読んだり、書いたり、編んだり 

ANIMALS+


ANIMALS+
三沢厚彦
\2,730
求龍堂
2007年

三沢厚彦「ANIMALS+」展が巡回中。今は伊丹市美、次はふくやま美。伊丹の前には高崎美、北海道旭川美、平塚美であった。

こないだは「ANIMALS+」を見物、さらに三沢と山下裕二のトークを聞いてきた。

おもしろかった。
「ANIMALS+」展の図録は、美術館でしか買えないものではなくて、一般流通に乗っている本だった。

ので、図書館で借りてきて眺める。
巻末には酒井忠康(美術評論家)、中川李枝子、森山大道(写真家)との、3つの対談が収録されている。
これもおもしろかった。

中川李枝子の子ども(中川画太、絵描きらしい)と三沢の兄が同級生だったらしい。

予定日はジミー・ペイジ


予定日はジミー・ペイジ
角田光代
\1,680
白水社
2007年

マタニティ日記のかたちで書かれた、小説。
もともと、最後の部分だけを、正月の新聞に「掌編小説」として載せたら、随筆(事実が書かれている)と勘違いされてあれやこれやとお祝いが送られてきたという。
そこから、その最後のところに至るまでを遡って小説に書きませんかという話になって、できた小説、だそうだ。

できてしまったけれど、夫のように飛び上がってやったあというほど喜べない私。
「プレママクラス」が自己啓発セミナーみてえだ、と思って引いてしまう私。
その私と共感できる佐伯さんや、サイトを通じてメールを送りあう「きのうちつやこ」さんの存在。

おもしろかったなー。

初版106ページに誤字発見。

妊婦バンツ → 妊婦パンツ

お仕事がんばります 自閉症の息子と共に 3


お仕事がんばります 自閉症の息子と共に 3
明石洋子
\2,100
ぶどう社
2005年

「自閉症の息子と共に」の3冊目。テーマは「働いて、楽しむ」。中学時代から、徹之さんの就労のイメージづくりをしてきた洋子さん、そして自分の希望を表現し、それを実現してきた徹之さんの話。

▽私は、コミュニケーションに障害のある徹之の「思い」を育て、その意思を確認するために、楽しい経験を積み、できるだけ多くの選択肢を提示し、その中から「本人が選ぶ、本人が決める」(自己選択・自己決定)を最優先課題にしてやってきました。例えば、幼児期の日々のおやつ、着るもの、遊びに行く先から始まって、少年期・青年期の就学や就労など、本人の大切な生きる道(人生)を、そうやって決めてきました。

 そして徹之が選んだ道は、「高校にいきたい」「清掃局で働きたい」という、それぞれ前例がない、そのつど目の前に厚い壁が立ちふさがる、困難な進路でした。それでも、本人の熱い思いに、周りのみんなが心を動かされ、強力な支援のネットワークになって、徹之は希望通り、高校生にも、公務員にもなれました。(p.12)

徹之さんが定時制高校へ入って、最初に担任を引き受けた小島先生の話がイイ。

▽最初に担任を引き受けてくださった小島吾朗先生は、見事なくらい差別も偏見も同情も持たれてなくて、徹之に「個性豊かな一人の生徒」として接してくださいました。

 人には「同情するより理解してください」と言っている私でさえ、実のところ中学校までは「障害のある子だから」とレッテルを貼っていたようで、徹之を常に人から面倒を見てもらう立場に置いていたように思います。本人がしたいことも、「かわいそう、大変そう」と私が止めたこともあります。

 ところが小島先生は、徹之を宿泊を伴う山行にも参加させてくださいました。私は、手がかかっては申し訳ないと付き添いを申し出たのですが、「徹之君本人が『誰かついてきてほしい』と言っているのですか?」と尋ねられ、「付き添い、いりません」と徹之の意志を確認され、「山の仲間たちがいますから心配しないでください」と力強くおっしゃってくださいました。私は感激!しました。

 《今までは、「付き添いなどいらないのではないかな?」と思う場面でも、先生方は不安いっぱいで、ほとんどの場合、私が付き添うという条件で、やっと参加が許されるということがほとんどでしたから》

 しかも当日、天候が不順になり、私は皆さんの足を引っ張るのではないかと心配になり、「徹之の参加は見合わせましょうか?」とお聞きしました。すると小島先生は「徹之君自身が不安に思っているのですか?」と、本人の意思を確かめられました。徹之はもちろん「行きます!」です。「では予定通りでいいですね」と、小島先生は他の生徒と同じ扱いをされました。

