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読んだり、書いたり、編んだり 

いのちの恩返し がんと向き合った「いのちの授業」の日々


いのちの恩返し がんと向き合った「いのちの授業」の日々
山田泉
\1,680
高文研
2008年

山ちゃんの「いのちの授業」本、2冊目。
昨年暮れの『We』に載った、菅井さんによるインタビューから始まって、しまいは上野創さんとの対談。

上野創さんといえば、『がんと向き合って』の人。晶文社から出ていた本は、いま朝日文庫にも入っているらしい。
また読んでみようと思う…晶文社の本をむかし買ったけど、手放したか、どっかのダンボールに入ったままか、本棚に見当たらず。

上野さんとの対談のなかの「最高の管理職、この人について行こう!」を読んでいたら、山ちゃんが「最高の管理職」というだけあって、エエ校長先生やな~と、じつにうらやましくなった。
よく動く人。

山ちゃんがこう語る。
▽山田 …私はその時の校長先生の姿を見て、ものすごく勉強させてもらったわ。校長先生はよく動く人で、子どもが怪我して入院するでしょ。「さえちゃん、退院して帰ってきますよ、校長先生」と言うと、「ほんとだねぇ、帰ってくる準備しなくっちゃ」とか言って、金づちを持って、学校中のトイレを“座るトイレ”に作り変えたの。“座るトイレ”って、ドアを逆に付け替えないといけないらしいんだけど、それを全部一人でやった。それも黙ってするわけよ。校長先生、校長室にいないから何してるんやろと思ったら、体育館のトイレから学校中のトイレを作り直してる。
 
 上野 業者を使ったりしないで、自分でやってたんですか?

 山田 そうそう、理科の先生だったけど、あの年代のベテランの先生って、「電気こここわれてます」って言ったら、ささっと修理したり、何でもできる人が多いやん。そういう校長先生の姿を見てたんで、「この人についていこう」っち思った。言葉と違う世界ね。動きが全部子どものためなの。だから、他の先生たちも、その校長先生の後ろ姿を見てたからよく動いてた。…
(184p.)

エエ人や…


私の職場の「管理職」が4月から代わったが、この校長先生の対極にあるようなおっさんで、全くもって「ついて行こう!」と思えない。

外向けのリップサービスは潤沢で、外出しての“自分の”ピーアールにも熱心で、“自分の”業績を吹聴するのも熱心だが、職場内の業務はほとんど何もする気がない。サービス業であるのに、お客の姿に目も留めず、鳴り続ける電話にも出ようとせず、職場にいるときはほとんどずっとパソコンの画面をみているだけ。

職場内の業務についてや、職場全体のことを把握しようとか知ろうとする態度がまったく見えず(口先だけは、そのようなことを言うが)、士気が下がる下がる・・・・・。

あああ、かなりうんざり。

平成大家族


平成大家族
中島京子
\1,680
集英社
2008年

読みたいな~と思っていた小説を、同僚さんからコッソリ又貸ししてもらい、即日読んでしまう。
諸般の事情で、2人の娘たちが夫や子どもと共に戻り、出ていってもらいたい息子はヒッキーで、緋田の家は、あれよあれよという間に大家族の生活。

緋田の家の住人や出入りする人、関係者など、視点をかえた連作小説は、最後の章になって、これだけの大家族が、はじめて全員揃ってご飯を食べる場面になる。

おもしろかったな~
『冠・婚・葬・祭』もまた読もうかしら。

(6月22日読了)

視点をずらす思考術


視点をずらす思考術
森達也
\735
講談社現代新書
2008年

図書館で見かけて、借りてきてみた。
森があちこちに書いたものを、改題し、大幅に加筆訂正したものだという。

昨日、昼を食べに入った店で、「週刊文春」の書評欄で、森が『人を撮る』という本を書評していた。ドキュメンタリーが、中立とか客観的ということはありえない、と書いてあった。

▽世界は広い。でも人の感覚の幅はとても狭い。さらに可視光線の幅は電磁波全体のほんの一部でしかない。つまり見える光と見えない光がある。認知できる音波の幅もとても短い。聞こえる音と聞こえない音がある。
 だからもしも可視光線の幅がほんの数ミリずれたなら、それまで見えていなかったものが眼前に現れる。

