FC2ブログ
 
読んだり、書いたり、編んだり 

ひとはみな、ハダカになる。


ひとはみな、ハダカになる。
バクシーシ山下(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社(よりみちパン!セ)
2007年

AV(アダルトビデオ)監督のバクシーシ山下の本がパン!セに入っている、ということに気づいて、借りてきた。

まず「AV」と「ポルノ映画」の違い。
私はごっちゃにして、似たようなものというか、同じやろと思っていたけど、違う。AVはエロ本に近い。

▽じゃあ、人のはだかや、セックスシーンが映っていればなんでも「AV」と呼ぶかというと、そういうわけではありません。
 [中略]
 …はだかやセックスが映っていても、ポルノ映画はポルノ「映画」で、やっぱり「AV」とは言わない。ちなみに、昔のポルノ映画がビデオや、いまはDVDになったりしていますが、そのビデオやDVDも「AV」とは呼ばれていません。
 …映画とAVと何がちがうかといえば、内容や、出演する人や、作り方などたくさんのポイントにおいても、いちばんは「見る人の見方がちがう」ということかもしれません。
 映画は、映画館に行って、真っ暗だけれども同時にたくさんの人が座席にいて見ます。一方AVは、ビデオやDVDを再生できるものさえあれば、どこでも、暗くなくても、寝っ転がったりしながら、たったひとりで見ることができます。
 [中略]
 それまでは、テレビで見られるちょっとしたエッチシーンは別にして、セックスを描写する映像を見ようとすれば、まずはポルノ映画だったわけです。映画館という「外」に出かけなければ見られなかったものが、AVとビデオデッキが登場してから、わざわざ「外」に行かなくても、部屋の「中」で、誰にも遠慮せずに見られるようになった。
 気に入ったシーンがあれば、AVだとそこだけをくりかえし見たりできる。
 なおかつ、思わずムラムラしてくれば、映像を見ながら同時にオナニーもできるわけです。
 これは、映画館で映画を見ているときにはなかなかできないことです。ものの見られ方としては、エロ本に近い。(pp.11-14)


セックスの不思議さについて、バクシーシ山下は書く。

▽…社会の中に「セックス」という行為をおいてみると、たとえば、人が自ら望まないでその行為に向き合わされることになれば、それは「レイプ」という名の犯罪になる。逆に、人が望んでその行為に向き合えば、時には「愛」という名の作業になり、さらに、その行為の延長に「結婚」という合意が生まれれば、周囲から祝福されたりします。(48p.)

▽…セックスや「性」の行為や衝動については、「殺人」や「ドラッグ」といったものとぜんぜんちがって、社会の中でどういう場面でおかれるか、その場面やおかれかたによっては「良いこと/悪いこと」というふうに、まったく逆の在り方になっていくのがすごく不思議に思えるのです。(50p.)


「いいか、悪いか」を問う前に考えたいこと、をバクシーシ山下は書く。「大切な自分の体なんだから、売ってはいけないよね」って、なんとなく納得してしまうけど、そうなのか?とツッコミを入れていく。

▽「仕事として体を売る」ことの是非だけに限らず、世の中であまりにも「当たり前」「これがふつうだ」と考えられていることって、「なぜ当たり前か」「なぜふつうと言えるのか」について突っ込んでみると、意外に、すぐに根拠を示せないことも多いと思っています。
 たとえば、AVギャルや風俗嬢に対する世間一般の見方は、「仕事とはいえ、よくそんなに不特定多数の男とセックスできるな。不潔じゃないか」というものでしょう。
 では、「たった一人の人とセックスをつづける」ことが、どうして「いいことだ」と言い切れるのか。そのうち一緒に住んだりなんかして、「その男の料理まで作ってやるなんて、いったいどういうつもりだ?」ということを、言ってはいけないのか。
 たとえばそれは「結婚という制度」だったりするわけなんですが、「この制度が当たり前である」というこの社会での決まり事がもしなければ、「結婚」だって、そうとう「特殊」なことだと思うんですよ。
 [中略]
 …だから、「これがふつうだ、常識だ」と考えられていることでも、本当に何も新たに考える領域が残されていないのかどうか、そういう目で眺めてみてもいいじゃないかと思うんです。(pp.121-123)

