読んだり、書いたり、編んだり 

ろう教育と言語権 ろう児の人権救済申立の全容


ろう教育と言語権 ろう児の人権救済申立の全容
小嶋勇(監修)
全国ろう児をもつ親の会(編)
\5,040
明石書店
2004年

ろう学校での教育といえば、言語は「手話」と考えてしまうが、日本のろう学校の教育では「手話」が使われないどころか、長く禁止されていた。いま30代のろう者でも、手話禁止のろう学校で教育をうけているか、聴者と同じ学校へ通っていたか(インテグレーション)、という人が多い。

ろう学校で「手話」が意識されるようになったのは、かなり最近のことだ。

手話といっても、音声日本語にあわせて手話単語を並べたような“日本語対応手話(別名、手指日本語、英語で表現すればSigned Japanese)”ではなく、ろう者にとっての第一言語は「日本手話」(Japanese Sign Language)である。
日本手話は自然言語、つまり人工的につくりだされた言葉ではなく、「人間が特別な訓練なしに自然に習得し使用する言語」(広辞苑第六版)である。音声日本語とは別の、独自の文法体系をもつことばである。

ところが、ろう者にとって、自然に習得でき使用できることばである「日本手話」は教育のなかで長きにわたり、禁止され、使われてこなかった(使える教員が皆無に等しかったというべきかもしれない)。
ろう者は、聴覚の“障害”をもった人であり、聴こえる人に近づけることこそが障害の克服、また将来聴者の世界で生きていくうえで必要なことだと考えられてきたために、日本のろう学校のほとんどで、聴覚口話法が強力におこなわれてきた。

口話、読唇、発声が、なによりもまず教え込まれた。
「日本手話」であれば、勉強もよく理解できるのに、それよりも、音声言語をあやつれる人に近づくことがベストだと考えられてきた。

「日本手話」がわからない教員が、聴こえない子どもを相手に音声日本語で授業をおこなう。先生の言うことが子どもには分からない。勉強だけでなくふだんの生活でも意志疎通は相当むずかしいだろうと思う。ちょっと信じがたいが、それが日本のろう学校でおこなわれてきた教育だ。

2003年、ろう者にとって第一言語である「日本手話」で教育をおこなうことを求め、ろう児をもつ親の会が中心になって人権救済の申立をしたことについて、申立の全容ならびに「言語権」という考え方を解説した論文などがこの本には収められている。

日弁連は、この申立に対し、2005年に「手話教育の充実を求める意見書」を発表、文部科学省にも提出した。

その意見書にはまず3つの提言が書かれている。
1 国は、手話が言語であることを認め、言語取得やコミュニケーションのバリアを取り除くために以下の施策を講じ、聴覚障害者が自ら選択する言語を用いて表現する権利を保障すべきである。
 (1)手話を教育の中で正当に位置づけ、教育現場における手話の使用に積極的に取り組み、手話による教育を受けることを選択する自由を認める。
 (2)教科書の手話ビデオ化を妨げている著作権法の規定を改正し、教科書の手話ビデオの充実など手話による効果的な教育方法についての助成や、手話で教育ができる教員の養成に取り組む。
 (3)子どもの聴覚障害が判明した場合、家族にも手話を学んでもらうことが大切であり、そのため保護者に対し手話を学習する必要性について説明し、家族に対し手話教育の機会を無料で与えるなど、子どもが家庭や地域で手話を使用できる環境を保障する。

2 教育委員会は、ろう学校に手話のできる教員を積極的に採用するなどして、手話による教育が可能となるような環境を整備するとともに、普通校においても、手話を学ぶ機会を積極的に提供するよう配慮すべきである。

3 ろう学校は、幼稚部、小学部から手話を積極的に活用して子どもの言語能力の取得、向上を図るべきである。


この提言が、まず「手話は言語である」と書いているところに、ろう教育の中で手話がみとめられてこなかった根本的な問題があらわれている。

聴覚“障害”というかぎり、その障害は欠けたもの、劣ったもの、克服すべきものと捉えられがちだ。
「手話は言語である」という立場からは、ろう者は「言語的少数者」と捉えられる。

この本に収録されているろう児をもつ親たちの体験談には、ろう児を家族にむかえた際に、“残念ですが”お子さんは聴こえません、と告げられてきたのだといくつも書かれている。
ろうとして生まれたことは、残念なことなのか?不幸なのか?