 私は「本人の主体性を認めるって、こういうことなんだなぁ」と感心しました。(pp.92-93)

スピリチュアルにハマる人、ハマらない人


スピリチュアルにハマる人、ハマらない人
香山リカ
\756
幻冬舎新書
2006年

図書館でみかけたので借りてみた。
「スピリチュアル」は流行りらしい。
テレビでも高視聴率の番組がいくつかあるらしい。

「スピリチュアル」が現世利益主義で、自分の内面主義で、「自分を変えれば」(そうでなければ、政治や社会をすっとばして、前世とかあの世へいってしまう)という発想をもっているところ、そこがちょっとこわいよなーーと思う。

信じる者は救われるのでしょうが…。

自立への子育て 自閉症の息子と共に 2


自立への子育て 自閉症の息子と共に 2
明石洋子
\1,785
ぶどう社
2003年

自閉症の息子・徹之をどうやって育ててきたのか。ことば・トイレ・偏食・こだわり・お手伝い・お金など、生活に必要な様々な力を育て、しつけてきたときの話。

ふしぎな図書館


ふしぎな図書館
村上春樹文
佐々木マキ絵
\1,500
講談社
2005年

こわー。
謎の図書館話。

ライプニッツ


ライプニッツが図書館のことを「人類の魂の宝庫」などと語っているらしきことを複数の本で読み(『図書館の話』や『ず・ぼん』で)、それが気になって、図書館で調べもの。カウンターでもあれこれと尋ねる。

ライプニッツがそういうことを言っていると書いた本はいくつかあるが、出典がどうもはっきりしない。孫引きなのか、言い伝えなのか、それにしても、どこかに何か手がかりはないのか。

「人類の魂の宝庫」というような表現が、ライプニッツの書いたもののどこかに出てくるんでしょうか?出てくるとしたらどこに?

それであれこれと探してもらった本をいくつか拾い読み。
ライプニッツの、この本のここ、というよりも、たいへん筆まめだったライプニッツの書簡のなかにそれらしきことが書いてあるようだ、というところまでたどりつく。


他館から借りてもらった本の返却期限がきてしまい、全部読み切れないまま、いったん返す。おもしろかったので、また借りるためのおぼえ。

▼佐々木能章『ライプニッツ術 モナドは世界を編集する』工作舎、2002年:

「発想術」「私の存在術」「発明術と実践術」「情報ネットワーク術」の四つの視座から哲学の生きた現場に迫る、という本。ライプニッツの方法に自分も近づいて、それを実践してみたい、そこからライプニッツに少しでも近づきたい、という意欲をもった本。

この本に引用されている「ヴォルフェンビュッテル公図書館の維持を推進するための提案」(pp.220-223)が、“人類の魂の宝庫”に近いようだ。

▼『椎名六郎先生 図書館学論文集』椎名六郎先生顕彰会、1978年:

図書館業界の大物(?)の論文を弟子が集めて編んだものらしい。収録されている論文のひとつ「ライプニッツの図書館活動」のなかに、こんなところがある。

▽…ライプニッツはヒューマニストであっただけに、利用者に対するサービスをもっとも力説し、また実現に努力したのであります。彼は利用の場としては、利用者を必要な資料が、円形に取り囲んでいるような設備を理想としました。図書館を人間の“一般的便覧”、“百科事典”、“全科学の販売店”、“すべての科学の宝庫”と呼び、また“全知の教師”であると強調しています。図書館は“人類の魂の宝庫”であり、“すべての時代の偉大なる人たちとの話し合いの場”であり、そして“一つの建物の中に国民が奇跡的に集まり、読者に対して、自分の選んだ思想を語ってくれる場所である”というのであります。そして彼は“もしも誰かが商業や工業の事業を始めようと希望するならば、その主題を知っている著者は、その人に助言してくれる。もしも町が要塞化されるとするならば、人は計画を得るであろう。また勝利によって発見された要塞の欠陥を知ろうとしたならば、その欠点を読むことができるであろう。またもしもその主題についての、新しい法律が公布されるならば、図書館はその主題についての新しい情報をもっている…”と言っています。この思想は、現代のレファレンス・ワークの根本思想であり、その源流とみることができましょう。[中略]