いやー、おもしろかった。
ほかにも本があるらしい。

『セックス障害者たち』
『私も女優にしてください』
『「ひとり暮らし」の女たち』

検索してみたら、近所の図書館にはナイ…
相互貸借で借りてもらうことにしよう。。。。

家を出る日のために


家を出る日のために
辰巳渚(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社(よりみちパン!セ)
2008年

辰巳渚といえば『「捨てる!」技術』の人(読んでないけど)。
パン!セの一冊で、新しいやつなんで、借りてみた。

最初のほうは、ほーーと思った。

小児喘息だった子どもの頃、母親がなんでもかんでも構い、なんでもかんでも代わりに答えようとするのを、「お母さんは黙っていてください」と言い、私の考えを聞いたお医者さん。

▽そのときの気持ちを、私はいまでも鮮明に覚えている。ああ、私に聞いているんだ。私が自分で考えて、自分で決めて、この先生に話していいんだ!
 そして、「注射はがまんできます。学校は○曜日が四時間なので、来られます」と返事をし、「その注射は、こういうことのためにするんですよ」とわかるまで説明してもらった私は、心から自分に満足した。胸いっぱいに深呼吸して、身体のすみずみまで新鮮な空気がいきわたったような、すがすがしい気持ちだった。(17p.)

そして、転職して編集者として働きはじめた20代半ばの頃。思うようにいかなくて悩み、会社へ行こうとすると吐き気がしたり、夜中に涙が止まらなくなったり、心がこわれかけて、会社をやめた。失業保険を受けながら、ただひたすら日々の家事をして暮らしていた、という。

▽そうして黙々と家事をしていると、少しずつ自分を取り戻していくような気がした。疲れ果てて硬く動かなくなっていた心が、やわらかくなっていく感じもした。数ヶ月たったころ、気がついたら、「働こうかな」と思えるようになった私がいた。友だちに電話をして、いっしょに食事をしたり、展覧会を見に行ったりするのを楽しみにできるようにもなっていた。(22p.)


そのあとの途中の章は、岩村暢子の『変わる家族変わる食卓』とか『〈現代家族〉の誕生』を下敷きにしたような感じだった。辰巳渚は、キャリアとしては「マーケティング」の仕事を長くやってきたというから、岩村たちアサツーDKみたいな仕事もしているのだろう。


けっこうすごい誤字がある。入力ミスと変換ミスだろう。

×「ぜぎ聞いてみてほしい。」 → ○「ぜひ聞いてみてほしい」 (49p.)
×「おもに分筆を中心に」 → ○「主に文筆を中心に」(奥付)

※分筆:一筆[いっぴつ]の土地を分割して数筆とすること。ふでわけ。[対]合筆

一刷りなので、いま売ってるので直ってるといいけど。

「処女同盟」第三号


「処女同盟」第三号
吉川トリコ
\1,365
集英社
2007年

『C級フルーツパフェ』『グッモーエビアン』と読んだあとに、図書館で書架ありだったのでリクエストしたら、不明本だということが判明したらしく、しばらく待たされて、他館相貸で本がきた。

あああ、恥ずかしいような「あのころ」小説。

裁判官はなぜ誤るのか


裁判官はなぜ誤るのか
秋山賢三
\735
岩波新書
2002年

日本の刑事裁判での有罪率は99.9%だという。

裁判の結果、有罪だと認定される率がほとんど100%だということは、起訴の段階で「被告人」とされた場合は、「有罪」を覚悟せざるをえないということである。

これは異常である。


「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰すなかれ」
「疑わしきは被告人の利益に」

これらは刑事裁判の法格言だという。つまり、刑事裁判の最大の使命は冤罪を生まないことである。

周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」の中でも、刑事裁判においてもっとも大切なこととして、良心的な裁判官がこれから司法につこうとする若者に対して、この法格言を語っていた。