 だからずらす。可視光線の幅はコントロールできないけれど、視点くらいはずらすことができる。たったそれだけのことでも、まったく違う世界が眼前に現れる。
 人の一生は短い。限られたこの時間のなかで、僕はできるかぎりはいろんな断面を見たい。聞きたいし知りたい。そんなことの繰り返しで、この世界は意外と捨てたものではなく、人って素敵な存在なのだと思うことができる。
(pp.191-192)

ずらす。
意識してずらす。

(6月22日読了)

「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて


「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて
山田泉
\1,890
高文研
2007年

福井で山ちゃんの話をライブで聞いてから一週間。
『「いのちの授業」をもう一度 がんと向き合い、いのちを語り続けて』を再読。

山ちゃんが尊敬していた穴瀬先生が亡くなった話が、この本の最後に出てくる。
山ちゃんが穴瀬先生からもらった手紙の一節。

▽…しかし、自分がひきこまれない程度に、相手の土俵にも上がって話を聞いていくことで、なおしたたかな実践となって、広がりが出てくるにちがいありません。あせらず、がんばってください。
(289p.)


自分がひきこまれない程度に、相手の土俵にも上がって


すげー難しいなーと思うけど、心に留めてみようと思う。

(6月21日読了)

ああ息子


ああ息子
西原理恵子+母さんズ
\880
毎日新聞社
2005年

『ああ娘』に続き、読んでみる。
“いかにも”なエピソード山盛り。

それは、本当に「男の子だから」なのか?
個人差も相当あるように思うが、どうなのか?

笑える話もあるが、そういう疑問はやはり消えないのであった。

生活保護vsワーキングプア 若者に広がる貧困


生活保護vsワーキングプア 若者に広がる貧困
大山典宏
\756
PHP新書
2008年

本文も、徹底して現場に即していて、私が知らなかったこと、そういう風に考えることができるのかと思ったことがいくつもあって、よい本だったが、なんといっても「おわりに」で言及されている「彼」の話が、とりわけ強い印象をのこす。著者が、勤務していた一時保護所で出会った少年のこと。

「彼」に、著者が言えなかったことば、勇気を出して伝えられなかったこと--それが今も著者を苦しめるという。

この苦しみがあるから、著者は、この仕事を続けているのだろうか、とも思った。


著者が示す格差是正のひとつの方法は、長期失業者を仕事に結びつけ、自立するまでをサポートすることだ。いま、貧困に苦しむ若者に手を差し伸べて、生活をたてなおし、職につき、自立して生活していけるようサポートすることのほうが、生活をたてなおすことができず、無職のまま、将来にわたり生活保護を受け続けることになるよりも、ずっとコストもかからない。

だが、日本では、若者に対する支援といえば、ニートやフリーターの支援など、限定されたものだけである。

著者たちが、ボランタリーに関わる若者支援の取り組みには、ほとんど税の支出はない。
さいごに著者はこう書く。

▽たとえ理想を高く掲げたとしても、現実的に提供できる資源--それは人材であり、資金であり、利用できる施設やサービスだったりするでしょう--がなければ、早晩、支援は行き詰まります。そして、その取り組みの多くが企業的な利益に直結するものではないため、資金の出所は公的資金(税)に頼らざるをえないでしょう。
 それが必要であるか、否か。
 ワーキングプアを救うのに、生活保護を使うのか。子どもたちの未来のために生活保護を使うのか。あるいは、それに代わる新しい制度を設計していくべきなのか。
 それを決めるのは、私たちです。
 その選択にあたり、本書がささやかな検討の材料となれば幸いです。(241p.)

「つながり」という危ない快楽 格差のドアが閉じていく


「つながり」という危ない快楽 格差のドアが閉じていく
速水由紀子
\1,470
筑摩書房
2006年

この本が出た頃から、タイトルだけは知っていたが、読まずにいた。
フト図書館で目について借りてきて読んでみた。

…よくわからない本であった。
三浦展の『下流社会』批判がいろいろと書いてある。「『下流社会』はトンデモ本だという理由を検証する」という項まである。
私はこの本を読んでないので、ふーんと思いながら読んでいたが、ついでに『下流社会』も読んでみるか、と思うほどには、速水の話がしっくりきたのでもなくて、へんな読後感だけが残っている。