それに対して、ろう児をもつ親の会は、「ろう児の人権宣言」として、こううたっている。

ろう児の人権宣言

*私たちの子どもはろう児です
*ろう児は将来ろう者となります
*ろう児とろう者の母語は日本手話です
*私たちは子どもの母語環境を保障し、母語で教育を受ける権利を保障します
*書記日本語を第二言語とするバイリンガル教育を推進します
*ろう児をろう児として育てたいのです
*人としてろう者としての誇りを大切にしてほしいのです
*私たちはろう児とろう者の文化があることを理解し、バイカルチュラル教育を推進します
*「聞こえないこと」は不幸ではありません
*私たちはろう児の人権を守ります

『全国ろう児をもつ親の会』は以上を宣言します
 2002年10月5日

西洋骨董洋菓子店(1~4)



西洋骨董洋菓子店(1~4)
よしながふみ
\546~\557
新書館Wings comics
2000~2002年

今日は古本屋で『西洋骨董洋菓子店』の3巻と4巻をゲットしたので(1巻と2巻だけもっていた)、3→4→1→2→3→4 とまわってよむ。

橘が子どもの頃にまきこまれた誘拐事件のことが、だんだんと書き込まれる3巻と4巻。まわってよんで、やっとわかってきた。

がんと向き合って


がんと向き合って
上野創
\1,470
晶文社
2002年

この本が出た頃に買って読んだあと、どこへやったか、手放したのか、見当たらないので図書館で借りてきた。

山ちゃんの『いのちの恩返し』で、上野さんと山ちゃんと対談してたので、あー、またあれ読もうかなあと思って。

去年、文庫にもなったらしい。

がんと告げられ、手術、抗ガン剤、超大量療法…それから転移がみつかって治療…また再発がみつかって…という日々を、上野さんは勤務先の新聞社の新聞に連載した。

私が最初に読んだのは、web上にあった連載記事。
間近で、抗ガン剤治療と手術をみていた頃。

もう一度よんでも、重い。
重いけれど、ところどころに薄日が射すような明るさもある。

ほんとに建つのかな


ほんとに建つのかな
内田春菊
\1,365
祥伝社
2004年

『教育してます?』でも、現オットのユーヤの父の「オレがオレがオレが」とか、様々なセクハラ発言とか、そういうのにキレている春菊さんが書かれていたが、詳しくはこれを読めってことだったので、借りてきてみた。

若いころは、仕事ばっかりしていて「ハウスキープ」というものを封じ込めていた春菊さんが、ひとりめの子どもを産んで、ふたりめを産んだあたりで、その封じ込めてたのが バチン とはじけて、それから家事が妙に楽しい…という巻末のはなしが、おもしろかった。

それにしても、こういう「オレがオレがオレが」おやじはつらいのう。
「稼いでるのは彼女だから」とユーヤがなんぼ言うても、通じなかったり、妻とサラウンドで「お兄ちゃん失格」と言い募って、ユーヤや春菊さんの息子1を追いつめたり、これって鈍感? なんなん?

と思うのであった。

しゃべれどもしゃべれども


しゃべれどもしゃべれども
佐藤多佳子
\620
新潮文庫
2000年

そういえば、これは映画になったのだったか?
だいぶ前から、誰かに「おもしろかった」と聞いていたのが、かすかに記憶にあり、図書館で見かけて、借りてみた。

噺家、つまりは落語家と、その周りになぜか集うことになった、てんでばらばらな関係の老若男女と、それぞれのエピソードが積みあげられたようなものがたり。

文庫の裏表紙によると、「本の雑誌が選ぶ年間ベストテン」第一位に輝いた名作。


400ページ以上ある文庫本を一気読みしてしもた。

(6月26日読了)

私には浅田先生がいた


私には浅田先生がいた
康玲子
\1,300
三一書房
2008年

在日女性文芸協会による『地に舟をこげ』という在日女性文学の雑誌ができて、その創刊号はだいたい読んだ。
それでできた「賞・地に舟をこげ」の第一回受賞作が、「私には浅田先生がいた」で、『地に舟をこげ』の第二号に載った。

この受賞作が本になった。

著者の高一、高二のときの担任だったのが浅田先生。
在日であることが、康さん自身にとって、どういうことだったか。

こんな不安が書かれている。

▽…そして、私の存在不安も深かった。両親の不和は、子どもの存在基盤を脅かす。もともと仲が悪かった父と母の間は、この頃、ますます険悪なものとなり、二人はしょっちゅうけんかをしては、離婚の話をした。父の怒声を聞きながら、二人が結婚したのは間違いだったのではないか、と考える。実際、母は私によくそう言った。そして、二人の結婚が間違いならば、私が生まれてきたことも間違い、私は生まれない方がよかった存在、ということになってしまうのだった。