著者の秋山さんは、裁判官として20年以上の経験を積んだあと、弁護士に転身した。弁護士として初めて法廷に出た時に感じたのは、「壇が高いなあー」ということだったという。壇とは、裁判官の席のある「法壇」のこと。同時に、「被告人から裁判官までの距離もずいぶん遠いなあー」と気が付く。

秋山さん自身が、弁護士になった当初は「態度がでかい」「横柄だ」と依頼人や相手方から気づかされ、裁判官時代の自分の態度をふりかえっている。

この本は「裁判官による誤判」というかたちで冤罪をうみだす現代刑事司法の構造そのものに目を向けて考えてみたいと書かれた。

秋山さんが裁判官として、また弁護士として関わった事件や、再審請求事件をとりあげながら、どのような中で、裁判官の誤り=誤判がうみだされるのか、そのおそれがあるかを書いている。

▽木谷明元裁判官(現公証人)は、東京地裁を中心とする現場裁判所、最高裁調査官などの最高裁勤務を歴任したエリート裁判官の一人だが、「疑わしきは被告人の利益に」原則を貫徹した代表的な良心的裁判官として知られ、私が在官中から深く尊敬してきた先輩裁判官である。(168p.)

その木谷明さんの本もいくつかあるようなので、こんど読んでみようと思う。
以前読んだ、周防正行『それでもボクはやってない』のなかでも、登場しているそうだ。そういえば元裁判官と周防監督が語っている場面があったような…

働けません。 「働けません。」6つの“奥の手”


働けません。 「働けません。」6つの“奥の手”
湯浅誠(著)
日向咲嗣(著)
吉田猫次郎(著)
李尚昭(著)
春日部蒼(著)
しんぐるまざあず・ふぉーらむ(著)
\1,260
三五館
2007年

▽そして今、私たちが必要とするのは、「その際にどうしたらよいのか?」になった。冒頭に紹介したような人びと[働けませんという人びと]に、「そんなとき、どうするか?」具体的な方法論を提示したい。本書では徹底的にそのことに焦点をしぼった。
 本書に詰まっているのは、「現代ニッポンがどのような時代にあり、どのような課題を抱えているか」ではなく、「そのときにどうすれば、危機を脱出できるか」である。(3p.)

各章のタイトルが、この本の内容を要約したものになっている。


生活保護を受ける:働いていても、働いていなくても受けられる「最強・最終」のセーフティネット
失業保険をもらう:健保と失業保険で最長4年間、働かずに暮らす法
住宅ローン返済をやめる:家は守って、カネは返さず? 借金問題解決・プロのやり方
法律扶助を受ける:おカネのない人ほど法律が必要です。
社会福祉協議会の貸付金を借りる:サラ金には手を出すな! 身近で安全なカネの借り方
児童扶養手当をもらう:シングルマザーのための心強い味方


いずれの章でも「自己責任論」に巻かれるなということと、これらの制度を「利用すべきではない」という気持ちから「利用してもよいのだ」という気持ちになることが大事だと書かれている。

社協の貸付金の章を読んで、3月に、高校を卒業したばかりの子が岡山で人を線路に突き落として死なせてしまった事件を思った。


▽私のように在学中に学費の問題が出てきたような場合だけでなく、これから進学を控えている学生さんやその親御さんにも、進学の最大の壁が「お金」だというのなら、それはまったく心配いらないと断言できます。(175p.)


新聞報道によれば、あの事件を起こしてしまった子も親御さんも、「貧乏で大学に進学させるだけの金がない」「1、2年働いて金をため、国立大学にいけるよう頑張る」という会話をしていたらしいし、高校の担任は「大学に通うお金がない」と言っていったんあきらめたと話しているらしい。

社協の貸付金を思いつかずとも、奨学金とか学費免除とか、問題が「お金」なのであれば、何らかの手だてを、せめて学校関係者は思いつかなかったのだろうか、親御さんも、本人も、なんとかお金を工面できる道を探せなかったのだろうか、と思わずにいられない。

