでいたら、山ちゃんが「最高の管理職」というだけあって、エエ校長先生やな~と、じつにうらやましくなった。
よく動く人。

山ちゃんがこう語る。
▽山田 …私はその時の校長先生の姿を見て、ものすごく勉強させてもらったわ。校長先生はよく動く人で、子どもが怪我して入院するでしょ。「さえちゃん、退院して帰ってきますよ、校長先生」と言うと、「ほんとだねぇ、帰ってくる準備しなくっちゃ」とか言って、金づちを持って、学校中のトイレを“座るトイレ”に作り変えたの。“座るトイレ”って、ドアを逆に付け替えないといけないらしいんだけど、それを全部一人でやった。それも黙ってするわけよ。校長先生、校長室にいないから何してるんやろと思ったら、体育館のトイレから学校中のトイレを作り直してる。
 
 上野 業者を使ったりしないで、自分でやってたんですか?

 山田 そうそう、理科の先生だったけど、あの年代のベテランの先生って、「電気こここわれてます」って言ったら、ささっと修理したり、何でもできる人が多いやん。そういう校長先生の姿を見てたんで、「この人についていこう」っち思った。言葉と違う世界ね。動きが全部子どものためなの。だから、他の先生たちも、その校長先生の後ろ姿を見てたからよく動いてた。…
(184p.)

エエ人や…


私の職場の「管理職」が4月から代わったが、この校長先生の対極にあるようなおっさんで、全くもって「ついて行こう!」と思えない。

外向けのリップサービスは潤沢で、外出しての“自分の”ピーアールにも熱心で、“自分の”業績を吹聴するのも熱心だが、職場内の業務はほとんど何もする気がない。サービス業であるのに、お客の姿に目も留めず、鳴り続ける電話にも出ようとせず、職場にいるときはほとんどずっとパソコンの画面をみているだけ。

職場内の業務についてや、職場全体のことを把握しようとか知ろうとする態度がまったく見えず(口先だけは、そのようなことを言うが)、士気が下がる下がる・・・・・。

あああ、かなりうんざり。

平成大家族


平成大家族
中島京子
\1,680
集英社
2008年

読みたいな~と思っていた小説を、同僚さんからコッソリ又貸ししてもらい、即日読んでしまう。
諸般の事情で、2人の娘たちが夫や子どもと共に戻り、出ていってもらいたい息子はヒッキーで、緋田の家は、あれよあれよという間に大家族の生活。

緋田の家の住人や出入りする人、関係者など、視点をかえた連作小説は、最後の章になって、これだけの大家族が、はじめて全員揃ってご飯を食べる場面になる。

おもしろかったな~
『冠・婚・葬・祭』もまた読もうかしら。

(6月22日読了)

視点をずらす思考術


視点をずらす思考術
森達也
\735
講談社現代新書
2008年

図書館で見かけて、借りてきてみた。
森があちこちに書いたものを、改題し、大幅に加筆訂正したものだという。

昨日、昼を食べに入った店で、「週刊文春」の書評欄で、森が『人を撮る』という本を書評していた。ドキュメンタリーが、中立とか客観的ということはありえない、と書いてあった。

▽世界は広い。でも人の感覚の幅はとても狭い。さらに可視光線の幅は電磁波全体のほんの一部でしかない。つまり見える光と見えない光がある。認知できる音波の幅もとても短い。聞こえる音と聞こえない音がある。
 だからもしも可視光線の幅がほんの数ミリずれたなら、それまで見えていなかったものが眼前に現れる。

 だからずらす。可視光線の幅はコントロールできないけれど、視点くらいはずらすことができる。たったそれだけのことでも、まったく違う世界が眼前に現れる。
 人の一生は短い。限られたこの時間のなかで、僕はできるかぎりはいろんな断面を見たい。聞きたいし知りたい。そんなことの繰り返しで、この世界は意外と捨てたものではなく、人って素敵な存在なのだと思うことができる。
(pp.191-192)

ずらす。
意識してずらす。

(6月22日読了)

「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて


「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて
山田泉
\1,890
高文研
2007年

福井で山ちゃんの話をライブで聞いてから一週間。
『「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて』を再読。

山ちゃんが尊敬していた穴瀬先生が亡くなった話が、この本の最後に出てくる。
山ちゃんが穴瀬先生からもらった手紙の一節。

▽…しかし、自分がひきこまれない程度に、相手の土俵にも上がって話を聞いていくことで、なおしたたかな実践となって、広がりが出てくるにちがいありません。あせらず、がんばってください。
(289p.)


自分がひきこまれない程度に、相手の土俵にも上がって


すげー難しいなーと思うけど、心に留めてみようと思う。

(6月21日読了)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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