読んだり、書いたり、編んだり 

C級フルーツパフェ


C級フルーツパフェ
吉川トリコ
\1,575
光文社
2008年

吉川トリコの名前だけは、なにかで知っていたけど、書いたモノを読むのはたぶん初めて。
8つの小説が入った、短篇集。

だんだん笑える。
人間観察力はなかなか。
おもしろかった。

すでに出ている小説があと4冊あるようなので、ほかのも読んでみよう。

おいしく・生きる 歯医者も配偶者も、選び直す勇気を!


おいしく・生きる 歯医者も配偶者も、選び直す勇気を!
岡田弥生
\1,050
文芸社
2002年

『むし歯ってみがけばとまるんだヨ』の岡田さんの、前の本を図書館で借りてみた。
内容の一部は、『むし歯って…』とダブっているが、こっちの本はサブタイトルにもあるように「歯医者も配偶者も、選び直す勇気を!」というところに力点がある。

フランスのシャンソンにはこんなのがあるそうだ。

▽人生は歯のようなもの
 充実した日々を過ごせるのを人はあたりまえだと思っている
 毎日なんでもかめるのをあたりまえだと思っている
 けれど、ある時突然、歯もこわれはじめる
 人生も同じ。むずかしいことに出くわす
 そのときになってその大切さに気付く
 そして、あわてて救おうとこころみる
 もとどおりにすることのむずかしさに、ためいきをつく
 抜かずにすますには苦労の連続
 まるで人生のように
 ((c)Boris Vian,Editions Majestic 訳:石川烈) (29p.)

道遠くとも 弁護士相磯まつ江 法律を、弱者のために使おう


道遠くとも 弁護士相磯まつ江 法律を、弱者のために使おう
川口和正(編著)
\1,890
コモンズ
2008年

こないだ読んだ『迷える娘と励ます母の往復書簡』の、母のほう、1922年生まれの弁護士・相磯まつ江の、弁護士になる以前の日々と、法律家を志して司法試験に合格し、弁護士として担当したいくつもの事件について、その訴状や弁護の内容をまとめたもの。

砂川基地拡張反対闘争や朝日訴訟のほか、国会乱闘事件、安保と在日米軍問題、働くものの暮らしを守った訴訟、男女平等の実現のために動いてきた内容は、教科書や資料集で「こんな事件がありました」と読むだけでは分からないことがいろいろあり、その訴訟の場で弁護に立ち、あるいは考え方を論じてきた相磯まつ江の熱さが見えるようで、こういう権利獲得のうえに、今があるのだなーとあらためて思った。

まつ江と姉妹たちは、女に教育は必要ないと言われた時代に、父の考えや行商で学費を稼ぐという母の知恵と実行力によって、みな高等女学校へ進んだ。
まつ江はさらに大学へ行きたいと願ったが、父には「女にこれ以上の学問はいらない」と言われ、いったんは教師として勤めるが、大学へ行きたい思いはやみがたく、一方で教師の仕事は自分に合わないと思い、職を辞した。

その後、一度目の結婚では追い返され、二度目の結婚では(当時はそんなものだったのかもしれないが、今からみれば)壮絶なヨメいびりで追い出される。「ヨメは家具と同じ、気に入らなければ取り換えればよい」と言う姑であり夫だった。
まつ江には自分の経験を含めて書いた、半自伝的な『結婚と離婚』という本があるという。

まつ江はふたたび教職をつとめながら、夜学の高校、短大と通ったのちに、大学の法学部に編入学し、法律家をめざして司法試験にむけて一年余りの勉強に励んだ。


娘との往復書簡を読むだけでは、こんな半生は分からない。
今も現役の弁護士として活動する人の若い頃の「勉強したい」という思いの前にあった壁、二度の結婚でくるしめられたこと、それは「女だから」ということだった。

そういう世代の人にとって、新しい憲法や新しい民法は、どれほど輝いてみえただろうか、と思わされる。

(3月30日読了)