 この不安は、歴史を読む時にも、そのまま投影された。日本は、朝鮮を侵略し、植民地として支配した。その結果、在日朝鮮人という存在が生み出された。だから、在日朝鮮人のことを「歴史の生き証人」と言う言い方があるほどである。しかし、日本のしたことは不当なこと、本来すべきではなかったこと、間違い、過ち、……。では、在日朝鮮人という存在も、本来は生まれない方がよかった存在、ということになってしまう。この考えは私を苦しめた。在日朝鮮人である私は、間違いによって生み出された存在、本来あるべきではなかった存在。実際、朝鮮人でありながら日本語を話し、日本語で考え、しかも差別を受けなければならない自分、その不安におびえている自分、それなのに、日本人に生まれたかったなどと卑屈なことを考えている自分は、いかにも間違った存在だと肯んずることのできる、いびつな存在だった。存在の出発から間違いがあったのだから、--私が生まれる前の出来事なのだから、私にはどうしようもできないことだったのだけれど、--私の人生に希望などあるはずがないように思われた。
(pp.123-124)


さかのぼって、考えてしまう、自分の存在に対する不安。
高校生の頃ならばなおさら、不安だったろうと思う。

康玲子さんは、『アジェンダ』という雑誌に連載しているというので、どっかで見つけて読んでみたい。

http://members10.tsukaeru.net/agenda/


(6月26日読了)

娘と話す 国家のしくみってなに?


娘と話す 国家のしくみってなに?
レジス・ドブレ(著)
藤田真利子(訳)
\1,050
現代企画室
2002年

原題は「娘に語る共和国」で、ただの「国家」ではない、と解説で小熊英二が書いている。
父の話に対する娘のツッコミはなかなかで、ときどき読み返したいなーと思った本。

たとえば女性の権利についての話。
 --は娘、「 」は父。

▽--だいいち、ママンがいつか言ってたわ。共和主義がどうのこうのって演説、みんな口先ばっかりだ、って。女性はそういうご立派な言葉にだまされちゃいけないって。だいたい、どうして人権宣言は「男性」の権利なのよ、なんで女性の権利じゃないの?

 「たんなる言葉の問題じゃないか。フランス語では人間全体をあらわす言葉と男性をあらわす言葉が同じだというだけだ。「男性と女性の」権利としたら、人間には二種類あるんだな、などと考える愚か者が出てこないともかぎらない」

 --パパ、わたしを馬鹿にしてない? 女性は百五十年間も選挙権がないままだったのよ。男は誰ひとりそれに抗議しなかったわ。普通選挙の名が泣くわよ。ママンが議会での同等を要求する女性の声明を読ませてくれたの。共和国は女性を軽視し、ずっと男だけが政治をやってきたことがはっきり書かれていたわ。

 「その女性たちはまちがっていない。そして、正しくもない」

 --なによ、パパ、ごまかすつもり?

 「まあちょっと聞きなさい。女性差別は歴史的な問題であって、原則の問題じゃない。共和国はたしかに男性のものだった。なぜかというと、武器を取る義務と結びついていたからだよ。…[中略]…」
 (pp.90-91)


あるいは、代表性の問題。

▽--「自由、平等、博愛」これが区役所の扉の上に掲げられているのは見栄えがいいわ。でも、内容のない言葉でみんなをだましてると思わない? とくに女性を。

 「それにたいしては二通りの態度がとれる。「ご立派な原則だけど、こんなのうそだから、ゴミ箱に捨てちゃおうよ」と言うこともできる。あるいは、自分でそれを実現しようと決めて、実行もしないでいいことばかり言ってる連中にそれを突きつけてやることもできる。共和国を文字通りに受けとる。それは革新的ではないかもしれないが、ずっと建設的だ。一九四五年以前、選挙は一八四八年からずっと男性だけのものだったという事実があるからといって、普通選挙は神話にすぎないとフェミニストたちがあきらめるべきだったと思うかい? 望めば、共和国の理想の中にすべてが与えられている。だが、なにもかも一度に実現することはない。…[中略]…」

 --けど、いま、具体的に、政治の男女平等を達成するためにはなにをすればいいと思う?

