
うちへかえろう
小川内初枝
\1,470
小学館
2008年
装幀だけみると、絵本かなと思わせる。
大阪市のど真ん中にある1DKに住む野村圭、35歳。派遣社員としてクレジットカードの申込書の不備欄を照会して埋める仕事をしている。ある日、書類のなかに十数年も生き別れ状態の姉の名前をみつけて、両親にも連絡し、逡巡のあげく、姉に電話したら、つながった。
電話でときどき話す関係がしばらく続いてから、圭と姉は14年ぶりに会う。
姉が思い出す子どもの頃のおそろしかった思い出は、母親が育児ノイローゼのようになったため、伯母のところへ預けられにいくときにクルマが崖から落ちかかったことだ。
▽「…それにしても、お父さんって、昔から運転が下手やったんやね」
下手もいいところよ、と大きく頷いてみせた姉は、そのまましばらく黙り込み、そして、
「それでも人の子の親っていうだけで、まともにみられるのかな」と呟いた。話の脈絡がつかめず、私は姉の様子を見つめるばかりだった。
「私らはいったい何なんやろう。子どもを産めへんのは半人前や、って言われるくらいならまだええよ。せやけど、少子化だの何だのって、まるで罪人扱いされることもあるやん?でも、私が子どもを産んでも、私みたいな、誰にも愛されへん歪んだ子が育つに決まってるねん。どうやて愛したらいいのか分かれへんねんもん、お母さんと同じことを繰り返すだけやわ、そんなん、子どもがかわいそうなだけやん。その歪んだ子が、誰か殺してみ。人口はプラスマイナスゼロやんか。いや、私自身が自分の子どもを殺してしまうかもしれへん。せやから私は、自分の良識でもって子どもを産めへんことに決めてん」(p.141)
姉が指摘する、母親についての殺伐とした思い出はこんなものだ。
▽そうなのだ。私たち姉妹には共通の、殺伐とした子どものころの思い出がある。風邪を引くたびに母から、「体調管理は自己責任の問題」だと、とても子どもに浴びせる言葉とは思えないような小難しい言葉で罵られたり、「私にうつったらどないするの?」と責められたりしたものだった。
「せっかく育ててやってるのに」
最後に決まって言われるのはこの言葉で、ことに姉は、何につけても母のその言葉に責めたてられていた。ある日のこと、学校から帰ってきた姉に、母が「お風呂掃除をしなさい」と言いつけた時のことだ。私は居間のソファに座って夕方のバラエティー番組を見ていた。
「ちょっと熱っぽいから、今日は無理」
と、姉は珍しく母に逆らった。目の前のテーブルで年賀状を書いていた母の手がぴたりと止まり、顔つきがみるみる変わってゆくのが分かった。
「それなら、この家から出て行きなさい。せっかく育ててやってるのに」
母の怒鳴り声に弾かれたように、居間の戸口に立っていた姉が、ばたばたと走り寄ってきて、私たちの目の前に仁王立ちになったのだ。
「お、お母さん」
姉の声はぶるぶると震えていた。
「何よ」
「日本の女の人の平均寿命は八十くらいやろ。お母さんが私を育ててくれた年数と同じだけ、私もお母さんの老後の面倒を見るから。二十年育ててくれたら、八十から二十引いて、六十から面倒見る。二十二年育ててくれたら、五十八から面倒見る。私も義務やと思ってお母さんの老後の面倒見るから、お母さんも義務やと思って私のことを育ててよ。いちいち、育ててやってるなんて、言わんといて」
それだけを一気にまくしたてると、姉はわあっと声をあげて泣きだした。おそらく、姉が前々から懸命に考えていた言葉なのだろう、と私は思った。(pp.78-79)
お姉ちゃんと妹の話でもあるし、家族の話でもある。