 …図書館が多くの資料を収集蓄積したとしても、それが利用者に知らされない限り、利用の意欲は怒らないし、図書館は民衆と密着できません。今日図書館は多く館報とか、目録とか、書誌の類を発行して、図書館相互や、利用者の間に配布するのが、すでに常識となっています。これは図書館のPR、たいがい活動、書誌サービスなどといわれ、図書館と利用者を結合する方法であります。ライプニッツは、かつて青年時代に、正しい規則にかなった目録に基礎をおいた「Nucleus librarious Semestralis」(半年間における図書の中心核の意)を、出版しようとし計画しました。それは「本に含まれた人間の知識の便覧目録の刊行(Inventarium Scientiae humanae libris proditae)」の中に段階に拡大するものであり、それはすべての主題が、一定の所で見つけられ、あらゆる科学の普遍的体系を、よく把握できるというのであります。これを利用することによって、学術文化の業績の概要と、進歩の過程や、歴史的発展を、簡単に手っ取り早く、一目瞭然に理解できる仕組みであります。そのようなものが各図書館で行われ、それによって各図書館が主題目録を作成し、その結合から生まれる、普遍的な百科事典の出現を希望していたのであります。彼はそれによって、図書館は学術文化の進展に寄与できると考えていました。このようなものが、利用者に配布されると、利用者は自分の関係する主題、求めようとする主題が、どの本や雑誌の中にあるかを知り、それから図書館に出かけて、その本や雑誌を求め、研究調査すれば無駄な手数を省き、時間的にも、早く結果を得ることができるのであります。今日のドキュメンテーションも、このシゴトを重要な業務としています。この着眼ははなはだ革新的なものであります。こうした情報の書誌活動は、あらゆる図書館が持つべきであると考えます。現在政界においても、こうした情報の書誌活動と奉仕を行っている図書館は、まだ少ないのが現状であります。…

「ライプニッツの図書館活動」
(自家出版として発表 1961.2.15
 一部は図書館界 Vol.12,No.2,No.3所載)

逆立ち日本論


逆立ち日本論
養老孟司
内田樹
\1,260
新潮選書
2007年

「脳内がでんぐりがえる」などとカバーに刷ってある、養老と内田の対談本。これも昨日読んでしまった。

▽内田 信号は、人間が安全に横断するためにある装置ですから、安全に横断できるということがわかっている状況で信号に従う必要はない。その装置や制度はそもそも何のためにあるのかを問わないといけないです。

 養老 人間のためにあるのだからね。
 
 内田 ルールは、人間のためにあるので、ルールのために人間がいるのではないんです。だから、ぼくが赤信号で横断歩道を渡るのを怒る人は、逆に青信号なら車を見もしないで渡り始める。自分はルールを守っていて車にはねられたのだから、悪いのは相手だという言い分が通ると思っているから、周囲の状況を見ない人がいる。「ルールを守らないおまえが悪い」って言える保証があれば、かなり危険な運転もする。ほんとにいるんですよ、自分の方が優先通行権があるからって、交差点に加速しながら突っ込んでくるやつ。法規は人間の安全のために人間が作ったものなんだから、まず人間が自分の安全に配慮しないと。

 養老 法定速度を守って走っています、という人がいちばん迷惑なのですけどね。(p.149、第四章 溶けていく世界:無駄なもの)

▽内田 思想は正しいけれど、実践的局面で、「それって、おっしゃってることと違うんじゃないですか」という方向に行ってしまう人たちがいますね。多文化共生論者に向かって、「多文化共生論って、ちょっとおかしいですよ」と言うと怒るでしょ。自分の意見と違う意見に振れると怒り出す人のどこが「多文化共生」なんだよって思いますけど。

 養老 なんにしても、主張して怒り出す人はダメですね。

 内田 「政治的に正しい」ことを言う人はみんな怒りっぽいですね。ぼくは怒りっぽい人が苦手なのです。怒りっぽい人は相手をするのがめんどくさいんです。エゴをなでてあげないとこっちの話、聴いてくれないから。

 養老 具体的なことに怒りっぽい人は構わないのですよ。「お茶がぬるい!」とか。具体的な解決策がありますから。

 内田 そうか。怒りっぽい人は具体的なことには怒らないんだ。初めて気がつきました。そういえば、お茶は温めればすみますもんね(笑)。(pp.159-160、第五章 蒟蒻問答主義:怒りっぽい人)

▽内田 世界の深さは、すべては世界を読む人の深さにかかっている。浅く読む人間の目に世界は浅く見え、深く読む人間の目には深く見える。どこにも一般的真理など存在しないというのは、究極の反原理主義ですよね。(p.178、第五章 蒟蒻問答主義:蒟蒻問答)