私自身が、入学金免除や学費免除、育英会の奨学金貸与でなんとか学校を出たから、よけいにそう思う。

役所方面の「申請主義」が、うらめしく思われる。「お金」のことで、進学をあきらめないで!と、もっともっともっと広報して周知してほしい。

この事件が報道されるときに、そういうことがもっと知らされてほしいと思う。

希望の仕事論


希望の仕事論
斎藤貴男
\756
平凡社新書
2004年

図書館で、書架にあるはずの本が見当たらず、あちこち探しても見当たらず、なんか別のを借りようと、目についたので借りてきた本。

冒頭の一章「会社で働くことの現在」は、労基法"改正"で問題となった「解雇のルール化」の話から始まる。

「フリー労働者の実像」「コンビニ経営は独立の近道か」「起業家に学ぶ」と3つの章が続いたあと、斎藤自身がフリーになった経緯を書いているのが最終章、さらに付章として、起業家たちに取材した「伸びやかな仕事」がある。

これが4年前の本。それからこっち、「会社で働くこと」や「フリー労働者の実像」はどうなってるか…と考える。

残念ながらあまり明るくないが。

お世話になります バツイチお母さん奮闘記


お世話になります バツイチお母さん奮闘記
七草セリ
\714
ベネッセコーポレーション(たまひよコミックス)
1997年

図書館にあるのは、ずーっと知っていたが、今日ふらっと借りてきてよんでみた。


▽むこうがどう言おうと 愛は私が育てるわ
 お母さんと一緒に暮らして良かったって言われるように 私もがんばるし
 それでどんな結果が出ても後悔しない どんな責任も私が負う覚悟なんだから
 だからこの話はこれでおしまいね 心配かけてごめんね (122p.)


きもちのよいマンガであった。

男子のための人生のルール


男子のための人生のルール
玉袋筋太郎(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社(よりみちパン!セ)
2006年

昨晩すぐに寝付けなくて、いったん起きて、お茶をのみのみ、1時間ほどで読んだ。

▽だから、何がおいしいかおいしくないかなんて基準で世の中にある仕事を決めつけるなよ。どんな仕事にも、すごくいいときと、すごく辛いときがある。それが当たり前。自分が「辛いな…」って思ってるときに、人から「ご苦労さま」「ありがとう」って声をかけてもらうことがどんなにありがたいか実際に仕事をしてみたら、必ずわかる。
 だから、人にも声をかけろ。「自分にはできない、大変そうな仕事だからわざわざ声をかける」んじゃなくて、その人を支えているはずの誇りに対して、敬意を払うためにひと言、声をかけろよ。
 それは、いつか必ず、キミにも訪れる「辛いとき」に返ってくるよ。(188p.)



それにしてもこの人の芸名はすげーなー
「たまぶくろ・すじたろう」である。

ひとが生まれる 五人の日本人の肖像


ひとが生まれる 五人の日本人の肖像
鶴見俊輔
\660
ちくま文庫
1994年

だいぶ前に読んだことのある本(たしか持っていた本)だが、見当たらないので、図書館で借りてきた。目当ての「金子ふみ子 無籍者として生きる」ついでに、他の章も読む。

中浜万次郎、田中正造、横田英子、金子ふみ子、林尹夫[ただお]の5人がとりあげられている。かすかに読んだおぼえがある。

金子ふみ子は、新聞配達や露天商人の手伝い、女中奉公、酒場のてつだいなど仕事を転々としながら、夜の学校に通っていた。ある頃から、夜の学校に行くことがいやになってきたらしい。