あと、この本は「速水由紀子著」ということになっているのだが、鈴木謙介という社会学者(?)のテキストが何本もはさまっていて、そのはさまっているテキストの位置づけがよくわからんのである。
共著という扱いになっていない…のだが、そのわりには鈴木テキストの分量は多く、引用の域をこえている。わざわざフォントを変えてあるのは、引用だといいたいのだろうかと思いながら読むが、それにしても多い。

で、読後感としては、なんかよくわからんかった、というのだけが残った。
ホリエモンとか三木谷の話(これもひじょうに言及が多い)を読んでいると、ものすごーく昔の話のような気もした。

「はじめに」のしまいのところには、こう書いてある。

▽本著では団塊ジュニア世代がどんなコミュニティに帰属し、どんなプライオリティで生きているのかを具体的に分析しつつ、同時に彼らと現実社会を隔てている最大の原因、親世代のダブル・バインドが描き出したシナリオによって成熟を阻止された自我を回復し、社会とつながるためには、どうしたらいいのかを提示する。(16p.)

…そういうことが書いてあったのか?????

という印象の残った本であった。

本と人をつなぐ図書館員 障害のある人、赤ちゃんから高齢者まで


本と人をつなぐ図書館員 障害のある人、赤ちゃんから高齢者まで
山内薫
\1,890
読書工房
2008年

東京・墨田区の図書館で、40年近くはたらいてきた著者。
見えない人や弱視者へのサービス、子どもへのサービスを積極的におこなってきたそうだ。
この本では録音図書や点訳図書とともに、拡大写本の話が多くとりあげられている。

たとえば録音図書は、“視覚障害者のため【だけ】のもの”と思われているが、駅に設置されたエレベーターが“車イス使用者のため【だけ】のもの”ではないように、晴眼であっても、目を使って読むことが体力やその他の理由で難しい人にとって、読書をたのしむ一つの方法なのだ、とか。

最後のほうに、ほんの少しだが、ろう者のことがとりあげられている。

▽一般の人は聴覚障害者の事情を知らないため、活字を読めば理解できると思いこんでいることが多く、筆談で何の支障もなくやりとりできると思っている。しかし、ろう者が第一言語とする日本手話と日本語は、文法が異なるために、読み書きを習得することは大変困難なのだ。また一口に聴覚障害者といっても、日本手話をコミュニケーション手段とする人は十五%という調査結果もあり、ちょうど視覚障害者のうち点字を読める人がわずか十%という関係と多少似ている。(pp.177-178)

そして、大阪の枚方市立図書館で勤務する、山本さん(第一言語は日本手話)の話を引用して、「図書館から借りた本や新聞などの活字資料を図書館に持参して、それを職員が日本手話に翻訳する『対面手話』を実施してほしいという要望があった」というのを紹介している。

▽今まで対面で本や書類を読むサービスといえば視覚障害者を対象として「対面朗読サービス」が行なわれてきたが、ろう者からも同じような「対面手話サービス」の要望が出されたということは、大変興味深い。(180p.)

この対面朗読サービスについては、目の見える人が、目の見えない人に対して、資料を読むというものだと思われているが、著者は、川崎の図書館でこんな場面に遭遇している。

▽…川崎市立盲人図書館を訪れた時、私が目にした情景は、「障害者サービス」と呼ばれるこのサービスの考え方を一新させるものだった。
 そこでは目の見えない職員が目の見える職員に対して、点字の週刊誌「点字毎日」を対面朗読で読んでいたのだった。当時「点字毎日」は、点字版しか発行されておらず、点字が読めなければ中身を知ることはできなかった。
 「対面朗読」というサービスは、目の見えない人に対して本やパンフレットなどを図書館員や音訳者がその場で読むサービス、と頭から思いこんでいた私は、そこで全く逆の立場での対面朗読が行なわれていることに驚き、感動を覚えたのだった。(pp.188-189)


「公共図書館のサービス」とは、何なのか、を考える際の杖になる一冊。

やってられない月曜日


やってられない月曜日
柴田よしき
\1,470
新潮社
2007年

こないだ読んだ『ワーキングガール・ウォーズ』がおもしろかったので、何かもう一冊と思い、“はたらく女”モノを借りてきた。

読みはじめてみると、墨田翔子が、こっちの主人公・高遠寧々のイトコの姉ちゃんとして登場。
この小説も、なかなかよかった。
そのうち文庫化されるのだろうかなー

(6月20日読了)