▽内田 おおまじめにフィクションをやっているのだという認識がないとダメなんだ。

 養老 それをいまさら「メディアは嘘をつく」とか「メディアはいい加減だ」とかいってもしょうがない。

 内田 嘘をつくのが仕事なのにね。

 養老 「メディアは嘘をつく」というのは、「芝居は芝居だ」と言っているのと同じですよ。メディア側も「私は給料をもらって報道をしています」と言えばいいことなのに。

 内田 文章を書くときに「カギかっこに入れる」というのと同じですね。「憲法改正」という単語をそのままかっこをつけないで書くと、文字通り「憲法を正しく改める」ということになりますが、憲法「改正」と書くと「あなたは改正とおっしゃるが、はたして正しいといえるかどうか。このあたりのことについてはさらに議論の余地があるのではないですかな」というオープンクエスチョンに持ち込めますからね。「憲法」も「改正」も、それぞれの単語の語義は少しも変えないままに、ただそれにフレームをつけるだけで、問題を論じる自由な視座が確保されて、ものの見え方がずっと開放的になる。「劇場」というフレームをつけるのと同じですね。(pp.232-233、第八章 随処に主となる:「対偶」の考え方)

▽内田 翻訳するとき、原著を日本語のぼくの言語感覚に落とし込めるものもありますけれど、とても手持ちの語彙や語法では手も足も出ないものもある。レヴィナスの翻訳の場合がそうでしたけれど、これはもう新しく別の言語体系を身につけるしかない。…

 …先方の頭の中にお邪魔する。「コンコン」とノックして、鉛筆と原稿用紙を持ち込んで、レヴィナスの頭の中にはいって、そこで仕事をする。自分の日本語での思考そのものをレヴィナスのリズムや息づかいに合わせて拡げてゆく。それを何週間も何ヶ月も続けてやっていると、とりあえず句読点の打ち方の癖みたいなものがわかってくる。…ですから、自分の言語体系を改鋳するというか、拡大するというか、そのためには翻訳というのはほんとうに有効な手段だと思います。

 試験で、英文和訳がありますね。あれは知力を見る上で適切な試験だとぼくは思います。短いものですけれど、翻訳というのは、他人の思考回路や感覚や息づかいに同調する訓練なわけだから、それができるということは、かなり汎用性の高い知的能力が備わっているということがわかると思うんです。(pp.235-236、第八章 随処に主となる:翻訳は裸でするもの)

ずっと好きなこと そして女性クリエイター8人は生まれた


ずっと好きなこと そして女性クリエイター8人は生まれた
マカナブックス編
\1,680
マカナブックス有限会社モンキィボンド
2007年

登場する8人が全員1970年代生まれだった。

図書館戦争


図書館戦争
有川浩 著
徒花スクモ イラスト
\1,680
メディアワークス
2006年

「図書館の自由に関する宣言」が各章のタイトルになった、小説。

つまり

一、 図書館は資料収集の自由を有する。
二、 図書館は資料提供の自由を有する。
三、 図書館は利用者の秘密を守る。
四、 図書館はすべての不当な検閲に反対する。
図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る。

▽公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律として「メディア良化法」が成立・施行されたのは昭和最終年度である。(p.16)

そのメディア良化法に対抗するものとして成立したのが「図書館の自由法」、その内容は「図書館の自由に関する宣言」の章題で、既存の図書館法に付け加えるかたちで成立した。

両法の施行から三十年が経過した正化三十一年が、この小説の現場。

図書館は、良化法特務機関(検閲したり、資料の廃棄を迫ったり)の示威行動に対抗するため、武装するに至っている。

図書館が武装してる話、という大変簡潔な紹介と「おもろい」という話を聞いて、図書館で借りてみた。

たしかにお笑い小説でもある。

巻末の参考文献リストの冒頭は『図書館の近代』(ポット出版)。『ず・ぼん』やひつじ書房、現代書館、本の雑誌社などの本も含め、私が読んだことあるのも多かった。


続編として『図書館内乱』『図書館危機』『図書館革命』が出ている。
それもリクエスト待ち。
はやくまわってこんかなー。

ありのままの子育て 自閉症の息子と共に 1


ありのままの子育て 自閉症の息子と共に 1
明石洋子
\1,785
ぶどう社
2002年

「超多動」の「自閉症」をもつ長男を育ててきた明石洋子さんの記。
その長男・徹之さんは、いま川崎市職員として働いている。

転居して入った新しい小学校の、最初のクラス懇談会で、洋子さんは他の親から「そんな子のために養護学校があると聞いていますが、どうして、この学校に来ているのですか? たとえこの学校に来る理由があったとしても、せめて、うちの子の斜め前の席にいることだけはやめさせてください。席替えをして欲しいです」と言われてしまう。