▽時間がきても学校に行こうとしないふみ子をあやしんで、友人の鄭が、
 「おや、あなた学校は?」
と注意した。
 「学校? 学校なんてどうだっていいの」
 「どうしてです。あなたは苦学生じゃないんですか」
 「そう。もとは熱心な苦学生で、三度の食事を一度にしても学校は休まなかったのですが、今はそうじゃありません」
 「それはどうしてです」
 「別に理由はありません。ただ、今の社会で偉くなろうとすることに興味を失ったのです」
 「へえ? じゃ、あなたは学校なんかやめてどうするつもりです」
 「そうね。そのことについて今しきりと考えているのです。私はなにかしたいんです。ただ、それがどんなことか、自分にも、わからないんです。が、とにかくそれは、苦学なんかすることじゃないんです。私には、なにかしなければならないことがある。せずにはいられないことがある。そして私は今、それをさがしているんです。」
 自分ひとり家の前の桜の木の根本にうずくまって、遊び友だちが手を繋いで学校に通うのを見送っていたころから、ふみ子は、学問をして偉い人になることをただ一つの目標として生きてきた。いつも学校の先生からいじめられてきたが、自分はその、先生の教えたと同じりそうのもとで生きてきたことになる。その理想が急に色あせた。
 「私は今、はっきりとわかった。今の世では、苦学なんかして偉い人間になれるはずがないということを。いや、そればかりではない。世間でいうところの偉い人間ほどくだらないものはないということを。人々から偉いといわれることになんの値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。」(pp.218-219)

無籍者だったふみ子は、当初学校に行けなかった。


解説を赤川次郎が書いていた。

▽現代では、貧しいこと、不幸なことは「可哀そう」なことと同じである。けれども少し前には必ずしもそうではなかった。
 もちろん、病気の子供を医者に診せられないとか、冬に暖が取れないといったことは辛いものだ。だが、たとえば第二次大戦後、日本中が貧しかったころにつくられた日本映画の数々を見ると--渋谷実の「本日休診」とか、成瀬巳喜男の「おかあさん」とか--そこでは貧しさは単に辛いものではない。できれば何とかしたいのは当然だが、一方、良心に恥じない生き方をするには「貧しくいるしかない」、という気分がある。
 貧しくても、恥ずかしいことはしてないぞ、と胸を張っている姿があって、心を打つ。
 それは、「高度成長」とか「所得倍増」とかが、文句無しに「いいこと」とされる前の話だ。--思えば、日本はそこから少しずつおかしくなってきた。
 高い志というものが見失われて、みんなが「商売優先」になってしまった。
 こういう時代には、たとえば「徳川家康」をサラリーマンが出世の参考書にするなどという、冗談のようなことが起る(時代も国際環境も全く違うのに!)。(252p.)

この本は、文庫になるまえ、1972年に「ちくま少年図書館」の一冊として出た。
「ちくま少年図書館」!
『君たちの生きる社会』や『生きることの意味』、『不良少女とよばれて』など、おそらくねらうところは、今なら「よりみちパン!セ」くらいなのだろうが、もっと活字がみちっとつまった本だった。けっこう読んだなーー

(2008年4月16日読了)

不登校、選んだわけじゃないんだぜ!


不登校、選んだわけじゃないんだぜ!
貴戸理恵(著)
常野雄次郎(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社(よりみちパン!セ)
2005年

不登校とか登校拒否には「選択」理論がある。
行けなくなったのではなくて「行かなかったんだ」というやつ。
学校に行ってもいいし、行かなくてもいいというわけだ。

この「選択」理論で救われた当事者や親も多いという。
とくに親にとっては、子どもが「選んだ」ことを、肯定しようというわけだ。

けど、自分で「選んだ」と思ったことは一度もない、と貴戸さんも常野さんも書く。
それがタイトルにもなってるんだろう。

「選んだ」といっても、世間さまには、圧倒的に「学校に行かない」ことについて否定的なイメージがある。
それをとっぱらうために「明るい登校拒否の物語」が語られるようになった。

常野さんはそのハッピーエンドの物語の起承転結を、こう説明する。

▽起:「学校に行くのがつらいよー」
 承:「学校に行けなくなったらもっとつらくなっちゃったよー」
 転:「学校に行かなくてもOKと気づいたら楽になった! 毎日楽しくてしょうがない!」
 結:「現在は社会人として立派にやっています」
(pp.135-136)

昔は登校拒否だったけど、今は立派にやっている、という人もいるらしい。でも、それは少数派だという。ひきこもり、病気、暴力などのハッピーエンドとはほど遠い状態にある人も少なくないという。そういう人たちは、見せたくないから、ハブかれているのか?うっかり忘れられたのか?