演劇は道具だ


演劇は道具だ
宮沢章夫(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社よりみちパン!セ
2006年

渡辺えり子の本を、何冊か読んでいたときに、ちょうど、パン!セのこれが目についたので、借りてきた。

なんだかよくわからんところもあったけど、読んでいてたのしかった。
たとえば、こんなところがおもしろい。

▽考えてみてください。
 人は、なんて不自由なんでしょう。空を飛べないでしょう。ふつうの人だったらからだをうしろにそらして背中を見ることができません。あるいは、うまく人に話しかけられないとか、自分がほしいものは簡単には手に入れられないし、思うようにできないことがいっぱいあります。そんな状態を、「かたいからだ」とこの本では書きます。無理してやわらかくする必要はないとわたしは考えます。だってね、いくらやわらかくしようと思っても、首は360度、ぐるっと回転しないでしょう。あなたが持っているだろう、その「かたいからだ」を使い、演劇にアプローチするところから、すべてははじまるのです。(pp.9-10)

第一章 みる
第二章 すう、はく
第三章 ふれる
第四章 たつ

よくわからんけど、読んでいてたのしく、おもしろい本は、また読みたくなるのだった。

はたらきたい。  ほぼ日の就職論


はたらきたい。  ほぼ日の就職論
糸井重里(監修)
\1,365
東京糸井重里事務所
2008年

▽自分が大切にしていること、大切にしてきたこと、大切にしていきたいこと。
 これを考えることが、「はたらくこと」を考えることなのかもしれない。
 この本をつくっている過程で、私たちが思ったのは、そんなことでした。

 「はたらくこと」って、どういうことなのか。
 それについての自分なりの答えは「大切にしてきたもの」を考えることで、
 見えてくるのではないだろうか。
 そんな切り口で、編まれていった本です。
 (9p.)

…という切り口で、対談や、さまざまな人の「おことば」が集められて編まれた本。

もとは、「ほぼ日」のサイトでの「ほぼ日の就職論」企画がもと。
サイトに載った対談のうち、サイトのみでという条件だったため、書籍版に掲載されていない対談がひとつ。

http://www.1101.com/job_study/tsukagoshi/

1本くらいは、女性の対談も読みたかったなーと思ったり。
「おことば」集には、女性のもぱらぱらあります。

ひとつめの対談、河野さん(採用のプロ)と糸井さんの話の一部。

▽糸井 面接のテクニック的な事柄については、学生のやることだから間違っちゃっても構わないんですよね。

 河野 全然、構わないです。 

 糸井 じゃ、どこまでいっても、基本は「何を大切にしているか」「何を大切にしてきたか」という問題になっていきますよね。

 河野 はい、そのとおりです。

 糸井 すっごく態度の悪い面接官にカチンときた。でも、「そういう人がいてもいいんじゃない?」と思ったら、入ろうと努力すればいい。
 
 河野 そうです。

 糸井 こういう態度は許せないと思ったら、大切にしてるものから外れるんだから、そんな会社には内定もらってどんなにうれしくても、入っちゃダメですよね。

 河野 ダメです。

 糸井 面接でセクハラされました、みたいな話って聞くじゃないですか。

 河野 そんなのはもう、問題外ですよね。

 糸井 そんな会社、どうしようもないと思っても受かったからよしとするか、なんていうのは完全に間違ってますよね。
 (pp.34-35)


「ここで働きたいかどうか」「いっしょに働きたいかどうか」、キモはそこなのだという話が印象に残った。

それは、自分が「何を大切にしているか、何を大切にしてきたか」とのすりあわせの上で、その場を去るか、そこでいっしょに働くか、になるのだろうな。

(6月17日読了)

ああ娘


ああ娘
西原理恵子+父さん母さんズ
\880
毎日新聞社
2006年

娘育ての、苦労話投稿集。
実際育てているとそうなのか、思い込みや偏見みたいなものなのか、さまざまなエピソードとともに「やはり女の子」的なコメントがけっこうある。
編集の影響もあるのかもしれぬ。

「編集部あとがき」のしょっぱなは「男と女はやっぱり違う。」

そうなんでしょうか。
どうなんでしょうか。

笑えるエピソードも山盛りで、けっこう楽しめる本ではある。
とりあえず、次は『ああ息子』も読んでみるかー

(6月17日読了)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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