自分がここで泣いては、「不幸な子を持った、不幸な母親」と同情されても、正しく理解してもらえないと思い、勇気を出して洋子さんはこのように伝える。

▽…確かに障害に対する特別な配慮と指導は必要かもしれません。でも私たちは、それ以上に大切なのは、人間として、子どもとして、あたりまえに家庭で、そして地域で、生きていくことではないだろうかと考えて、この学校を選び、教育委員会も許可してくださいました。

 徹之は自閉症という障害で、現在の医療では治すことができるものではないのです。ですから、そういう学校や病院や施設に預けても、治してもらえるわけではありません。地域の中で生活しながら一つ一つ学習していくしかないのです。それには、子どもを地域社会から、特に家庭から、切り離してはいけないように思います。

 徹之は、毎日一緒に生活している人といる時は安定しています。初めての場所や見慣れない人たちばかりの中に置かれますと、状況がわからず不安になり混乱するため、奇異な行動をとったり、指示も耳に入りません。…

 …少しくらい子育てが大変でも、みんながあたりまえに暮らしている地域の中で、一つひとつ経験を積んで、社会のルールや人との付き合い方など、自立に必要なことを学習させていきたいと願っています。

 …徹之は、まわりの状況を認知することが苦手で、模倣もしにくい子どもです。それでも耳からよりは目からのほうが情報が入りやすく、それに大人よりは子どものほうが模倣する相手としていいようです。普通の子どもでも、子どもの発達から模倣を取り除くと発達は難しいと聞きます。その模倣も下手で、ことばでの指示が耳から入りにくい徹之ですから、せめて同年齢の子どもからの刺激を少しでも多く受けさせたいと思っています。

 できる限り普通の環境の中で、人間らしく成長させてやりたいと、親として切実に願っています。…(pp.110-111)


「地域で生きる」、「子どもは子どもの中で育つ」というのは、こういうことだろうなーと思う。

四百字十一枚


四百字十一枚
坪内祐三
\2,730
みすず書房
2007年

坪内祐三が朝日の『論座』で連載していた「雑読系」がまとめられたもの。なぜに朝日の連載がみすずで出るのか?という事情は、あとがきにこうある。

▽私の書評は本屋の世界と連動していて、これらの書店[※]があったからこそ、この地味な書評連載が成立していた。
 従来の本屋世界の崩壊は「本」という作品にも影響を与える。
 朝日新聞社の発行する雑誌に連載しながら、書評集のような売れない本は出せないという同社の方針によって『雑読系』が晶文社から刊行されたのは二〇〇三年二月のことだ。
 その五年足らずの間に出版の世界も変った。
 晶文社も殆ど別の会社になってしまった。
 晶文社と並んで私が学生時代から好きだった出版社にみすず書房がある。
 出版の世界が大きく変って行った五年なのに、私はこの本の中で、「みすず書房の新刊は、いつも、その八割以上が、私が読みたいと思う本だ」、と書いている。(pp.350-351)

※三軒茶屋の甲文堂書店、渋谷の旭屋書店、神保町の書肆アクセスを指している


書評集だけあって、読んでいると、これをこんど読んでみたいと思う本がいろいろとある。
例えば、

 萩原延壽『自由の精神』みすず書房 *
 佐々木守『戦後ヒーローの肖像』岩波書店
 田村義也『のの字ものがたり』朝日新聞社 *
 以倉紘平『夜学生』編集工房ノア *
 堀切直人『本との出会い、人との遭遇』右文書院
 小林信彦『袋小路の休日』中央公論社 *
 吉田豪『人間コク宝』コアマガジン
 高橋英夫『忘却の女神』弥生書房
 青木正美『古書肆・弘文莊訪問記』日本古書通信社
 岡崎武志『気まぐれ古書店紀行』工作舎 *

(*は近所の図書館に所蔵のあるもの)

 ところで、この本いったいどういう作り方をしたのか、奇天烈な誤字がある。もしかして『論座』の記事をスキャナーで読みこみ、それを版下としたのか?読んでいて気づいたところだけで、6箇所。

一番すごいのは

 大酒健三郎 ← 大江健三郎

だろうか。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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