「明るい登校拒否の物語」は、ほんとうに登校拒否を肯定してるんだろうか?と常野さんは書く。
「選択」という罠じゃないか、と書く。

「わかってたまるか!」からのスタートだと貴戸さんは書く。


左ページの左隅が、ずっとパラパラアニメになっているのです。ふふふ


新・子どもの虐待 生きる力が侵されるとき


新・子どもの虐待 生きる力が侵されるとき
森田ゆり
\609
岩波ブックレット
2004年

1995年に出たブックレットの全面改定版。2000年の児童虐待防止法制定、2004年の大改正をふまえた内容になっている。

虐待されている子に出会ったときに、まず「聴く」こと、子どもの感情や気持ちに共感的に聴き、気持ちを認めることが、一つ目のステップになる。

▽子どもの話を分析したり、査定したり、あなたの意見を言ったりすると、子どもは自分の気持ちを話せなくなってしまいます。子どもの気持ちを語らせて、「そうか。そう思っているんだ」「それはつらいね」「それはこわかったね」と声をかけながら受けとめ、ただ聴いてあげるだけです。共感的に聴くことは同感することでも、同情することでもないので気をつけてください。(80p.)

赤いコートの女 東京女性ホームレス物語


赤いコートの女 東京女性ホームレス物語
宮下忠子
\1,680
明石書店
2008年

先日読んだ『TARABA・夜行列車に乗る』の著者・宮下さんの本。

▽一九七五年から東京都城北福祉センター(現、財団法人城北労働・福祉センター)で医療相談員として働いた。生活相談をしたり緊急患者を乗せた救急車に添乗する仕事では、相手はほとんどが日雇い労働をする男性であった。
[中略]
 たまに現れる女性の生活相談者の主訴を聞いた上で、該当する福祉事務所に措置依頼書を書いて向かわせるのだが、翌日、再び路上で当人に出会いがっかりすることもあった。路上にいる女性には矯正的な要素の強い施設入所という保護のあり方が馴染めない人もいた。それは、根底に女性差別があることを敏感に感じ取った彼女たちの、社会構造からの逃走なのではないかと思えた。生活苦から、買い物籠をぶら下げた主婦や若い女性が夕闇迫る街灯の下に立つと、町民は法を犯す者として排除する。まるで街のゴミを排除するかのように。(pp.10-11)

医療相談員を20年務めたあと、宮下さんは家庭の事情で退職する。その後は、ボランティアとして路上生活者に関わってきた。

▽二〇〇二年、「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が十年の期限付きで制定された。しかし、実際の対象は男性に限定していた。後に「女性ホームレスに対しては、性差を配慮したきめ細かな自立支援を行うとともに、必要に応じて婦人相談所や婦人保護施設等の関係施設とも十分連携する」という文が追加された。私は前向きに受け止めた。それを機に個人としてのボランティア活動を、女性の路上生活者への支援に向けていった。(p.16)

路上の巡回相談で出会った人たち、なかでも女性の話を、宮下さんは聴き続けてきた。

▽男性の路上生活者に比べると女性は少数だったが、抱える問題は皆、根底に貧困による家庭崩壊があった。三人の女性ホームレスの話にもあったように、一人で生きていくために、行き着く先には、自分の身を売るという手段があった。だから、男性の落ち込みに比して、女性の中には余裕を感じさせる者もいた。だが、高齢の女性ホームレスになrと、事は深刻である。体力の弱った身で収入も無く、どうやって生きていこうというのであろうか。ダンボール集めや空き缶集めは、体力を必要とする。千円を稼ぐには夜通し歩いて探し続けねばならない。(pp.186-187)

人は、人と人との網の目のなかで生き、そのなかで生きのびられると思った。

▽どのような人から相談を受けても、自立と回復への確かなプログラムを持ち、それを実践していく連携やネットワークを作り出す事は、福祉事務所のケースワーカーとして大切な役割だし、さらに地域社会にケア力があれば、どんな障害を持った人も自立して生きていける。(324p.)

宮下さんには、いくつも本がある。
もう少し、読みたい。
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