君は永遠にそいつらより若い


君は永遠にそいつらより若い
津村記久子
\1,470
筑摩書房
2005年

こないだ(ロシア人の名前か?)と思ったりした『カソウスキ…』の作者の別の本を図書館で見かけたので、借りてみた。太宰治賞をとったやつで、もとの題は「マンイーター」だったそうなのだが、単行本になるときにこのタイトルになったらしい。

出版社の紹介には、
「身長175センチ、22歳、処女。いや、「女の童貞」と呼んでほしい―就職が決まった大学四年生のだるい日常の底に潜む、うっすらとした、だが、すぐそこにある悪意。そしてかすかな希望…?第21回太宰治賞受賞作。」


読んでみると、角田光代の関西弁バージョン、という感じ。
タイトルは、最後の最後のほうの本文から取られていることがわかった。

(3月30日読了)

あのころ、先生がいた。


あのころ、先生がいた。
伊藤比呂美(著)
100%ORANGE(装画・挿画)
\1,260
理論社(よりみちパン!セ)
2007年


近所の図書館が月末の資料整理休館だったため、職場の本棚から休憩時間の共に借りる。
よりみちパン!セも、本によってはもっと字が詰まっていて厚かったりするが、これは字はほどほどの大きさで、さらさらと楽しく読める。

伊藤比呂美が、かつて習った先生のうち、おぼえてる人について書いたもの。
これが、かなりオモロイ。

私も、「おぼえてるセンセイの記」でも書こうかなと思った。
いやー、おもしろかった。

あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル 「生活保護」の申請の仕方から受給までのすべてがわかる


あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル
 「生活保護」の申請の仕方から受給までのすべてがわかる
湯浅誠
\1,260
同文舘出版
2005年

湯浅さんの本をもう一つ借りてきた。
「生活保護」の受給に値するであろう「生活困窮者」はかなりたくさんいるはずだが、各地の福祉事務所では“水際作戦”といって、保護を申請させまいという努力が日々おこなわれている、とニュースで度々聞く。

あるいは、「もう病気もよくなったでしょ、仕事探せるでしょ」とばかりに、辞退届を書かせ、それで保護を打ち切ることも、少なからずおこなわれている、と聞く。

▽働いたときの最低賃金が決まっているように、生活する最低基準も実は決まっている。これが「生活保護基準」。国が定める最低生活基準だ。これを下回っていれば、あなたは「客観的に見て」生活困窮状態にある。(14p.)

そういう生活困窮状態にある人がどれくらいいるか。ある試算によれば、この本が出た2005年で、539万人くらいが、最低基準レベルで生活している、と湯浅は書く。

「どうかしちゃった生活」を立て直す一助であるはずの生活保護が、なかなか受けられない。福祉事務所の“水際作戦”だけでなく、生活に困っている人たちのココロの内に、“自己責任”のプロパガンダが根づいてしまっている。

▽貧困層が静かに広がっている今の日本社会の問題を、生活保護で解決できるとは思っていない。生活保護だけでは、「生活」は「保護」できない。にもかかわらずこの本を書いたのは、現状がさらに厳しいからである。今いる地点から出発する他ない。
 多くの生活困窮者たちが、二言目には「自分が悪い」と言う。数十年かけて構築されてきたプロパガンダが見事に実を結んでいる。(中略)
 生活困窮者は、今後ますます増えていく。社会の辺境に追いやられた「マイノリティ」(野宿者、外国人労働者、DV被害者、障がい者、フリーター、ニート、中高年フリーターなどなど)が多数者(マジョリティ)になる日が、いずれ日本にもやってくるのではないか。そのときでも私たちは、依然として「自分が悪い」と言い続け、より弱い物を蔑視することで自分を支えようとするのだろうか? 「負けない強さ」がほしい。(213p.)


「そういうことになっている」という役人の物言いに、だまされるわけにはいかない。

日本の行く道


日本の行く道
橋本治
\777
集英社新書
2007年

いつもながら、くどくどしたテキストであるが、橋本治の目のつけどころは、やはりスルドイ、と思う。

1960年代以前に戻ってしまえ、と言うのである。
どういうことか?