 「国家組織法、政党の自主的な努力、憲法に平等を書きこむための国民投票……。いろいろあるだろうが、もっとも重要なのは公民教育とだけ言っておこう。自分で政治について学びなさい。そして、力関係も考慮に入れて、この不公平を終わらせる手段を検討しなさい。時期が来たかどうかは自分で判断できるだろう。そうはいっても、わたしとしては、市民の選択が生物的な分布を模倣しなければならないような社会は、本当に悲しむべきことだと思うんだ。女性は女性に投票しなければと思い、黒人は黒人に、しまいには議会に肥満者代表まで送り込むことになるんじゃないか? 自然に左右されるのがわたしたちのやり方ではない。人間を生まれつきのちがいの中に押し込める体制がある。わたしたちの社会は、生まれつきのちがいを超えて、人びとを互いに近づけるものをほめたたえる。それが良心と意志だ」
 (pp.93-95)


エエ本だった。

社会起業家 社会責任ビジネスの新しい潮流


社会起業家 社会責任ビジネスの新しい潮流
斎藤槇
\819
岩波新書
2004年

アスキーから今一生が新しい本を出していて、それが『社会起業家に学べ!』…こないだちょろっと立ち読みして、おもしろそうだったので、とりあえず「社会起業家」で出てきた本を図書館で借りてみた。

たとえば雑誌「ソトコト」の編集もやっている小黒一三(おぐろ・かずみ)の話。

▽「雑誌っていうのは、人生に微笑みを与えるメディア。生きるというのは楽しいよ、というメッセージを伝えるのが雑誌」と、その魅力を語る。(190p.)

あるいは、章の扉に引かれているガンジーのことば。

▽We must become the change we want to be.
Mahatma Ganthi
 私たちは自らがめざす変化そのものにならなければいけない.
   マハトマ・ガンジー
 (196p.)


「あとがき」で、著者は、社会起業家から教わった生き方と働き方の極意を十個書き記している。

▽社会起業家から教わった 生き方、働き方の極意
 1 自分の好きなこと、楽しいことに夢中になろう。
 2 いろいろな人と喜びや悩みや夢を分かち合おう
 3 効率を優先させない。何が大切かを見極める。
 4 かわいい子には旅をさせよ。かわいい子だけでなく、自分がかわいい大人も旅に出よう。きっと名案が浮かぶから。
 5 おかげさまの気持ちを忘れずにいよう。
 6 あきらめるから失敗する。成功するまで頑張ろう。
 7 人と競争するのではなく「協奏」しよう。
 8 人生にムダはない。一見、マイナスなことでもそこから何かが見えてくる。
 9 人がどう思うかではなく、自分がどう思うかを大切にしよう。
 10 たまには自分を褒めよう。
 (pp.243-244)


「働き方と生き方が同じ」
そんな生き方、働き方のヒント?

子どもを選ばないことを選ぶ いのちの現場から出生前診断を問う


子どもを選ばないことを選ぶ いのちの現場から出生前診断を問う
大野明子(編著)
\1,890
メディカ出版
2003年

サブタイトルを知らずに、図書館でリクエストして借りてきて、本の現物をみて、はじめて、あ、そういう本だったのかと気づく。

私はなぜか勝手に「子どもをもたない生き方を選ぶ」という内容の本だと思いこんでいた。

出生前診断を含む「いのちの選別」について、そして「選ばないことを選んだ」親たちについて、大野さん自身の揺れや迷いの過去、さらに、今でははっきりと「選ばないことを選ぶ」と言えるようになった話。

ダウン症の子を育てるようになって、「自分の中の偏見や悪魔と闘うことになりました」と語るおかあさん。自分のなかの偏見や悪魔にくるしみ、ストレスを話すそのおかあさんに、遺伝医の長谷川知子さんが「人間だから、あたりまえなんですよ」と言われる。

ここが、とくに印象深かった。

リセット


リセット
北村薫
\620
新潮文庫
2003年

『スキップ』『ターン』に続く、時と人のシリーズ3作目。

前2作とはまた印象が違う。
単に「生まれ変わり」という話でもない。

読後感はひじょうにいい。もう一度、スキップ、ターン、リセットと読もうかと思うくらい。

均ちゃんの失踪


均ちゃんの失踪
中島京子
\1,575
講談社
2006年

『平成大家族』がおもしろかったので、なにか中島京子ないかな~と図書館へ行ったら、これがあったので借りてきた。

表題作ほかの、短編集かと思ったら、これも連作集だった。
連作うまいな、中島京子。

「均ちゃん」は「きんちゃん」とよむ。

(6月23日読了)

いのちを産む お産の現場から未来を探る


いのちを産む お産の現場から未来を探る
大野明子(文・構成)
宮崎雅子(写真)
\2,730
学研
2008年

産婦人科医ひとりと、助産師数名で運営されている「お産の家 明日香医院」は、自然なお産と母乳育児をやろうとしている小さい診療所。

1日3時間の散歩を、というのが明日香医院の方針。
それがどういう意味をもつのか、この本を読んでいると、わかってくる。

サブタイトルに「お産の現場から未来を探る」とあるように、妊婦さんやその家族や出産前後の写真に挟まれて、疲弊していく産科医療について書かれている。

写真がいい。
そして、産科をはじめとする医療のいまのことが、よくわかる。
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