それを、この新書で、ボリュームに限りのある新書で、そのボリュームの範囲内で、橋本治はくどくどと語る。

▽…官僚というものは、「国家のため」という前提に立って、【国民に代わって考える】のです。
 そんな委任状を渡されたわけでもないのに、官僚は、「国民に代わって考える」をします。そんなことをされたら、国民の出番はありません。「でもそれでいい」とするのが、官僚なのです。
 私はただ、「日本の政治のあり方を辿れば、そういうことにならざるをえない」と言っているだけです。官僚というものは、近代化のその初めから、「国家のあり方を考える」という方向で訓練され、「国家のあり方を考えている公僕」というあり方をしているのですから、国家のあり方を考えるエキスパートなのです。国民に「官僚を従えるだけの思考能力」が宿らない限り、官僚は、自分達の考えと異なるすべての考え方に対して、「そういう考え方もありますね」と慇懃に拒絶し、鼻先で笑うことも可能なのです。つまり、「国民が成熟しない限り、官僚は不祥事の仕放題である」ということでもありますが。(pp.194-195、【】は本文では傍点)


東京大学というものが、「国家に須要なる人材」を育てるための、官僚養成のための大学として発足したことを、教育史のかなたのほうから思い出す。


▽学校ではおそらく、「貿易」というものを、「国同士で、必要のある物をやりとりする」というふうに教えるでしょう。「物の売買」も、同じように理解されるはずですが、でもこれは、現実のありようとは大きくかけ離れています。現実には、「いらないかもしれないけど買え。これは必要なはずだから、これは便利であるはずだから買え」ということが、売買の原則になってしまっています。どうしうてそういうことになってしまったのかといえば、産業革命によって「必要以上の物を生産する」が可能になって、その態勢が今でも続いているからです。

 「必要か不要かを蒸しして、“ほしい”と思ったものはどんどん買え。なぜならば、個人消費こそが、景気の動向を左右するのだ」という考え方は、この産業革命以来のあり方をストレートに受け継ぐものです。だから、「もうそんなのはいいなじゃいか」という成熟した声が、地球の上に生まれたっていいのです。「自国内での必要量」をオーバーするような量を生産して外国への輸出に充てる--そして、「輸出によって儲ける」という国家利益を実現する。産業革命というのはそのためにも必要とされ、今もまだこの状態は続いていて、「世界の工場」になった国は「生産すれば儲かる」の一本槍で、ガンガン二酸化炭素やその他の有害物質を排出して、地球のあり方を危うくしているのです。ほんとに、「もういいじゃないか」です。

 産業革命は、「機械化して大量生産を実現し、コストを下げる」ということを可能にしました。そして、このことが実現されてしまえば、「更なる機械化、合理化によってコストを下げる」という競争が起こります。もう「産業革命」という言葉は使われなくなって、後を引き受けるのは「技術革新」という言葉ですが、でも、「自国内の必要量を超えて生産する」という産業革命当時のあり方は、まだそのままにつづけられているのです。

 「果たして、そこまで機械化、合理化を実現してコストを下げ、自国内の必要量を超える生産を続ける必要があるのか?」という問いは、「それをしなければ他社や他国との競争に負けて、我が社は沈没する」という【現実的な声】によって却下されますが、「そこまでして、本当に必要なのかどうかよく分からなくなってしまった“物”を作り続け、売り続ける必要はあるのか?」という問いは、もうあってもいいのです。なにしろ、その「過剰」かもしれない生産と消費の繰り返しが、地球の温暖化を招く原因になっているのです。「地球の温暖化は、産業革命以来の人間の【生活活動】の結果」というのは、こうしたことを指すのです。

 産業革命は、「大量生産によってコストを下げる」ということを可能にして、そのことによって、ずーっと「大量生産によってコストを下げる」ということを持続させ加速させて来たのです。産業革命は、「産業革命を推進させ続けなければならない理由」まで生み出して、我々はそれに振り回されているのです。それで私は、「もう一度その初めに戻って、“産業革命を導入した”という選択肢のあった歴史を、現在のものとして考え直してもいいのではないか」と思い、こんなくだくだしい話を続けているのです。(pp.224-226、【】は本文では傍点)


もう、ホンマに、「もういいじゃないか」ですな。

女ひとり寿司


女ひとり寿司
湯山玲子
\1,470
洋泉社
2004年

とあるサイトで、この本が紹介されていて、ちょちょいのちょいと近所の図書館の蔵書検索すると書架ありだったので、早速借りてきた。

風呂に入って寿司をつまんでるような表紙である。

タイトルにあるように、女がひとりで寿司屋で食べてみた本、である。
女がひとりで行っても大丈夫な場所は増えてきたものの、ホモホモ男子結社ぶりを高級寿司屋は完全に継承しているといってもよい、と著者は書く。つまり、高級寿司屋は、このご時世、まだギリギリのところで、男のノウハウのほうが女に勝り、男のイバリが効く分野なのだと。

▽この本は、一見グルメ蘊蓄本の体裁を取っているが、寿司屋という場になぜだか異様に立ち上がってしまう、私たちの住んでいる社会や人間の性、男と女の関係についての観察&考察ノートとして読んで楽しんでいただければ、ホントに嬉しく思います。(27p.)

なかなかおもしろかった。
この本のもとになった連載が1997~2003年頃に書かれている。

女ひとり寿司、いまはどうか。

惜しまれるのは、誤字の多さ。
濁音であるべきところが半濁音とか、変換ミスとおぼしき誤字とか、けっこう沢山ある。
いちばんすごいのは、寿司屋の店名が違っていることだ。冒頭に出てきた「銀座 久兵衛」。目次も本文もずっと「銀座 久兵衛」だが、いきなり「あとがき」で「銀座 九兵衛」になる。ええええ。しかもあとがきの文中ではずっと「銀座 九兵衛」が連呼される。

銀座 久兵衛
http://www.kyubey.jp/

きっと「銀座 久兵衛」だ…九じゃなくて久だろう。

スキップ


スキップ
北村薫
\780
新潮文庫
1999年

17歳の一ノ瀬真理子が、レコードを聞きながらウトウトしていたら、目が覚めてみると、42歳の桜木真理子になっていた。昭和40年代初めだったはずが、もう昭和ではない時代になっていた。父も母も亡くなっていた。「父さん!母さん!」

心は17歳の一ノ瀬真理子のまま。42歳の《わたし》には17歳の娘と夫がいると言われても、そんなにすぐについていけない。

17歳から42歳までの《わたし》はどこにいったのか。

17歳の一ノ瀬真理子の心で、42歳の桜木真理子の体を生きる。

このあと『ターン』、『リセット』と続く“時と人”シリーズの一冊め。

(3月25日読了)

景観にかける 国立マンション訴訟を闘って


景観にかける 国立マンション訴訟を闘って
石原一子
\2,625
新評論
2007年

石原一子、といえば高島屋。サッチャーみたいなことを言う本(『男のように考え、レディのようにふるまい、犬の如く働け』)を訳していた。

図書館の新着本の棚にしばらく並んでいて、たまにぱらりと眺めながら、リクエスト本がたまっていたのでなかなか借りられずにいた。

「景観利益は法的保護に値する」と最高裁が初めて判断した、国立のマンション訴訟。メインはその話だが、1章と2章(全体の4分の1ほど)は、著者の生い立ちの話である。個人名で出したのだから(著者は、このマンション計画がもちあがった際につくられた「考える会」の代表)、そういうのもありかなと思いつつ、「生い立ちの話」と、うしろの「マンション訴訟の話」の落差が大きいように思え、(生い立ちは別に書いて、こっちはマンション訴訟の話だけにすればよかったのでは…)と思うのであった。どちらも、それなりに興味深い内容ではあるので。


いやーー、ほんまに、司法・立法・行政の三権分立はあるのか?

マンション開発業者(明和地所)は、当初から付近住民に敵対的な態度をとり、住民説明会も開こうとせず、駆け込みで建築確認をとって(それも社員や弁護士を送り込み、国家賠償をチラつかせて行政を脅してのことらしい)、工事を始める。

住民たちは、地権者たちとともに高さ制限についての地区計画の素案をつくり、一部の地権者からは良好な住環境を守るためにと20メートルではなく、あえて10メートルに下げた規制の申し出を受けて、国立市に提出。一部修正のうえ、住民発意の地区計画は公告縦覧が開始された。

これで、片がついていれば、この本はうまれなかっただろう。

裁判にもちこまれることになった。
争点は、住民の景観権(景観利益)の確立、景観を守る(マンション建設を阻止)ための地区計画・建築条例の適法性、建築基準法三条二項の解釈、明和地所の企業姿勢、国立市に明和地所に対する対応、であった。

読めば読むほど、「恥ずかしくないのか!」と言いたくなる明和地所や行政の態度。一部の裁判官も、現地さえ見ず、事実誤認の上に判決を出した。また国立の自民党議員は、ことごとく住民運動に抵抗しつづけ、臨時議会の開催を拒否したり、議場を退場したりした。
「うまい汁」を吸う者たちは、そっちはそっちでつながっているのである。

7年近くに及んだ裁判もあり、途中で「もうだめなんじゃないか」と諦めそうになる人もいたという。そういう「デモンの声」に負けずに、運動を続けていくには、何が必要か。
この本はそういうことも書いていて、参考になる。


全国で似たようなことはたくさん起こっている。
そこから、全国ネットができた。

▽…突然のマンション計画に見直しを求めても、業者の言い分は法律を守っているのだからどんな建物を建てようと自由だ、というものです。自治体に訴えても対応は鈍く、住民の意向を聞き入れることはほとんどありません。このような開発行為を予防する方法はないのでしょうか。あります。それは、住民が自分たちのまちの景観は自分たちで守るという強い意志と自治体任せにしない住民の姿勢こそが開発業者による景観破壊を未然に防ぐもっとも確実な近道です。「景観市民ネット」はそのための知恵を出し合うことを第二の柱として計画しています。(景観市民運動全国ネットの「活動の柱」、271p.)

景観市民運動全国ネット
http://keikannet.web5.jp/

(3月25日読了)

地上八階の海


地上八階の海
角田光代
\1,575
新潮社
2000年

『八月の蝉』を読んで、なにか読んでないのはないかなと図書館の書架をながめていたら、タイトルも知らずにいたのがあったので借りてきた。表題作と「真昼の花」の2編が収録されている。…すでに文庫化されていて、そっちは「真昼の花」をタイトルにしたらしい。

「真昼の花」は臭いがただよってきそうな話。
「地上八階の海」は、息子夫婦の住む高層マンションにうつってきた母親の姿が、寂しい。

(3月25日読了)

旅を数えて


旅を数えて
川本晶子
平田俊子
中島京子
前川麻子
松井雪子
篠田節子
\1,680
光文社
2007年

こないだ川本晶子の『刺繍』の話が出てきたマクラには、この『旅を数えて』があったのだが、それも私にはまったく記憶がなく、(そんな話、したっけなー)と思っていた。
図書館でぶらっとしてたら、その『旅を数えて』があったので、借りてみた。

6人の書き手による、小説集。

このタイトルから、旅行記のような小説をイメージしていたが、読んでみるとだいぶちがっていた。「どこか」へ行った話や、「どこか」から来た人の話、「どこか」で出会った話だったりもするので、あながち的外れなイメージでもないのだろうが。

川本晶子「ニケツ」
平田俊子「いとこ、かずん」
中島京子「ポジョとユウちゃんとなぎさドライブウェイ」
前川麻子「ニューヨークの亜希ちゃん」
松井雪子「道くさ、道づれ、道なき道」
篠田節子「ライフガード」


「はるかな街で、目醒める私…旅をすることは小説を読むことに似ている。…」 と、出版社の紹介には書いてある。

(3月24日読了)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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